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ラニーエッグボイラー 第6話「陰謀論者はフラメンカエッグを食べたら脳が破裂するという信憑性の高い噂」

文明と人間は両輪でなければならない。
しかし現実には文明が発展すればするほど、人間の社会に恩恵の数だけ新たなトラブルを増やすのだという。

というのを今朝、たまたまSNSに流れてきたポストで見かけたのだけど、それは確かにそうだなって思う。特にSNSとかネットの匿名掲示板とかニュースサイトや動画サイトのコメント欄とか見てると、私が言うのもなんだけど、こいつら終わってんなあ、って思うような悪趣味な言葉が飛び交っている。
そいつらも殺し屋なんかに人生とやかく言われたくないだろうけど、正直終わってるのだから仕方ない。私なんて謙虚に頭を低く身を小さくして、流れてくる猫と犬の写真にいいねを連打するだけに留めているのに。
そんな小市民な殺し屋、死神ヨハネに依頼された次の標的は、SNSで誹謗中傷を繰り返し、何度も身元を特定されても開示請求をされてもアカウントを凍結されても止めることはなく、いよいよ自殺者まで出してしまった、完全に終わってる50代半ばのおばさんだ。
ネット廃人気味な引きこもりの間では結構な有名人で、私も親子丼の写真をアップしただけで、肉を食う奴は臭いとか知能が低いとか、2ヶ月近くに渡って粘着されて暴言を吐かれた。
終わってるのはネット上だけではなくオフラインの姿もで、資料として送られてきた写真には、一言でいうモンスターと形容してしまう酷く不潔で、ふてぶてしいまでに不平不満を隠さない顔面が映っている。いわゆる死んだ魚の目をした弩級のデブだ。

「こいつと24時間過ごすの、やだなぁ……」
思わず不満が毀れてしまう。
私は半径30メートル以内で24時間離れず過ごしたものを自然死させる謎の伝染病の持ち主だ。究極的に影が薄くて目の前にいても気づかれない体質と併せて、ターゲットから24時間離れなければどんな相手でも仕留められるのだけど、言い換えれば24時間は30メートル以内の場所に居合わせる必要があるし、それ以上離れないように24時間見張ってないといけない。
別にイケメンや美女を監視させろというわけじゃないけど、私も一応人間なので、直視に堪えないモンスターはなるべく視界に入れたくない。虫の裏側とか見たくないのと同じで、生理的に耐えがたい容姿というものがあるのだ。
ゴミだらけの汚い部屋、数ヶ月単位で変えてない雑菌だらけの濁った風呂に入る習慣、異様に荒れた肌にカエルのように生えた数々のイボと謎のこぶ、世界を呪うような他責に満ちた目付き、どれひとつとして直視できる要素がない。おまけにすごく臭そう。
「勝手に不健康で死んでくれないかなあ……」
そんな殺し屋らしからぬ言葉を吐いても、きっと誰も私を責めないと思う。だってきついものはきついんだから。


✕ ✕ ✕


腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい! 世の中は馬鹿が溢れすぎてる!
テレビで調子に乗ってる芸能人、SNSで調子に乗ってる男向けのイラスト書いてる奴全員、世界の真実も知らないのに自分わかってます面してるコメンテーターと政治学者、ちっとも暮らしを良くしない政治家、政府の陰謀に乗っかってワクチンを勧める医者共、アメリカやヨーロッパが正しいと思ってる奴、男に媚びる若さと顔以外に取り柄がない頭の悪いメス、不細工な日本人のオス、女より男が優れてると思ってる時代送れ、フォロワー数が多い奴、バズってる奴、動物の写真で承認欲求満たしてる奴、肉食ってる奴、モデル、歌手、ユーチューバー、ブイチューバー、その他たまたま運が良くて金持ってる奴……全員馬鹿なんだから黙れクソボケゴミ共!
お前らなんて私より能力低いくせに、偉そうに私と同じ空気吸ってんじゃねえぞ! 排気ガスでも吸ってろ、ドカスが!
今日も指先に力を込めて、SNSで目についた奴に片っ端から正義のリプを投げつけていく。
「ぐっぬっ……ふんぎょええええええ!」
またアカウントが凍結された。きっと日本政府を裏で操るアメリカの闇の政府の仕業に違いない、私がネット上に隠された真実に気づいたから言論を封殺しようとしてるんだ。
怒りのあまりスマホを壁に叩きつけて、完全に壊れるまで壁に投げ続ける。スマホなんてまた機種変更すればいい、電話番号も買えてアカウントを作り直せばいい。今はただこの怒りを発散しなければならない。

