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短編小説「ふしぎな神様とチョコレートトッピングましましワッフル」

山の天気は気まぐれだ。
今朝は雲ひとつないくらい晴れていたのに、昼を待たずに爪の先くらいもある大粒の雪を降らせる。こんな日は早く家に帰って、炬燵に腰から下を突っ込んで、鍋でもつつくのが一番だ。
私は両手に買い物袋を提げて、無邪気に雪を見てはしゃいでいる娘と並んで、山の集落と町を繋ぐ県道を歩く。

「こら、そっちへ行っちゃダメよ」
「はーい」

山道へと向かうまだ幼い娘に声をかける。
娘は来年小学校に上がる。この時分の子どもは好奇心の塊だ。なにか気になるものを見つけたら、すぐにそっちへ走っていってしまう。

「ねえねえ、お母さん。なんであっちに行っちゃダメなの?」
「それはね……」

山には神様がいて今日は入ってはいけない日なのだと教える。

そう、山には神様がいる。
こんなことを言うと頭がおかしいと思われるから、娘以外には、夫にさえも言えないけれど、確かに山には神様がいる。
20数年前、この時期この場所で、私は確かに神様と会ったのだ。
あれは夢でも幻でも、子育てに疲れる女の妄想でもない。
まぎれもなく現実だ。

1999年12月12日――
忘れもしない、その日この場所で、私は神様と出会った。




中学校からの帰り道、太陽が傾いて空が橙色に染まる時間、この時間が1日で一番嫌いだった。
学校が特別に好きというわけではない、友達が多いわけでもない、親が厳しくて怖いというわけでもない。ただ、家に帰る、そのことが憂鬱で仕方なかった。

山と学校のある町を繋ぐ県道も、この時間に歩くのは怖くてたまらない。
朝はキラキラと輝いた路面も、赤と橙とアスファルトの色が混ざり合って、酷く気味の悪い色に見えた。家に帰ることがそう見せるのか、それとも太陽が隠れるこの時間がそうさせるのか。

私の暮らす家は某県の山中にひっそりと存在し、【家】と呼ばれる宿泊施設に【先生】と呼ばれる大人が数人、そして近い年の子どもたちが集められて暮らしている。家の周りには畑や材木置き場。それが複数集まって、ちょっとした村くらいの規模になってる。

お父さんともお母さんとも年に数回しか会うことが出来ず、朝は日の出前に起きて畑仕事や食事作り、朝7時を過ぎると1時間かけて学校まで通い、学校が終わると掃除洗濯に畑仕事。遊ぶ時間はもちろんなく、家にはテレビもラジオもCDも漫画も、クラスメイトが当たり前に持っている楽しみなど1つとして無く、口に出来るものも家で育てた米と野菜、あとは水だけ。
家は神様の加護で清められていて、外の世界は穢れた場所。
だから飴玉ひとつ、雑誌の切り抜きさえも持ち込むことは許されず、規則を破った子は容赦なく鞭で打たれる。

物心ついた時からそんな生活を送っていたからか、私はずっと家が嫌いで、先生が怖くて、神様はなんて残酷なんだ、と心の中で恨みを積もらせていた。
今まさに目の前で降り積もる雪のように。

1999年12月12日、今日は朝から喉が裂けてしまいそうなほど空気が冷たく、雪が当たり前に降るこの土地でも珍しい大粒の雪が降り注ぎ、私の足取りはいつもよりもずっと重く、ずっと遅く、ずっとずっと億劫だった。
そのため雪が足首よりも深く刺さる帰り道を歩く頃には、私の足は完全に止まってしまい、こんな時間には停まることのないバス停に座り込んで、ただただ憂鬱に身を任せて気分を沈めていた。


私の憂鬱は鞭だけではない。15歳の私は当然来年には16歳になる。
16歳になると家を出て、男子は遠くの場所にある工場で働くことになり、女子は教父様とみんなから呼ばれる一番えらい人の住む、山中の奥に建てられた【館】で暮らすことになる。

館は世界で最も美しい建物で、その美しさに見惚れた神様が夜な夜な天上の世界から降りてくる、と先生たちは言ってた。

そして16歳になった女の子たちは神様に見初められて、お腹に神の子を宿す。神の子を産んだ女の子は、神の子の母として特別な家で暮らすこととなり、神様に見初められなかった子は20歳になると他所の家の男の人と結婚することになる。

