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ラニーエッグボイラー 第9話「毎日健康卵生活のすゝめ」

その日、中学校で階段から落ちて頭を打った俺はすべてを思い出した。

「俺、異世界転生してんなぁ!」

当時は30年も前で異世界転生というジャンルは一般的ではなかったが、頭の中を駆け巡るかつての故郷の風景は、日本とも地球ともまったく異なるもので、強いていえば文化レベルは縄文時代とかその辺りの時代が近いと思うが、とにかく90年代前半・平成初頭の文明的な街並みとは全然違うのだ。
人々は獣の皮をなめした腰巻一丁で生活し、石の斧を担いで捻じくれた角を持つ鹿みたいな動物を追いかけたり、3つの角の生えた牛くらいの大きさの兎を飼育したり、そこらの草を適当な土器に放り込んで煮て薬だと言い張ったり、雨が降ると神への感謝を捧げ、日蝕や台風の日には慌てふためきながら神へと祈った。
その世界で自分は長老でシャーマンをしていて、先人たちからの科学的根拠のない教えと、なんか適当な勘をフル活用してそれらしく振舞っていたが、当時は本気でそれを正しいと信じていて、毒草を燻して吸った煙でラリった時に聞こえる幻聴を神の声だと疑いもしなかった。
しかし今は現代社会で、教育熱心な両親の下、小学校の頃から勉強漬けの毎日を送っていた俺は、台風も日蝕も単なる自然現象だと知っているし、雑草を煮ても薬にならないことも理解している。そんな正しい知識を得た中で、おまけに思春期真っ只中で前世の異世界シャーマンの記憶を取り戻した少年が、湧き上がる羞恥心と削られた自尊心の狭間で勉強が手つかずになったのは語るまでもなく、しかも前世で原始人みたいな妻を何人も娶っていた反動も合わさって、現代社会の異性の洗練具合に気が狂いそうになって、性欲が暴走したりしたのもまた語るまでもない話だ。
要するに勉強からはドロップアウト、秀才だった自分は坂道を転がるゴムタイヤのように急速に底辺の学力レベルへと転がり落ちて、役に立たない異世界の経験値を無駄に抱えたまま悩み苦しむ落第生へと成り果てたのだ。

とはいえ人生そのものは決して悪いものではなく、特に異世界仕込みのバイオレンスは現代社会では大いに役に立った。なんせ胸ぐらを掴む、睨み合う、なんて眠たい遊びみたいなことから始まる現代の喧嘩作法と違い、異世界での暴力は基本的には奇襲・殺傷・略奪がセットになっているのだ。かつては自分も何人もの敵対者の後頭部を叩き割ったり、目を抉ったり、臓腑を引きずり出したりして、勝者の証として獲得した生首を後生大事に祭壇に並べたものだ。その異世界バイオレンスと、現代人として学んだ常識を合わせた程よい匙加減は、あっという間に悪そうな奴はだいたい手下にしてしまい、高校生にして踏ん反り返っているだけで金が入る生活基盤を築くことに成功した。
その金を抱えて地元を捨てて都会へと移住した俺は、成人すると同時に罪が重くなるからと真面目に生きることにシフトし、プラスチック工場や板金工場で働きながらも、やっぱり異世界シャーマン時代の影響なのか、当然の流れで宗教に傾倒した。

そして8年前、空中に浮かぶ謎の卵が見えるようになった俺は、原始信仰主義的に生命への感謝と自然界への回帰、世界への奉仕を目的とした新興宗教団体【鶏卵教】を設立したのだ。
宗教は良い。宗教はこの世で最も合理的かつ理不尽に金を集められるシステムのひとつで、そこに適度な暴力を背景にした緊張感と、農業を基盤とした共産主義的なパラダイス感、カルト団体という名の先人たちから学んだ極限状況をミックスさせることで、信者たちから金と尊敬を上納させ続けることが可能になったのだ。
最初は社会人サークル程度だった鶏卵教は、年々信者の数と活動範囲を拡大すると共に、辺鄙な田舎の放棄農地を買い上げて拠点を都会から田舎へと移行、人間はみな生まれた時は真っ白い卵のようなものだという教義を形にした全身白装束姿で、山奥での集団生活をするようになった。
集団生活は大事だ、それまでの生活を捨てて新しい生活を歩む、という大義名分は、あっさりと預貯金と不動産をお布施として吐き出させ、夫婦の縁も親子の縁も断ち切って、昼間はみんなで楽しく農作業、夜は幹部以外は洗脳しながら厳しい修行、俺たち幹部は儀式という名の乱交パーティー。
大量の作物と子どもを作りながら、出来上がった野菜は直販市で売って金に換えて、出来上がった子供は教団の子としてエリートカルト教育を施す。
そんな俺だけハッピーパラダイスな毎日を送っていたら、いつの間にかビルが建ったり各地に支部が出来たりして、いつの間にか過激化した幹部が爆破テロとか起こすようになって、地下鉄でサリン撒いた団体の再来と呼ばれるようになってしまった。

