胡散臭い名前にこめた想い

『希望の会』

早期発見が困難で、治療法もない。
そんなスキルス胃がんの会の名前が

『希望の会』

それは、夫が思った「同じ病気の人に会ってみたい」から

始まりました。

ブログ。

個人的な体験が書かれているから、決して、そこからの情報はメリットだけではない。

いわゆる「言論の自由」と「同じ価値観で盛り上がる」ことは

時に、怖いくらいの共感を生んでしまうこともあります。

ただ、とても孤独な時、同じような人をブログにみつけることが

力になったりもします。

夫は、ブログでスキルス胃がんの人を探し続けました。

数名の人を見つけましたが、多くは途中で途切れている。

それが何を表しているのかは、言わずもがなです。

それでも、現在、更新している人もいて、夫はその人たちに

Messageを送っていたようです。

そんな中から、数名が『会ってみたい』ということになり

2014年10月16日に、大阪に集まることになりました。

数か月の余命とともに告知を受けてから10カ月。

人ごみを怖がり、人の目を避けてきた私たちは

新幹線に乗りました。

不安よりも、期待がありました。

待ち合わせは梅田の大丸前。

5人の人が集まったのですが、なぜか、顔も知らないのに

わかったんですよね。

それは、マスクをして、ウィッグか帽子を被っていて

みんなスマートで、そっと周りを見回していたのが同じだったからです。

確かめた瞬間、言葉もなく、涙を流し、お互いの手を握っていました。

やっと会えた。

同じ思いの人に会えた❢

大丸の上階のお店に入り、いつもは食べ物の匂いに吐き気を催してしまう夫が、いきいきと話始めました。

基本的な説明が必要ない。

どうしてがんになったのかとか

そんなことを聞かれたりしない。

会った時より、みんながどんどん元気になっていくように見えました。

帰りの新幹線の中で

「決めた❢ 患者会を作るよ。

僕たちの想いが、僕たちの命と共に消えてしまわないように」

何言ってんの?
こんな状態で、そんなこと、出来るの?
でも、夫は本気だったのです。

その後、出会った5人で話し合い

『希望の会』を設立しました。

私は「なんか名前が胡散臭い」と夫に言ってしまいました。

「胡散臭いなら、胡散臭くないように行動すればいいでしょ?」

そこから、夫は、友人にも声をかけ、助けてほしいとお願いし

希望の会をNPO法人として正式にスタートする準備に入りました。

体調と相談しながら、机に向かい、申請の書類を作る日々が始まりました。

そんな姿を横目で見ながら、私はただひたすら

生きているうちに発足させてあげたいとだけ思っていました。

実際、NPO法人として認可されたのは2015年3月。

その発足の前後に、相次いで、あの時に大丸に集まった人が

旅立っていきました。

夫は、2015年2月から1カ月間、治療を求めて金沢に通院していました。

まだ、北陸新幹線開通前。

片道5時間を通いました。

全ては、もう少し生きていくために。

3月15日。希望の会がNPO法人としてスタートした時

北陸新幹線が開通しました。

これで通うのが楽になると思っていましたが

その前日に、夫の骨転移がわかりました。

また、道が断たれました。

新幹線開通を祝う喧騒の中、私と夫は、無言で金沢の街を歩き続けました。

桜が咲いていました。

「桜は見られないと言われたけれど、あれから2回目の桜だね」

長い沈黙の後、夫がつぶやき、そして大きく息を吸いました。

「なるようにしかならない。だから絶望するのは、まだ早い」

頷くのが精一杯でした。

その後、夫のブログにこんな言葉を見つけました。

これが、夫が【希望の会】に託した想いです。

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ここから、夫のさらなるチャレンジが始まります。

それは、週末に開催する胃がんキャラバンin富山が終わってから

また、書いてみようと思います

(つづく)


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。