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ラニーエッグボイラー 第0話「宇宙飛行士は半熟茹で卵の夢を見る」

ハロー、地球のミナサン。
コチラは観測デキる範囲の宇宙を飛び出して、もうミナサンからは見えナイ位置にイマス。
ソチラは今、西暦何年で何月何日デスカ?
宇宙は果てしナク広く、僅かな隙間カラ見えル外の景色はドコマデモ真っ暗で、最初は田舎ニ帰ってきたヨウナ気持ちにナリましたが、今はタダタダ気が狂いそうデス。
デスガ、宇宙の果てにはキット何かあるハズなので、気を強く持ちたいと思いマス。

追伸
冷たくテ硬い宇宙食にも飽きてキマシタ、黄身がトロトロのあったかい茹で卵が食べたいデス。

それデハ、また次の提示通信デ・・・



返ってくることのないメールを打ち終えて、果てしなく広くて暗い宇宙に反比例するかのような、限りなく狭くて薄ぼんやりした船内の壁を見上げる。
壁に書き殴った正の字はもう何個あるか数えるのも億劫になり、多分100を越えたあたりから書かなくなった。
そもそも時計もなく、眠っては起きて、僅かな宇宙食と水を摂取して眠るだけの生活を繰り返しているのだから、正確な時間はわからず、わかったところでその時間が宇宙で本当に正しく進んでいるのかはわからない。
宇宙空間では時間の進み方が違う、って昔見た映画で言ってた気がする。
そもそも時間がわかったところで、この宇宙ではなんの意味もなく、まだ塩や七味を舐めて、淡々と変化なく流れ続ける牢獄のような生活に変化をもたらす方が、ずっと有意義だ。
暇つぶしにと映画を何本か持ってきていたけど、もうそれぞれ100万回は観た気がするので、最早じっくり見ようとも思わない。
初めこそ暇を持て余すあまり、筋トレをしたり、髪とヒゲを整えたり、今日着る服を選んだりとかしていたが、何日もひとりで過ごしているとそういう習慣さえ意味が無くなって、最近はオムツの中の小便の後始末さえ面倒で仕方ない。そのうち糞の始末もしなくなるだろう。
湿った不快感でさえも、この宇宙空間ではなんの意味を持たない。

宇宙には何もない。
時折光のようなものが遥か遠くに見えることもあるが、心を動かすようなものは何もない。
昔の宇宙飛行士が見た地球は青くて美しかったらしいが、コールドスリープで何万年も眠り続けたせいで、肝心の青くて美しい地球を見逃したのが最初にして最大の失敗だったと思う。
あれを見逃したせいで、感動という感情を地球に置き忘れてきたのだ。

それにしても退屈だ。このまま宇宙を彷徨い続けて何の意味があるのだろうか。
仮に宇宙人に会ったとして、そいつらとSF映画のように意思の疎通が取れて、穏やかで友好的に接してくれる保証もないのだ。
「宇宙人と遭遇しねえな……」
したくもないし、出来ればこのまま寿命が尽きるまで出会いたくない。
だけども、このまま死ぬまで、あと何年生きるのか知らないが、仮にあと10年は生きるとして、それまでひとりぼっちで過ごし続けると想像したら気が狂いそうになる。

助けてくれ、もう限界だ。

なんで宇宙に行こうだなんて考えてしまったんだ。

もし過去に戻れるなら、ぶん殴ってでも止めてやる。

たまらず高濃度のアルコールを口に含む。
肝臓以外には無害らしいが、この強烈な、目の奥で爆竹が鳴ったような味が本当に無害だとは思えない。
しかしこれが一番手っ取り早く酩酊できて、一番早く眠れるのだ。


スリープウェル宇宙、今日もおやすみなさい……



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彼は予想に反して、この後、地球時間で50年ほど生きることになる。
幸か不幸か一度として宇宙人と遭遇することはなく、晩年は言葉も喋れなくなり、機械的に水を飲み塩を舐めるだけの生き物に成り果てていたという。
最後の晩餐は塩、今際の言葉は「うぇぬべぬぬぁだあぉぼぼ」であったことが、彼の死後、地球時間で1200年後に宇宙船の残骸を捕獲した12本足のペンギンによく似た宇宙人によって解明されている。


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