「馬鹿な! 俺は楽して金儲けして、毎晩違う若い信者とやりまくりたいだけなのに!」

いつの間にか教団は、世界情勢の不安定さと物価高騰、疫病の発生など様々な悪条件と合わさって【傾乱教】へと名前を変えて、一種の暴走世直し集団へと変節してしまったのだ。


▷ ▷ ▷


「金御寺さん、今度は武器を用意してもらいたい。そうですな、銃と爆弾、そういったものが欲しい」
「用意しましょう」

金御寺というのは半グレのボスで、信者を洗脳するための麻薬の調達に使っていた。ゴリラみたいな体格で、おまけに目がギョロッとして全体的に怖いから苦手なのだが、蛇の道は蛇、こういう連中は武器の売買にも通じている。
これまでは手製のパイプ爆弾や火炎瓶といった、あくまでも学生運動レベルのものを主に使用していたが、信者たちから本格的な手榴弾とかロケットランチャーとかマシンガンが欲しいと要望が出て、そういうのないって問いかけたら有ると二つ返事を貰ってしまった。
これは困った。これ以上、信者が暴走しないように蜂起の日を待てと言い聞かせて、武器が手に入るまでの時間稼ぎをしようと思っていたのに、あっさりと手に入れてしまっては、あっという間に各地の駅や空港、果ては警察署や国会、そういった場所でテロを起こされてしまう。そうなったら逮捕もあっという間で、刑務所の中では今までのようなパラダイスな生活が送れなくなるので、非常に困る。
俺はまだ44歳、性欲は衰えるどころか今もなお盛ん、股間など登り竜の如しなのだ。だから非常に困る。


『✕✕日午後4時ごろ、○○区のマンションで大規模な爆発があり、未成年を含む50人以上が負傷し、病院に搬送されました。正確な被害状況は未だわかっていません。爆発のあったマンションは通称ヤクザマンションと呼ばれる場所で、近隣住民によると複数階でほとんど同時に爆発が起こったということです。警察と消防は、ガス爆発の可能性がある他、暴力団同士の抗争、過激派宗教団体によるテロ行為等の可能性もあるとみて詳しい情報を調べています。警察と消防によるとマンションは上半分が跡形もないほど壊れており、周辺の住宅や飲食店などで窓ガラスが割れるといった被害も出ています。現在もなお危険があるとのことで、周囲は立ち入り禁止となっています』


幸いにも金御寺が俺たちとは一切無関係な抗争だか事故だかで死んでくれたので、蜂起の日は先延ばしに出来たのだが、でかめの濡れ衣を着せられそうになってしまった。今回の爆破事件には断じて関与してないが、勘違いした金御寺の関係者からの報復も怖いので、その筋の人から護衛を寄越してもらうことにした。

「あなたが鳥塚敬乱だな」

数千万円払って派遣されたのが、20代半ばの若い女だった時は仲介屋のデブを殴り倒そうかと思ったが、しかしこの女、れっきとした殺し屋の頂点【鮫】のひとりで、試しに元ヤクザや元半グレの武闘派信者に腕試しをさせてみたところ、両手に剣を握り、さらに両足でも剣を握り、4本の剣を振るう中国雑技団も真っ青な技を披露して、うちの力自慢10名を瞬く間に指先から四肢から首から、ありとあらゆる部位を刎ねて、さらに残った胴や頭部を十文字に切り刻むという恐ろしい惨劇を見せつけられた。
10人を2分足らず、いやはや鮫というのは恐ろしい生き物だ。異世界仕込み宗教磨きのバイオレンスもまったく通用する気がしない。