私たちは未来さえも神様の手の中に、ぎゅっと握り締められていた。


そんな茨の野のような未来は、とても明るいものには見えず、だからといって神様を疑うには家の教えが身に沁みつき過ぎていた。
だからこうして、憂鬱に身を任せて、じっと雪を眺めるしか出来ないのだ。


だけど、いつまでもそうしているわけにはいかない。
本格的に日が傾き、分厚い雲の向こうにある太陽が山の陰に隠れてしまうと、辺りはあっという間に真っ暗になる。
そうなると最終のバスがやってきて、そのバスには先生と親しい大人が乗っているから、家に連れ戻されてどんな仕打ちに遭うのか、とてもじゃないけど考えたくもない。
鞭では済まないかもしれない。
規則を破った上に反抗的な子は、足や背中に焼きごてで印をつけられるのだ。

あの時の肉の焼ける臭いを嗅いだら、普段は強気で体格のいい男の子が子どものように泣き叫ぶ姿を見たら、とてもじゃないけど先生に逆らおうなんて思えなくなる。
決められた未来さえも受け入れてしまう程、それはそれは恐ろしいものに見えた。

私は観念してバス停を離れて、とぼとぼと雪の中を歩きながら、家まで続くいつもの通り道を進む。そんなつもりになっていた。
実際は真っ暗で道標もない雪の中を、闇雲に歩きながら、普段は入ってはいけない禁忌とされている山道を進んでしまっていた。

そのことを教えてくれたのは、もちろん自分自身ではなく、先生やバスの運転手でもなく、心配で探しに来た家の子たちでもなく、ただそこに現れたひとりの少女だった。


「ヘイ、ミソカヨー。そこから向こうは神の領域だよ」


山道の向こうから声をかけてきたのは、真っ暗な夜でも見惚れてしまうくらい髪がさらさらで長く、目は丸くて愛らしく、手には甘い匂いのする小麦色の塊を持った、冬に似つかわしくないセーラー服に薄手のカーディガンを羽織った少女だった。
家の子たちの中にも、学校のクラスにも、こんな魅力的な風貌の少女はいない。そう思わせるには十分すぎるほど、少女の顔は色濃い線を引いたように私たちとは別物だった。

クラスの子がこっそり読んでいた雑誌に映っていた美少女、それが目の前に突然現れても、ここまで美しくはない。それくらい別物。

「あなた、誰? どこの子?」

少女は私の問いかけには一切答えず、手に持った甘い匂いのする塊をもぐもぐと口に頬張る。
今までの人生で嗅いだことのない甘い匂い。地面が雪で埋もれてにおいが消えているから、余計に強く甘く漂ってくる。
羨ましい。私も気兼ねなく甘いものを食べたい。

「おいしそうでしょ。マネ〇ンのワッフル、このあたりにお店ないからさー、遠出して買ってきたんだよね」

聞いたこともないお店の名前も知らなかったお菓子。家の外の子の暮らしは全然知らないけど、もしかしたらお菓子を買うために遠出するのも当たり前なのかもしれない。
それにしても多すぎる気もするけど。

少女はワッフルがぎっしり詰まった袋を抱えて、チョコ味だったり色んな種類のワッフルを齧る。
私たちには禁止されている食べてはいけないもの。
神様の加護のない穢れた食べ物は、なんでいつもあんなに美味しそうなんだろう。
涎が溢れそうになる。唾を飲み込む喉が止まらない。腹の中から地響きのような音が鳴りやまない。

「おやー、ボクのワッフルを横取りしたいのかい? 普通ならその図々しさに片腹痛さで腸捻転を起こしかねないところだけど、ボクは他の神と違って優しいからね。ひとつおすそわけーしてあげよう!」

わけの分からないことを口走りながら、少女はワッフルをひとつ、私の前に差し出してくる。
だけど、私はワッフルを食べられない。だって神様が禁止してるから。

「いらない。神様に禁止されているから」

私が首を横に振ると、少女は上半身を70度くらい横に傾けて、ううん、と唸り声を上げた。
「ボクはそんなこと禁止した覚えはないけど?」
「あなたじゃなくて、神様が禁止したの」
「んんー?」
少女は傾けていた上半身をバネのように跳ね上がらせて、頭を元の位置まで戻し、私の鼻にずぼっと指を差し込んだ。

