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Dived in!

50歳を機にファンキーに生きることを決めた私。

どうして人を下げて違う人を上げる(褒める)ことをするのだろう。
ここ最近、下げられる方の私は思う。
ある飲み会に参加した女性は25歳の子と50歳の私の2人。男性たちは25歳の子が若い、可愛いと言い、私がなにか発言すればキツい、意地悪だと言っていた。
そりゃ若いだろ。私も含めてあなたたちより半分の年齢なんだから。
そして先週金曜日の飲み会。
みんな憧れの秘書女子との飲み会で同じことが起きた。私、この日飲みに行った男性には若さを比較されて嫌だったという話していたのに、彼もまた同じようなことをした。
秘書がこんなに気さくで楽しい人だと思わなかった、可愛くて楽しくて最高だ。
それでいいじゃない。楽しい女性だから私も誘ったのよ。
が、彼は続けた。
その日明るい水色のパンツを履いていた私を「◯◯さんほんとかわいい。それに比べてあの色のパンツ履いてる雅さんはドラえもんみたい」という。
いいじゃない!あなたは可愛いでいいじゃない。なぜ私を引き合いにだすの?

二日酔いと比較されて悶々とした土曜日。
この日は海外から友達が日本に来ているので会う約束をしていて、新宿2丁目の飲み会に誘われていた。
50歳にして初2丁目。知らない日本の一部。
「ああ、なんて私の知ってる世界は小さいんだ」と、心の底から思った。
すぐ近くにある伊勢丹は大好きで来ているのに、そのすぐ近くの少し歩いたところにある私が知らなかった街。知らない日本。
お店の外で立ったまま飲むスタイル。いろんな人が次々やってくる。彼の友達、友達の彼氏、その友達の友達、その日たまたまそこにいた人。会う人会う人に私を紹介してくれ、名前を言い合い、握手をする。
私は英語を話せるけど、日本語を話せる人の前で英語を話すのがいやだ。だから話さない。英語で話しかけられ、日本語で返す。日本語がわからない人には誰かが通訳してくる。なんと勇気のない私。ファンキーじゃないじゃん!
友達の友達の日本人女性も2人来た。それ人たちがまた素敵。
ひとりの女性は私より年上そうで、ショートのトップスを着ていてお腹が見えていて、シャネルの小さなバッグを持っている。ステキ。
もうひとりの女性は笑顔がとっってもステキで優しく、みんなにフラット。

友だちの仲良しさんの彼は30歳。
なんと27歳下だという。
ということは今57歳。それが全然見えない。
「27歳以降は年取ってない」って言ってたけどまさにそんか感じ。
「若い子の生き血を吸ってるからだよ」って他の人が言ってたけど、生き血を吸えるチャンスをものにしてるってこと。

ビールを飲みながら、街をみながら、行き交う人を見ながら、英語の会話を聞きながら考えていた。

なんとまぁ、私は小さな世界に生きているんだ!

今朝は朝早くに気分よく目覚め、今モーニングを食べにきている。
今日も暑い。今日はお気に入りのトップスを着よう。いつもは腕を隠すために着ているカーディガンも着ないでいこう。
そう思って家を一歩出たらすれ違う人の考えを妄想してしまう。
チラリとこちらを見たら「太いのに腕出してるって思ったかな」とか。お店に入る前にも一旦躊躇(笑)
それでも自分の好きな格好で歩くのは気持ちいい。腕も陽にあたれて喜んでる。

「比較されている」と思っていたけれど、こうして書いてみるともしかしたら私自身が誰かと比較しているから、それが他者の口を通して伝わってきているのかも、なんて考えている。

どこの誰かも知らない人とその日会って名前を伝えて、握手をして会話をする。違うお店に移動して数時間後、最初のお店の前を通ったら人が入れ替わっていた。
「さっきいた人誰もいないでしょ?みんな来ては出て行くんだよ。明日になればまたいるかもね」そう教えてもらった。

ひとつのところにとどまり、そこを正しいと、これが正しいと思ってきたけれど、50歳を機に、少しグラグラする場所に行くのもいいかもしれないな、なんてことを考えている気分のいい日曜の朝。

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