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蝋梅と菜の花

いつの間にか 河原の土手の梅が咲いている。
なかでも、
真っ先に花をつける蝋梅は もう既に
枯れかかっていた。辺り一面に、凛とした香りを
漂わせて。

1月の末に、父が亡くなり、前後2週間の慌ただしさが
ようやく落ち着いた、と思える今日。
風は冷たいが、薄日射す河原を 少し歩いたら 
ごちゃごちゃした頭の中が、ちょっとすっきりした。

備忘録として、昨年末からの経緯を記述しておきたい。
全く面白くないし、誰も、一ミリも興味ないであろう話 なんですがね。。

父が亡くなっても、責められている感は消えるどころか、
傷口に塩、という感じ。
これは、多くの人が感じることなんだろうか?
最期まで母と共に家に居たいと、それだけを願っていた父を
家に帰してあげられたのは
亡くなった後だった。

1年間空き家にしていたから、といえば普通だが、
家を建ててから20年以上、父母は2階の部屋も下駄箱も
一度も掃除していなかった。
カビとゴキと埃。
家に入るには、家中アースジェットし、
玄関の下駄箱やら風呂場や窓のカビを拭き(拭いたくらいでは全くダメ)
何回にも分けて
大量の不用品、ゴミを引き取ってもらわなければ 
数分も居られないから。必死でやった、飲まず食わずで。

なんとか、人が入れるようにした翌日、父は亡くなった。


もう長くはない、と医師に言われながらも
父は、
思うようにならないのは、バカなお前のせい、と私を責め呪い続けながら
メイバランスを必死で飲み、生きようとしていた。
心不全が、いよいよ悪化したのは年末。
医師;「できるだけ会いに来てあげてください」
私;「はい」
看護師;「まだ食事できていますよ。」ああそうですか、よかったです。
私にできることは何もないのだが、往復6時間かけて
顔を見に行った。やっと帰ってきた、と思ったら
又すぐに何度も電話がかかってきて、生きた心地がしなかった。
借金してでも、死に目に立ち会わなければならないのか。。無理だ。

年が明け、母を連れて父を見舞った。その時はまだ、自分で座り、話もしていた。
次の週、無尿となって、意識もまだらになって もう治療は終了しましょう、苦しみが長引くだけだから、と医師に言われた。

1月の2週目には、酸素マスクとなり、話も難しくなっていたが、
施設で流行したコロナに、母が感染してしまったため 
10日間も自室待機させられることになった。
もし 今日にでも父が亡くなれば、母には会わせてあげられない。
自分が自分でないような、ザワザワした状態の中、
私も濃厚接触となったため、仕事もお休みし、母を心配しながら
父があと少し もってくれますように と願った。
よく覚えていない一週間をやり過ごし やっとこさ
外出可能になった母と、
降りしきる雪の中 父に会いに行った。
もう、呼びかけにも答えられなくなっていたが、母が来たことは、
わかってくれただろうか。
翌日の夜遅く、職員に看取られて 父は亡くなった。
翌朝の始発で発つ。
悲しむ、感謝するのは、一瞬。段取り段取り。
母を父の部屋に連れてきてあげて、そしてまた昼食に間に合うよう
施設に送り届け、
葬儀屋に電話し式場の段取り、親戚に連絡、退去片付けの段取り。
これで良しと思ったら、違った!
お寺に電話するのは葬儀屋ではなく、私の仕事であった。
先に言ってくれよ!
連絡が遅れ、住職が忙しすぎて、葬儀の日程が遅れることになった。
別に、空いてるお寺さん、どこでもいいんですけど、、なんかね。。
午後、葬儀屋さんと遺体を自宅へ。
高齢者住宅の退去の準備、赤帽さんの手配。行政手続きの段取りを確認。
抗がん治療中の弟と電話で話す。
親戚が、父に対面したいと、実家に来るというので、
葬儀屋さんが帰ったら、もう一度お線香炊いて、片付けを再開した。
夜更け、昼用のあんパンを食べ
布団もないので、座って寝ようとするが、眠れない。
寒すぎるので、翌朝、止めていたガスを再開することにした。
翌夕方まで、親戚対応、葬儀屋対応に追われた。

自分がどう葬られるかなんて、あまり考えないものですよね。
父は、自分の死後のことを、何から何まで文書で指示していて、
葬儀については、「家族葬で」と何度も言ってました。
こればっかりは、なかなか いいチョイスだったよ、じいちゃん。
家族葬。
15人しか入れない式場なので。。スミマセンということに。
これまで私が経験してきた葬儀(喪主の妻として)は、いわゆる普通の
一般葬で、まあ次から次に
近所の人やら親戚やら、主人の会社の人やら 来るわ来るわ。
大変すぎて 記憶ないです。
家族葬であっても、それなりには大変でしたが、
母(一応喪主)は認知症なんで
何かと手がかかるので、こじんまりできてよかったです。

まだまだ、なんだかんだ
手続きは続きますが
私しか担えないので、やりきるしかない。
それでも、少しずつは、以前の自分と日常に戻していきたいと、
このnoteをしたためた次第です。
春とはいえ、まだ寒いこの頃。皆様の御健康をお祈りしつつ
もうちょっと頑張ります。
お読みいただきありがとうございました。