「いいかい、人間の娘。人間が神にどんなイメージを持とうと、どんな勝手な解釈をしようと自由だけど、言ってもいないことを言ったとされるとボクの評判が悪くなる。そんなことを吹聴してる虚言癖ヤローのところへ連れていけ」


こうして私は、雪の中で出会った少し頭のおかしい絶世の美少女を、家まで連れていく羽目になったのだった。


「昔から人間は、神や仏を利用し続けてきたんだ。戦わないと極楽へ行けないぞーとか、悪いことをすると地獄に落ちるぞーとか、必死に修行したら現世の罪を洗い流してくれるぞーとか。まったく、ボクたちは1度もそんなことを言った覚えはないんだけどね!」

なに言ってんだろう、この子。自分を神様だと思ってるなんて、頭の病気か何かなのかな。

「自分が神様だとか言わない方がいいよ。頭がおかしいって思われるから」

私だって、みんなとちょっと違う感じで神様を信じてるせいで陰で色々言われるんだから。
でも、このくらいかわいかったら、そういうのも許されるのかな。世の中ってどこまでも不公平だ。

「私もあなたみたいな見た目だったら、本当の神様の話とか聞いてもらえたのかな」
「んんー? 本当の神様って?」

私は家から教えられた神様について、ちょっとかいつまんで話した。
家が神様の加護で守られていること。
外の世界は穢れていて悪魔が暗躍していること。
今年の7月に空から恐怖の大王が降ってくるって予言されてたけど神様が倒してくれたこと。
女の子は16歳になったら神様に見初められて子どもを宿すこと。
神様に守り続けてもらえるように毎日朝から畑仕事をしてること。
親が神様のために修行してるから滅多に会えないこと。

「なるほどねー。そんな奴はボクの知ってる限りいないけど、君たちはまたずいぶんと低俗で能なしの偽物を信じてるんだね」

昔、小学校でも同じクラスの子に偽物だと言われた。
そんなの本物の神様じゃないよ。悪い奴に騙されてるんだよ。カルト宗教だよ。
そんなこと言われたって、神様を信じていない子にはわからないよ。
私だって神様の子なんて生みたくないし、なんでこんな生活させられてるんだろうって思うけど、でも神様ってそうなんだからしょうがないじゃない。

「だってそいつ、ただのロリコンくそ野郎じゃん。そんなのがボクと同じ神だなんて、鼻で笑いすぎて蓄膿になっちゃうよ」
少女は指先で鼻を摘まむような仕草をして、袋の中からワッフルを取り出す。

「ほら、正真正銘本物の神様からのプレゼントだよ。後からワッフル代として魂をよこせ、なんて言わないから、遠慮なく食べるといいよ。ほらほらー」
「いいって。家に帰ったら口の中検査されるから、そんな甘ったるい匂いさせてたら鞭じゃ済まないもの」

まだ自分が神様だって言い張ってる。
でも、もし本物の神様がこんな感じだったら、今よりは少しは神様を好きになれるかもしれない。

「そういえば、君、名前なんて言うの?」
「■■七」

自称神様の少女に教えてあげた。
私は自分の名前が好きじゃない。7月7日の七夕生まれで、七がいっぱいあるから七と書いてナナ。
だって、そんな適当な名前、酔っ払いが思いつきで付けたみたいだから。

「ふーん。悪くない名前だね。100点満点ってわけでもないけど」



県道から外れて、車1台ギリギリ通れる幅の細い道を山に向かって1時間。そこに私たちの家がある。
家の周りは暗く、街灯も最低限しかなく、立派な3階建ての横に長い白い家が、雪に埋もれた畑の中に佇んでいる。
部屋の窓からはぼんやりと黄色がかった光が漏れ、山から下りてくる風の音は、まるで生き物の声みたいにも聞こえる。

まるで外の世界から隔絶されたような、私たちを守ってくれる神様の家。

そんな神様の家で、いつもより遅れて帰ってきた私を待っていたのは、男の先生による容赦ない平手打ちだった。
口の端が切れて血が流れるほどの平手打ちの後は、雪が降りしきる中での正座と反省。

先生がいなくなってから出てきた少女は、呆れたような、憐れむような目で私を見下ろし、
「まったく人間というのは年々アホになっていくなあ。君が怒られてる間に色々見せてもらったけど、こんなカルト宗教、とっとと縁を切った方がいいよ」
肩をすくめて右手で何かを切るような仕草をしてみせる。