「うるっせーぞ、ボケコラァ!」
「うるせぇー!」
マンションの隣の部屋から放たれた文句に対して、壁を蹴って全力で怒鳴り返す。
家賃3万円のベニヤ板くらい壁が薄いワンルームに住んでる貧乏人が、なに私にえらそうに声かけてんだ、身の程わきまえろクソが! てめーなんてジジイになって死ぬまで一生彼女も出来ねえし、結婚も出来ねえんだから、黙って汚いチンコでもいじってろ童貞が!
私を誰だと思ってんだ! 本当だったら、こんなところで暮らしてるような女じゃねえんだよ!
「蛇崩(ジャクズレ)さぁん、いい加減、仕事覚えてくださいよぉ……じゃねえんだよ、ボケがぁ! だったら最初からマニュアルちゃんと作って、1個1個丁寧に説明しろよ! なんで私がメモ取らなきゃならねえんだよ、逆だろぉ!」
画面バッキバキのスマホで壁を叩き続ける。職場の年下のくせに調子こいたブス、若くてスマホ世代なだけで優秀だと勘違いしてるボケ、若い女には鼻の下伸ばすくせに私を生ゴミみたいな目で見てくるジジイ共、全員頭蓋骨割ってやろうか、このスマホで!
「ぶぐあああああああ! クソックソックソッ!」
怒りで血が上り過ぎて頭を掻きむしりながら、もう1台のスマホでSNSに正義の鉄槌を下していく。
なにが地震だ、人工地震に決まってんだろ! 気づけよ、その写真の政治家、ゴム人間だってわかんだろ! ネオナチに支援すんじゃねーよ! 疫病なんて最初からねえんだよ! 半年前にパンダが逃げたのは憲法改正のカモフラージュだ! なにが陰謀論者だ、お前らが真実に気づいてないだけだろ!
「ぐぬぎぎいいいいいい!」
またひとつSNSのアカウントが凍結させられた。闇の政府は完全に私に狙いを定めてる、もしワクチンを打ってたらマイクロチップで居場所を特定されてたかもしれない。

「すいませーん、警察ですが」
「なんで警察が来るんだよ、おかしいだろ!」
私がなにしたって言うんだ。隣の奴か? あのジジイ、諜報機関のスパイだったのか!
「ちょっといいですかー? ご近所の方々も迷惑してるみたいなんで、もう少し静かにしてくれませんかー?」
警察がドアをノックし続ける。
ふざけんなよ、今何時だと思ってるんだ? 深夜2時だぞ、時間考えろよ。
一瞬、包丁で刺して黙らせようと思ったが、明日も仕事があるし、ケータイショップにも行かなきゃいけない。
荒い呼吸を整えてからドアを開き、警察の人に笑顔を向ける。
「すみませーん、ちょっと動画の音が大きかったみたいで」
「気を付けてくださ……うっ、くさっ!」
警察が急激にむせ始める。どうやら私の部屋の風呂場の香りに慣れていないみたいだが、これだから情弱は困る。風呂の水は替えずに微生物をたっぷり育てたら、アトピーや虫刺されにも効くし、波動の力でリラクゼーション効果もあるというのに。
「とにかく近所に迷惑をかけないように!」
警察が乱暴にドアを閉める。ふざけんなよ、深夜に私の正義を邪魔しておいて。
増幅した怒りをぶつけるように、ドアを内側から思い切り蹴ってやった。


▽ ▽ ▷


せっかく仕事に行ってやったのに、近くのマンションで爆発事故が起きたとかで半休になった。
ニュースでは傾乱教とかいうカルト宗教の仕業じゃないかって、探偵ごっこが趣味の素人共が騒いでるが、なんで政府による自作自演だと気づかないんだよ、脳みそついてんのか?
この裏で重大な法律が改正されてるだろうがよぉ! 税金が海外に流されてるだろうがよぉ! 軍靴の足音が聞こえてくんだろうがよぉ!
思わず無事な方のスマホを地面に叩きつけそうになる。もしかしたら政府が国民を遠隔操作しているのかもしれない、こうやって衝動的な行動をさせて、買い替え消費を促して、税収を増やすつもりだ。舐めた真似してんじゃねえぞ、クソが!
怒りのあまり空を睨みつける。空には闇の政府が設置した卵型の観測気球が今日も浮かんでいる。忌々しい、あれで私たち真実を知る者たちの行動を監視しているのだ。
あんなに目立つのに政府と金を握らされた愚民共は誰も存在に言及しない。病気じゃねえよ、見ろよ、気球が浮いてんだろ! 写真に写らねえのはステルス機能だって言ってんだろ!

