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無計画な旅こそ

おさんぽです。
最近、駅でも街でも外国人を多く見かける。
空港検疫が見直され、日本から外国へ行く人の数もコロナ以前に近づきつつある、らしい。
そっか、という事で
今回は旅で、まとめてみます。
珍しく愚痴無しで。
電気代と食費の支払いで余裕ないから今は無理
ですが、
できることなら、
旅がしたい。私だけの、私の心踊る旅が。
体と心が動けるうちに
無計画、低予算で時間気にせず自由に。
天然放浪婆さんが、言うのもなんですが。
全ての人生に、それぞれに適した旅が必ずある。
コロナ禍中に出会った
尊敬する元同僚で、トラベルエージェント、
Sさんに 頼まれてもないが一方的に捧ぐ。


旅にも色々ある。専門家じゃあないけど
*旅と言えば?
*行きかふ年も旅人…タビヲスミカト楽をするのとは違う
*Sさんへ

旅行と言えば、修学旅行ですね。ぇ違う??
言うまでもなく、学習の一環。これについては、色々掘ることがありすぎで、本題から外れてしまいますが、
私の場合、すんごい楽しい修学旅行だった事はない、一度もない。婆さん楽しかった事忘れたんちゃう?
うーむ、いやー
疲れた、しんどかっだ、めんどかった。
なんかもう修行、業みたいで、こなすノルマに追われて、休めなくて。それは先生もおんなじで。
ぶっちゃけイヤイヤよね、手当付かないし。
もはや、なんのためにやってんのかわからん。
毎度楽しくないけど、楽しかった、と感想書かなあかんのが毎度嫌だった。
オール楽しかった、方おられます?
その方の場合、会社の慰安旅行も楽しいのかな、やっぱり…アタシの場合一も二もなくパスですわ。
どうにも捻くれてます、はい。
ただの私見ですが、学校行事は先生から見れば
こなし仕事『楽しいだろ?ハイハイよかった。』
民主主義では、ミル:「最大多数の最大幸福」の追求が行われる のが当たり前だから、
だいたい、大方が賛成すれば当然そういうモン、となります。
人が集まって何かをする時には、この
『最大化」が図られます。
旅行にハプニングは付き物ですが、
無目的、無計画、旅程もない、なんてのは、
ありえないでしょう。ある程度のまとまりで動く場合 だいたいの人が望むルートで、そこそこのプランで皆納得。集団行動ですから。
それがお決まり、の修学旅行であれ
経験から期待される効果、というか何か獲物はある、だからやるんだよ、ということですね。
いつもの場所とは違う場所で、初めて見る何かに、綺麗だね、〇〇ね、といつもとは違う、新鮮な経験を誰かと分かち合える。
あーしろ、こーしろ、はよせー、ハヨ寝ー、の
連続の合間に、そういう
小さな喜びや発見は、おそらくあったのだろう。
大半忘れるんだけど、ハプニングやしょーもない事のみ覚えているのは、そういうことか、、

コロナ禍、卒業式も修学旅行も中止され、残念だった、かわいそうだった、の声が多くあった。

昔に比べれば、ダイバーシティの認識は
広がってきたし、修学旅行の「それらしさ」
もいいけれど、
(色々都合はあるだろが)皆それぞれが、個で、
違う人間であると言う前提が,
いわゆる管理職の皆様方の中に、更に強く意識される事を願う。
やっぱ、誰と共に行くか、が殊の外重要なんで。
「最大化」と「個」のバランスの最適化
難しいでしょうが、何とぞ宜しくご検討の程お願い申し上げます。
で、その後の卒業式入学式は、まさに旅立ちです。「花の色、雲の影 思い出^いざさらば 明日の日のため〜」訪れる新たな時に、私たちは日々旅立っているとも言えます。