そんなこと言われても私はここで生まれて、ここで育ったのだから、何をどうしろというのだ。

「こんなイカレポンチ共に神なんて語られたら、私の株価は大暴落だな。明日には地面に穴掘らないと確認できないかもしれないなー」

少女はおどけながら、まだ自分を神様だと語るのだ。

だったら私を助けてよ。神様なら、なんとかしてよ。

「だから人間はアホだって言うんだよ。君たち、神を便利な道具かなにかだと勘違いしてない? 人間は人間の都合でしか生きてないでしょ。神は神の都合でしか動かないわけよ。祈り? 願い? 修行? 信仰心? そんなのは神とは一切無関係、知ったこっちゃない。だって君たちもその辺のスズメや山鳩の願いを聞いてあげたことないでしょ」

一瞬、かわいらしい顔とは対照的な、ぞっとするような瞳を見せてから、少女は袋の中のワッフルをまたひとつ齧り、
「だけどまあ、ちょうどボクの都合があるんだよねー」
齧りかけのワッフルを袋に戻して、にやっと笑みを浮かべた。


「そろそろ腹ごしらえしとかなきゃって思ってたんだ」


館までの道を歩きながら、少女は教えてくれた。
神は人間の食べ物も口にするけど、それで腹が膨れることはない。少女は甘いものが好きだけど、それはあくまで味覚を満たすためで、食事としては神の栄養になる食べ物を食べないといけない。
老いも病みもない神であっても、食べなければ飢えて死ぬ。
飢えと死からは逃れられないのだと。

「あの世へウェルカムってやつだね! 飢えだけに!」
しょうもない冗談を口にしながらケラケラと笑う。


高く積もった雪をかき分けて、館の裏の窓から、こっそりと中を覗く。
部屋の中には布の1枚も纏っていない教父様が、泣き喚く女の子を組み伏せて、腰を前後に動かしている。
ベッドの上には赤い染みが点々と散らばり、床には乱雑に置かれた服に使い方がよくわからない棒状のもの、テーブルには青臭くて甘い匂いをさせる妙な煙草、注射器、アルコールランプ、スプーン、手錠、すっかり見覚えのある鞭。
女の子にも見覚えがある。今朝16歳になって館へと移り住んだ1歳年上のお姉さんだ。優しくて真面目で、外の学校でも周りと上手にやっていけるような、そんな子だった。
そんな子を無理矢理組み伏せているのは神様ではなく教父様。

神様が館の美しさに見惚れて天上の世界から降りてきて、女の子を見初めて神の子を授ける。
私たちはずっとそう教えられて、本当にそうだと信じていたのに――

「わあ、えげつないね。尻に入れてるよ、尻に。あの中年男、アダルトビデオかなにかの見過ぎだなー。ほら、ボクの言った通りだろう、正真正銘のロリコンくそ野郎だ」
少女は館の中を指さして、空気も読まずに自説の正しさを言い放つ。

「うるさい!」

私は思わず大声を上げる。
もうなにが正しいのか、なにを信じていいのかわからない。

「うるさいって、本当のことを言われて怒ったらダメだよ。本物の神はボク、あれはただのロリコンくそ野郎。人間の小娘に発情して、ちんちんおっ勃ててる奴なんて、神なわけないでしょ。それは認めなきゃー」

「神だ神だって、この世に神様なんているわけないじゃん! お母さんもお父さんも家の人たちもみんな嘘つきだ!」
涙と吐き気が体の内側から溢れるようにこみ上げてくる。

「嘘つきはみんな死んでしまえ!」


「大丈夫だよ。君の願いとは無関係に、ボクは大食いだから」


少女はあっけらかんとした表情でそう告げて、夜中の大声に駆けつけた館の人間の腕を掴んで、ずるりとなにか影のような塊のようなよくわからないものを引っ張り出す。
駆けつけた男は意識を失ったように地面に転がり、少女は苦手な食べ物を眺めるような目で、引きずり出したものをパンのように捏ねて、ワッフルの形に整えて一口で平らげる。

「ぬあー、まっずい! 今の人間はクソ不味いから嫌い!」

顔をしかめて不平不満を漏らしながら、さらに駆けつけた人たちから次々に、なにかよくわからないものを引っ張り出す。
途中、目の前で起こる理解の外の出来事に取り乱した、私を平手打ちした先生にスコップで殴られたりしたけど、血を流すことも怪我をすることもなく、先生からもなにかを引っ張り出し、丸めて、潰して、お菓子の形にして、齧って、不味い不味いと文句を垂れる。


