見出し画像

視野は広くても狭くてもいい。

パピコ半分あげるから、どうか怒らないで最後まで読んでね。
 
よく大人が言う「視野を広くしろ」。これは、実は役に立ちにくいアドバイスだと思っています。

たいがい「視野を広くしたい!」と海外に行く人は、何も変わらないまま帰国している人9割ですしね。

今日はもう少し科学的なところから解説してみましょう。
 
少し前にベストセラーになった「君たちはどう生きるか」。主人公は、途中で

「人間って実はただ分子から成り立っている」

ということに気が付きます。そして、自分の視野について言及していきます。

そこで視野を自由自在に定義することが重要だと気が付くのです。あ、難しいですね。もう少しシンプルにいきます。
 
「視野を広くする」のが悪いのではなく、視野(スケール)を自由自在に変えることが出来る考え方が大事なのです。広くても狭くてもよくて、それが時と場合に変えることが出来るかということなのです。

視野が一定にしか出来ない人は、いくら海外に行ってナイアガラに行っても本質そのものを変えることは出来ないのです。そんな人は、毎日同じ考えで、同じ不満を繰り返すでしょう。
 
視野を大きく持ったり、時には小さく細かい部分に集中させたり出来る人は、発想力が大変高いように思いますし、話していても飽きません。
 
人間が分子で出来ているという点からみると、大きなスケールでは

“命がある、ない”

というだけ。

小さい部分に焦点を当てると

“日常でいかに苦しみを小さくして楽しく生きるためにどうしたらいいのか”

というところになります。私は動物の生態(人間含む)に興味がありグッと入り込むのですが、そこは私の視野が狭い部分、その他に関する広い視野の部分はほとんどどうでもいいのです。生きていれば、命があるか、ないかだけだからです。
 
大きな視野にだけ意識をしすぎると、意識的に何かをしているだけで人生を消費します。他人ばかりを意識する人生です。自分の興味あるもの、自分のしたいことに命を消費する時間があってもいいのではないでしょうか。
 
大きな視野、日常の視野、小さな視野、自由自在に。

そう、人生はもっともっと自由になるはずです。


私の趣味は蟻の観察というスケールの大きなものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?