「……いたっ、ちゃんと前見て歩きなさいよ」

憤慨しながらケータイショップに向かっていると、存在自体が苛々する見た目の、小柄で男受けだけは良さそうな顔をした大学生くらいの小娘がぶつかる。しかもその小娘、妙に影が薄いものだから全然気づかなかったじゃないの。存在感がないんだったら、それこそ道の端っこを申し訳なさそうに歩きなさいよ!
でも急いでるから、特別に許してあげる。私はお前なんかと違って忙しいの。
小声で正当な文句を呟いて、そのまま小娘を横目で睨みつけて歩みを進める。すぐにさっきの小娘の見た目とか思い出せなくなったけど、所詮その程度の存在、いわばモブキャラとか雑魚キャラとかと同じだと思って振り返らないことにした。
その後はすぐに交換できる機種に変更して、ついでに電話番号も変えて、混んでるのに何故か両隣がふたり分くらい空いた電車に乗って、その間に新しいSNSのアカウントを取得しておいた。
鉄槌を下す準備は終わった。今月だけでスマホを3回も換えたから貯金が厳しいけど、真実に気づかない馬鹿共を気づかせるためだから仕方ない。きっと真実がもっと広がれば、アメリカの同志たちから活動費が振り込まれるはずよ。


▷ △ △


コンビニで発泡酒とポテトチップスを買ってからマンションに戻り、ドアに貼られた騒音クレームの貼り紙を無視して部屋に入る。
クレームはどうせ隣人のジジイか、反対側の若いカップルか、管理人のジジイか、あとは他の階のカス共、どのみち雑魚の糞みたいな奴の仕業だ。
そんなことより私は今から正義の鉄槌を振り下ろすのだ。
発泡酒をぐいっと飲み干して、ポテチを掌いっぱいに掴んで頬張り、SNSを開いてターゲットを探す。
今日も有象無象の知恵遅れの馬鹿共が、アニメだのタレントだのクソどうでもいいことで盛り上がっている。そいつらの目を覚まさせるために、片っ端から世界の真実を述べた動画のURLを貼りつけて、今日も真実を広める戦いに挑む。
「気づけよ、それは政府の目くらましだろぉ! なに言ってんだよ、男は電車に乗るだけで死刑にすべきなんだよ! なにが男女平等だ、だったらなんで私はいつまで経っても正社員になれないんだよ!」
今夜も指先に力を込めて、SNS、ユーチューブ、ニュースサイト、片っ端から真実を書き込んでいく。
早く時代が私に追いつけよ、手を煩わすんじゃねえよ!

絶好調で言論の銃弾を放っていると、鍵を掛けていたはずのドアが静かに開いた。
私は全く気付かなかったが、わずかに開いた隙間から何か差し込まれて、次の瞬間、なにげなく振り向いた私の眼前にものすごく速い何かが飛び込んできた。


今までに受けたことのない強い衝撃。
脳がぐちゃぐちゃに抉られるような気持ち悪い感覚。
視界があっという間に真っ赤に染まって、そのまま真っ暗になる。
ドサリと大きな物体が転がる音が聞こえる。
そのまま急激に寒くなって、静かに何も聞こえなくなった。


◎ ◎ ◎


世の中には信じられない馬鹿がいる。
例えば過去に個人情報を特定されて、名前も住所も丸わかりなのに、それでも他人への攻撃をやめない人間とか。そんなもん、どうぞ恨んでください、いつでも恨みを晴らしてください、って言ってるようなものだ。
今回の仕事は、まさにそういう大馬鹿を撃ってくれというもの。七面鳥を撃つよりも余裕で楽勝な、その割に金払いのいい最高で最低なやりがいのある仕事だ。

「あー、私、私。報酬の振り込みよろしく」

代理人にちゃっちゃと報告して、すぐに報酬を振り込んでもらう。
殺しても殺しても世の中から馬鹿と悪党は減らない。でも馬鹿と悪党が減らないってことは、私の飯の種は永遠に尽きないってことだ。
弾丸は撃てば無くなるけど、恨みと憎しみのループは永遠に続いていく。そのループの中にこっそり忍び込んで、弾丸ぶっ放して害虫を駆除するのが私たちの仕事だ。

「ふふっふふーんふふふー♪ ふふっふーふふふふーん♪」

上機嫌で鼻歌を歌いながら、思わず踊りそうになる衝動を抑えて夜道を歩く。
仕事の後は気分がいい、今回みたいな簡単な仕事の後なら特に。苦も無く労も無く、使った弾丸も1発だけ。トリガー引いて、後でバレルを溶鉱炉に放り込むだけのシンプルワーク。
それで何百万も貰えるんだから、馬鹿と悪党に感謝しないといけない。
サンキュー、馬鹿アンド悪党。明日も私の養分になっておくれ。


夜の闇の中で、月と白い卵だけがぼんやりと浮かんでいる。
私は誰もいない路地で右腕を掲げて、袖の中に隠した拳銃の引き金を引くふりをする。
私の名はテッポウ、殺し屋だ。


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