怪異だ。これはきっと、妖怪とか物の怪とか、そういったものが引き起こす怪異だ。

もしくは悪夢だ。きっとこれは悪い夢で、目が覚めたら私は布団の上で、またいつものように眠い目を擦りながら畑仕事をするんだ。


「一体どうした、騒々しい」

教主様が窓を開けて、だらしなく太った体を覗かせると、少女は教主様の手を引っ張りながら、もう片方の手で、影絵のキツネのように、人差し指と小指を立てながら親指と真ん中2本の指をくっつけて、先端を教主様の頭にズドンとぶつける。
教主様は目からも耳からも血を噴き出しながら後ろに引っ繰り返り、少女はキツネの指のまま、腰を落として変な構えを取っている。

「ロリコンくそ野郎の魂なんて、神の食事としては質が悪すぎる。粗悪品! 賞味期限切れ! シェフの気まぐれ失敗生ゴミ! 食べるに値しないゴミはゴミ箱へ!」

キツネの形の指には教主様から抜けたよくわからないなにかが引っ掛かっていて、少女はそれを丸めて、ゴミ箱に洟をかんだティッシュでも捨てるようにポイっと放り投げた。

「おぎゃあ……おぎゃあ……あんぎゅあぁぁ!」

教主様が赤ん坊のように泣き出す。

私は呆気に取られたまま、その後起きる一部始終をすべて、ただ黙って見ていた。


教主様に組み伏せられていた16歳の女の子から、少しだけなにかを引き抜き、少女ががじりと一口噛み千切ると、後で判明したことだけど、おおよそ1年分の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

騒ぎに気づいて集まった大人たちから次々となにかを引っ張り出して、ワッフルにドーナッツにどら焼きにシュークリームに、次々と甘いお菓子の形に変えて食べては、不味い不味いと顔をしかめた。
丸ごと食べられた人は、みんな亡くなってしまった。


「ミソカヨー。ここは今から神の食卓だ、みんな腹いっぱいお食べ」

少女がスカートを摘まんでたくし上げると、中から小鬼や半人半獣の妖怪、無数の鳥、熊に猪に鹿に猿、真っ黒い形の整っていない塊が、家や畑を埋め尽くさんばかりに溢れてきて、どれもこれもが不味い不味いと言いながら、大人も子どもも綯い交ぜに引き抜いては齧り、咀嚼し、貪っていく。


怪異か悪夢が広がる中、お母さんが雪の中を走ってくるのが見えた。もしかしたら私を心配してくれたのかな。

「七! 何が起きてるの!? 教主様は!?」
「……お母さん」
久しぶりに見たお母さんは、気が触れてしまいそうな顔をしていて、私は驚きと同時に滑稽さを感じてしまって、思わず笑ってしまいそうになる。

「……わかんないけど、この子、本物の神様なんだって」
「へい、どーもー、近所に住んでる神だよー」

少女はへらへらと笑いながら、捕まえてる大人からまたなにか引きずり出して、不味い不味いと言いながら丸めて食べて、お母さんに向けてひらひらと手を振っている。

お母さんはなにを思っているのか、悲鳴をあげながら私を抱きしめて、ぎゅうっと両腕に力を籠める。
温かい。きっとお母さんは私が危ない目に遭ってると思って、守ってくれてるんだ。

「神様! この子はどうなってもいいんで、私だけでも見逃してください!」

……え?

「えー? なになに? 命乞いのつもりー?」
「私は今までずっと! 20年以上神様に祈りを捧げてきました! 神様、あなたに会えて嬉しいです! この喜びを遠くにいるみんなに伝えたいんです! ざっと見たところ、大人は私以外みんな倒れていますし、私しかいないと思うんです! だから――」

お母さんは変な薬でもやってるのかってくらい目を見開いて、目の前の少女に向かって頭を下げ、地面に手を突いて、必死に懇願している。自分の娘ぐらいの年齢の少女にでも、いくらでも媚びる。言われたら泥のついた靴の裏でも舐めてしまいそうな、それくらいに必死に。