旅人 タビヲスミカトス
俳人松尾芭蕉の故郷(今の三重県)では、盛んに句会が催される、とテレビを見て知った。
驚いたのは、故郷があったんだ〜て事。
そりゃそうだ。アホな婆さんやな。
なんか、生涯旅人のイメージがありまして。
出自とか気にしてなかったな、と思って。
旅先でうまいこと俳句作る人。類稀な感覚で場を
切り取って表現し、俳諧を芸術として確立した。
うまい、です、うま過ぎる。
尊敬されていたから、あちこちから招かれ、
あちこちへ行っては俳句を詠んだ。
一説では、仕事も号も庵も何度も変えているらしい。
住まいとか出身に、あまり関心がなかったのか、
火事で、焼け出されて、虚しさからとか
飽きたから、など、言われているが、
本当のところは分からない。
旅を常としていたからこそ、心はいつも
新たに瑞々しかったのかもしれない。
うろうろ歩き回って、すごい楽した人なんかな、と思ってましたが、高速バスも飛行機もない時代に、命も惜しまず旅をする。
それが必要だったから、旅を栖とす。
かっこいいすね。
行き当たりばったり、にも見えますが
心のまま、勧められるまま、導かれての旅を
私もしてみたいもの…俳句はからっきしダメですが

Sさんがくれた旅
卒業も旅立ちですが、離転職もまた、旅ではないか。出会ったことで、心の中で旅をした気になった、sさんのお話です。
コロナが始まった当初、日本中に自粛令が敷かれ
とにかく移動しないことが求められた。
お店は休業し、駅も街中も閑散となった。
Sさんは、個人で旅行会社を経営してこられた
海外専門のトラベルエージェントさん。
やり手、仕事できる、バリ、イケオジ、です。
でも、ツアーができない、全部キャンセル。
もうお手上げで、途方に暮れていたそう。
その時、紹介してくれる人がいて
私たちの薬局に補助要員として来てくれる事になったのだ。
「何でもできる人だから」らしいけど
社長さんが?やったこともない薬局業務に?
みんな半信半疑でいましたよ。
それがそれが、
半年経って、いなくてはならない人の
ランキング一位に。どゆこと?
見たこともない薬局の内側の仕事をすぐに覚え、
うまく立ち回って人間関係を円滑に改善し
ピカピカに掃除もして、使いやすく保ってくれた。
自分にできる事は、何でもします。
でも、それは
必死のパッチでもなく、恩着せがましくもなく
自然に。
60歳手前だったと思います。
ある時、私はSさんと話していて
今後の話になった。
「Sさん、旅行ができるようになったら、私のお願いしていいですか?」
「当分無理でしょう…三年くらいは」
「そうでしょうか?台湾に行きたいわー.」
「僕、もう廃業して整理しようと思って…」
「でも、旅に出たい気持ちは、なくならないでしよ、多分。本能みたいなもん」
「・・・」
「Sさんが来てくださった当初は、私たちもほんの短い間だと思ってましたけど、こうして今ではなくてはならないスタッフになってますから、辞めてもらえないですけどね」
「副業は考えてるんですよ。社長からは正社員で、と言ってもらいましたが、いつまでも甘えてられないから」

Sさんは、事実、何でもやるだろうし、
何処へ行っても何かできるだろう。
薬局は、忙しいのに収益が落ち、ギスギスして
いて、私は、Sさんが他所でも活躍できる方がいい
と思っていたし、自分の転職も考えていた。
私とSさんは、DXを見据えて新たな事業について話したりしたのだが、状況は改善せず
結局稟議にもあげず、数ヶ月後に私は退職した。
退職に際し、私は頼まれてもないのに、
業務改善の提案を作成し、Sさんに預けた。
びっくりしておられたが、わかりました、と
受けてくださり
「今度の職場にも、会いに行きますょ〜」
あれから、
なんだかんだで、私は更に転職し
Sさんも自主的定年退職を申し出て、お辞めになったと聞いた。皆残念がっていたが、これは
彼にとっては、導かれた旅なんだと思う。
2年程お会いできていないのだが、多分
今もイケオジなんだろう。
Sさんが何かをしたわけでもないが、
Sさんとご一緒できた事で、
何だか私も、何でもできそうな気がしたのだ。
心の中の水が入れ替わったような、
何処かの湖で泳いで帰ってきたような、
旅心を得た気がする。
恐れることなどない。
これは、旅。楽しみましょう。
ですね、Sさん。

おさんぽでした。
お読み頂き、ありがとうございました。