「デューク」(江國香織)を読む1

    この物語は、2001年のセンター試験に出題され、嘘か本当かわからないが、試験会場が涙で包まれたという伝説の物語だ。高校国語の教科書にも載っており、今回は、この物語を読みながら、センター試験にも挑戦したいと思う。ただ、私のことなので、センター試験の問題自体にイチャモンをつけることが十分に考えられるのであしからず。
(NHKの高校講座でも扱われているので、本文の内容はそちらをご覧ください)

 「二十一」歳の「私」は、「びょおびょお泣きながら」「歩いている」。その「涙は止まらなかった」。「他の人たち」が「いぶかしげに」「私」を見ているのも、「無理のないことだった」。「それでも、私は泣き止むことができなかった」。(「びょおびょお」w) 
 他者からは近づきがたい泣きようの妙齢の女性。その理由を問うことも、慰めることもなかなか容易ではないだろう。また、普通であれば、このような状態で外を歩くことはしないだろう。それなのになぜか彼女は「悲しみでいっぱい」の状態で外を歩いている。
 一般的に考えると、他人の目など全く眼中にないか、もしくは泣いている自分の姿を他者に見てもらいたいかのどちらかだ。彼女の場合はそのいずれなのかを考えながら読み進めることになる。
 「私」の悲しみは、「私のデュークが死んでしまった」ことによるもののようだ。「私の」に、「私」の深い愛情が感じられる。私のものなのだ。デュークは私にとって必要不可欠な存在なのだ。「私」の心は、「悲しみでいっぱい」だ。「悲しみ」で占有された状態の「私」。「悲しみ」という「私」の体からあふれ出す涙。

 次に「私」はデュークを回想する。「グレーの目をしたクリーム色のムク毛の犬」。「プーリー種という牧羊犬」。「我が家にやってきた時には、まだ生まれたての赤ん坊で、廊下を走ると手足が滑ってぺたんと開き、すーっとおなかで滑ってしまった」。その様子が「かわいくて、名前を呼んでは何度も廊下を走らせた」。
 犬にしてみれば、いい迷惑だ。自分の名が何度も呼ばれ、飼い主であるから従うほかなくそれに付き合ってあげているデュークの姿が目に浮かぶ。口先で指示する方は楽だが、その期待通りに動かされる方は大変だ。いくら遊ぶことが好きな赤ん坊の犬だからといって、「私」に付き合わされたデュークには憐憫の情すらわいてくる。このことに「私」はおそらく気づいていないだろう。つまりデュークは、幼いころからずうっと、一生懸命「私」に付き合ってあげたのだ。(だから、ものすごく先走って言ってしまうと、そのような「私」からデュークは、死によってやっと解放されたのだ。こんな読み方をした人は今までひとりとしていないと思うけど)

 次のカッコ付きの説明に、私はデュークに対する哀れさと「私」に対する怒りを感じた。
(そのかっこうがモップに似ていると言って、みんなで笑った。)
 飼い主の命令に忠実に従い、家族のみんなを楽しませようと頑張るデューク。その姿をモップにたとえるばかりか、みんなで笑いものにする家族。デュークが哀れで悲しい。
 だからこの「私」という人は、自分では全く気付いていないのだが、悲劇のヒロインを演じているのだ。彼女は、飼い犬の本当の気持ちも知らずに一方的に愛らしきものを注いできたのだ。これがもし人間の子供だったらどうだろうか。「廊下を走ると手足が滑ってぺたんと開き、すーっとおなかで滑ってしま」う様子が「かわいくて、名前を呼んでは何度も廊下を走らせた」ら、児童虐待で逮捕だ。ならば、それは犬に対しても許されるものではないだろう。

 デュークの説明が続く。「卵料理と、アイスクリームと、梨が大好物だった」。「横顔はジェームス・ディーンに似ていた」。「デュークはとても、キスがうまかった」。これらは伏線となっている。

 「デュークが死んだ」という表現が繰り返される。これにより、「私」がなかなかデュークの死を現実のものとして受け入れられない様子を表している。

 「次の日も、私はアルバイトに行かなければならなかった」からは、悲しみに沈みつつ、それに浸るのではなく、アルバイトには行かなければならないという「私」の責任感や、デュークに対する自分の姿を正しいものにしたいという思いが感じられる。いつまでもめそめそしていては、デュークに顔向けができない。そんなことをデュークは望んでいない、ということだ。せめてアルバイトのシフトをこなそうという気持ちの表れだろう。
 だから「私」は、「玄関で、妙に明るい声で『行ってきます』」を言ったのだ。家族へも、へこんでいる自分の姿を見せて気を遣わせないための様子。「妙に」にそれが現れている。「明るい声」なのだが、それはやはりいつもとは違った、カラ元気なのだ。無理に心を奮い立たせた声。
 しかしその元気は、やはり作り物であり、「表に出てドアを閉めたとたんに涙があふれたのだった」。
 カラ元気で外に飛び出した「私」は、すぐには家に引き返すことができない。それでは家族に余計に心配をかけてしまう。だから彼女は、「泣きながら」いつもの道筋を半ば無意識で歩き続ける。そうするしかないし、他の方法も思いつかないのだった。

 電車内での他者からの視線に、「遠慮会釈」はない。唯一「私」に声をかけてくれたのが、「不愛想」な「男の子」。「十九歳くらい」で「ハンサムな少年」だった。(「なんだイケメンかよ」・「ただしイケメンに限る」と思ったのは私だけではなかろう。「不愛想にぼそっと」言われることに、女子は弱いよね)
 「ありがとう」と「蚊の鳴くような涙声でようやくひと言お礼を言って」「座席に腰かけた」のはやはり、少年がイケメンだったからだろう。相手がおじさんだったり、「似たようなコートを着たお勤め人」では無理だ。ここでもしおじさんが「私の前に立ち、私の泣き顔をじっと見」つめ、その「視線に射すくめられ」たら、「私」はきっと、違う意味で「泣きや」み、周囲の乗客に助けを求めただろう。「ハンサムな少年」の「深い目の色」のまなざしによって、「私」は「いつのまにか泣きやんでいた」。

 この少年はいったい何者なのか、ふたりはこの後どうなるのかが、はなはだ気になるところではありますが、この続きはまた次回。

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