「そうだねー。うーむ……」
少女は顎に指を当てて、かわいらしく小首を傾げて、しばらく考えた後に最悪の結論に達した。

お母さんの顔に、ごりっと靴の裏を押し当てて、今日一番のキラキラした、スクリーンで見たら同年代の男子が秒で恋に落ちてしまいそうな笑顔を向ける。

「よし、舐めろ。泥が取れてピッカピカになるまでなー」
「はい、舐めます! ですから命だけは!」

目の前で実の母親が、靴の裏の泥をべろりべろりと舐めている。
この世でこれ以上惨めなことってないと思う。胸の奥が張り裂けてしまいそうなくらい痛い。大粒の涙が止まらない。
悔しいのか悲しいのか、それとも私を捨ててでも生きようとする浅ましさが見ていられないのか、とにかくなんだかよくわからないものが目から溢れ続ける。

「実の娘を差し出すから、代わりに自分は見逃して欲しい。だって自分は神様にずーっと祈り続けて、神様に会えたことを他の人に伝える使命があるから……なに、それ? 屁理屈通り越して、パンツにうんちがついてんだけど」
少女は見下げ果てたと言いたげな顔で、必死に舐め続ける、かつて母だった女の顔に、さらにゴリゴリと靴の裏を押し当てて、そのまま女の顔を蹴り抜いた。

女の後頭部から、よくわからない塊がずるりと抜け出て、かろうじて背骨のあたりで繋がったまま、そのまま母だったものは呻き声のような悲鳴のような、本能で吐き出している音を鳴らし続けながら、雪の中をバタバタと両手足を動かしながら進み、そのまま雪の中に突っ伏してジタバタと手足だけを動かしている。

少女はその様子を眺めながら、足先で半分だけ千切り取ったなにかをポンと蹴り上げて、口をあんぐりと開けて落下した母のなにかをごくりと飲み込む。

「うへー、まっずい! 世界一クソ不味い! 生うんこ味! 最悪!」

少女はぺっぺっと唾を地面に吐きながら、眉間にぎゅっと皺を寄せる。


「……ねえ、お母さんに何をしたの?」

お母さんだったものは、雪の中をジタバタと動き続けている。どこかで見た動きだなと思ったけど、すぐに思い出した。夏に見た死にかけのセミと同じ動きだ。

「んんー? 見てわかんなかった? 食事だよ、しょ・く・じ」

少女はスカートをたくし上げ、外に出ていた無数の妖怪みたいなものたちを集めて、ひょいっと隠してしまう。それから華麗にスカートをひらりとはためかせ、その夜のすべてを収束させた。

「昔の人間は貧しくても美味しかったけど、今の人間はクソ不味いから、お菓子の形に直さないと食べれたものじゃないんだよね。それでも、この通りだけど」
少女は舌を出して、べーっと吐き出すような仕草をする。
そんなことを聞いたんじゃないんだけど。


「あなた、なんなの?」

「だからずーっと言ってるでしょ。神だよ、この辺りの山の神」



自称神様の、本当に神様だった少女とはそれっきり。
死者28名、軽度の記憶障害75名、精神疾患2名の被害者を出した謎の事故は、原因不明のまま幕を閉じた。

それもそうだ。神様が気まぐれで全部食べた、なんて警察に言ったって信じてもらえるわけがない。


私含めて、かろうじて社会復帰出来そうな子どもたちは、それぞれ親戚や保護施設に送致されることになり、長い間自由も生き方も縛り続けてきたカルト宗教「神籬の家」は、各地に点在する支部を除いて一夜にして壊滅してしまった。


家の教えが間違いだったと知り、信仰心とやらがなくなってしまうと、世界で最も穢れのない場所と教え込まれて育った場所は、ただの薄汚い家畜小屋にしか見えなかった。
世界一美しい館も、よくよく見たら壁はシミだらけの古びた悪趣味な、廃墟にでも間違えられそうな洋館だった。


それから私は親戚の家に預けられ、普通のどこにでもある家庭の子になった。
当たり前に与えられるはずのものを手に出来なかった遅れを取り戻すには、15年という時間は長すぎた。
苦労は塵のように積もったし、掃いても掃いても宙を舞うだけで消えてくれない過去に悩まされた。

けれど、少しは幸運も舞い込んできて、平凡でだらしないけど優しさだけが取り柄の男と出会い、必然のように交わり、偶然のように赤子を授かった。

神の子でも宗教の子でもなく、なんの変哲もない男と私の子だ。
9月3日に生まれたからクミ。
母から貰った名前をさんざん悪く言ってたものの、私も母と同じように名前を付けるセンスが欠落していた。
夫はいい名前だと褒めてくれたけど、こんな雑で適当な名前に良いも悪いもないだろうと苦々しく思ったことは、今も心に残り続けるぐじぐじに膿んだみっともない傷だ。