「まだ不安なら、もう10人ほど斬ってもいいけど」
「いえ、十分です! よろしくおねがいしまぁっす!」

俺は直立不動で答えて、その数日後にいきなり便所に放り込まれて、殺し屋からの難を逃れることになった。銃声が何発も響くもんだから、ひっそりと失禁と脱糞をしてしまったが、翌朝現れた用心棒の鮫は無傷で、肩には撃退した背の低い殺し屋らしき者を担いでいた。
どうやら殺し屋の命をこの場で奪うことはせず、二度と襲撃してこないように利用すると言っていたので、きっと異世界原始人も目を背けるような恐ろしい見せしめを繰り出すに違いない。
まさか闇医者に運んで、そのまま仲良く林檎でも食べながら連絡先を交換する、なんてことはしないだろう。


「そうだ、鳥塚さん。今回は刺客が三下だったからどうにか出来たけど、私にも、他の鮫にも、どうにも出来ない奴がいる」
「……え?」
「そいつは死神と呼ばれていて、どんな相手であっても、どんな人数であっても、どんな警備を敷かれていても、24時間以内に確実に仕留める。そんなどうしようもない存在だ。そいつに依頼される前に、どこか……そうだな、国外にでも逃亡することを勧めるよ」


鮫というのは本当に恐ろし生き物だ。
帰り際にとんでもない不吉な予言めいた爆弾を残していったのだから。おかげで尻の辺りがまた膨らんでしまった。


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鶏卵教に解散命令が出されたのは思いのほか早く、かといって人生のすべてを捨ててきた狂信者たちに帰る場所なんて残っているはずもなく、俺と幹部、それに各支部から押し寄せた信者たち1250名は本部施設にすし詰め状態で立て籠もり、それからの当てもなくただ静かに武装蜂起のタイミングを計るという名目で、卵かけごはんなど食べるなどして過ごしていた。
このまま卵飯啜っても埒が明かない、なにか奇跡的なことでも起きてくれないものか。或いは乱痴気騒ぎを堪能して腹上死でもして、また別の、出来れば美女ハーレムな世界に転生してしまえないものか。
そんな都合の良いことを考えながら過ごしていると、目の前で奇妙なことが起き始めた。


幹部が、信者たちが、施設の中にいたありとあらゆる人間が、次々と意識を失うように倒れていったのだ。


「なんだなんだ!? どうしたんだ!?」

「こんにちは、三つ編み髭のおじさん。はい、これ、最後尾の立て札ね」
「順番を追い越すんじゃないぞ、俺たちも長いこと待ってんだから」
「あ、おっさん。あんたの後ろにいっぱい並び出したから、最後尾のプラカード、後ろに回していって」

気がつけば俺と信者たちはなんだかよくわからない行列に並ばされていて、だいぶ前の方にいる人によると、この行列はラーメン屋でもネズミの国でもアイドルのコンサート会場でもなく、ヨハネという人間に憑りついた幽霊の集団行列なのだそうだ。
そしてこの行列は七人岬システムという仕組みで動いていて、24時間ヨハネと一緒にいた人間の数だけ、先頭から順番に成仏していって、その代わりに同じ数だけ幽霊が補充されていく仕組みなのだそうだが、時折迷子の幽霊や地縛霊も取り込んでしまって、今や数千人規模の大所帯になってしまったらしく、先程1200人ほど成仏したが、まだまだ先頭には遠く、説明してくれた人もヨハネというのがどういう奴なのか一度も見たこともないらしい。
きっと名前からして、髭の生えたイタリア人の男か、痩せた薬物中毒者みたいなアメリカ人の男に違いない。少なくとも若い日本人の女ではないはずだ。なんせヨハネだ。名前のキリスト風味が過ぎる。

「あのー、ちなみに成仏したらどうなるんですかね?」
「ああん? 知らねえけど、天国か地獄かどっちかなんじゃねーの?」
「天国に行ける奴なんて、いてもガキくらいだろ。大人になるってことは、それだけで罪深いからな」
「俺は天国も地獄もない、無だと思うぜ。成仏したらなにもかも消えてなくなるのさ」
「異世界ってとこに転生できるかもよ」
「悪いことした奴は罰として蝉に生まれ変わるって聞いたぜ」

情報は錯綜している。
なんせ誰も成仏したことなどないのだ。それぞれ勝手な、バックボーンとか根拠に宗教や信仰心を用いた想像を口にするしかない。

「俺はあの卵の中に入ってみてえなあ」

そして全員で、空中に浮かぶ卵を眺めたりして過ごすことにしたのだった。


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