その傷を開いて覗くと、川底のように過去やトラウマやコンプレックスが沈殿し、泥濘し続けている。

その腐土色の泥を見る度に、私は母親を食われた恐怖と、少し喜んでしまった後悔に苛まれてしまうのだ。



時は雪解け水のように流れた。



2022年12月12日、ずいぶんと大人になった私は娘を連れて、アパートと町を繋ぐ県道を歩いている。
昼を待たずに降り出した大粒の雪は、段々と地面を白く染めていく。
あの日もこんな雪の日だったなあと思い出にふけっていると、油断も隙もない好奇心旺盛な年頃の娘が、また山道に入ろうとする。


「ヘイ、ミソカヨー。そこから向こうは神の領域だよ」


山道の向こうから、見惚れてしまうくらい髪がさらさらで長く、目は丸くて愛らしく、手には親の仇とでも言わんばかりに色とりどりのトッピングを乗せたドーナッツを抱えた、セーラー服に薄手のカーディガンを羽織った少女が歩いてくる。
あの日あの時に見たものと、ほとんど変わらない姿で。

「おや? 君はどこかで見たような気もするし、やっぱり気のせいのような気もするなあ」

20数年ぶりに会った神様は、おそらく私のことはすっかり忘れていて、仮に覚えていても20年以上も経っているのだ。
私を私だとは気づかないだろう。
私も神様が人間並みに年を取っていたら気付かなかっただろう。

だけど神様は神様なので、あの時と変わらない姿をしている。


「ドーナッツ! ドーナッツ!」
娘がドーナッツに気を取られて、ぴょんぴょんと体を上下に動かしている。

「おやー、ボクのおやつを狙おうだなんて、なかなか豪胆な女の子だねえ。その豪胆さ、いつもだったら片腹痛くて下痢しちゃうとこだけど、七つまでは神のうちというからね。特別にドーナッツをおすそわけーしてあげよう!」

「ありがと、おねーちゃん!」
神様は娘にドーナッツを手渡し、にこにこと笑いながら右手をヒラヒラと動かしている。

私は静かに頭を下げて、娘の手を引き、県道から脇道を抜けて家路へと足を急がせる。


道路一本挟んで私たちと神様がいる。
神様と人間は決して交わっていはいけないのだ。


しんしんと雪が降り続ける。やがて県道も山も、なにもかも真っ白に塗り潰すだろう。
その雪が解けた頃には、春が訪れ、娘も小学校に上がる。

そうだ、その前に都会に引っ越してしまうのもいいかもしれない。

過去を捨て去ってしまうには、きっと良い季節だ。


(終わり)


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今日は12月31日です。時刻は午前6時50分頃です。

大晦日よーってことでミソカヨーなお話を書きました。

大晦日、いかがお過ごしでしょうか?

私は今からお肉を焼いて日本酒を飲もうと思っています。今年はちょっと、いやだいぶ? かなり奮発して久保田の千寿を買いました。おいしいです。


以下、ざっくりとQ&Aです。

Q.どうして神様は美少女の姿なんですか?
A.甘いものを買うのに女子学生の姿が一番適してるからです。やろうと思えば大人なレディから幼女から自由自在です。

Q.作中に出てくる宗教ってモデルはアレな会ですよね?
A.アレな会とセックス教団を混ぜた感じです。

Q.どうして人間は昔より不味くなったんですか?
A.文明が発達すればするほど社会の倫理レベルは上がるけど、個人の精神年齢は下がるという持論を持ってるので、神的には現代人は不味いって設定にしました。だって不味そうじゃないですか。

Q.神様はなんで甘いものばっかり食べてるんですか?
A.人間が不味いからお口直しです。仮に人間の主食がぜんぶクソ不味くなったら、栄養にならなくても味覚を満足させる娯楽が誕生すると思うです。

Q.神様はどういう名前ですか?
A.山の神なので名前はありません。

Q.ドーナッツ代やワッフル代はいったいどこから……?
A.山の中で遭難した人を助けてあげて、その代わりにお金を全額いただいてます。もう助かりそうにない場合は食べて、お金はいただく、とですね。顔がかわいいだけの山賊みたいなものなので。


良いお年を!