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一度死んだから言えること!

◎本当の意味で苦しみの始まり

ようやくICUを卒業し、一般病棟へと移れることになりました。
2階にあったICUから繋がってる隣の病棟へとお引越し。
なんせベッドからストレッチャーに移され、そのままエレベーター前に連れていかれたのですが、向こうの部屋が受け入れ態勢が遅れていたようで、その場で待機していました。

その時に入浴をしてくれた介護士さんが、手足の伸び切った爪を切り、くせ毛で絡みまくった頭髪を整えてくれたのです。そして、涙ぐみながら私を見送ってくれて、ICUでの生活にピリオドが打たれたのです。

移動中はベッドの枠で景色も何も見えません。その病室は病棟の最上階である9階の一番端っこの部屋でした。一応は個室という状態でした。ですが、一部にベニヤ板を張ってカーテンが引かれていました。そんな事もこの時には理解していなかったのです。後にこの事で嫌な思いをするのですが、それはまた別の投稿で・・・。

新しい病室へ移ったのは、年末の29日頃だったと思います。

看護師「もうすぐ正月で、年始は病院自体が休みになります」
   「人手が足りなくなるので迷惑をかけるかも」

と言った話をしていたからですが、既に自分が家族とクリスマスに面会した事を忘れていますし、年末年始だとは理解していても、そこに何の感情も湧くことはないのです。もちろん家族への思いもありません。

ただ「そういうことなんや」という、事象に対する理解が起こっただけなのです。ある意味でAIとかロボットとかって、こんな感じなのかもしれませんね。彼らには”理解”しかないからなのでしょうね(笑)

話は戻って、その時の私は毎日の対応が悪くなったと感じていて、看護体制が不満でした。ベッドのソファの固さもランクが下がっているし、ICUで使っていた柔らかいアイスノンは無く、保冷材の大きなものしかありませんし、柔らかいタオルや毛布も無くて、看護師の態度にも人によって凄い差がありました。

簡単に言えばICUは高額治療の場であり、何事も上級の物を使っています。当たり前のようですが、そこから移動してきた私には、一流ホテルからシティホテルへと変わったようなもので、不満だらけなのです。後のリハビリ病院からすれば、これでも高級なんだとわかったのですが、その時はそういう気持ちでいっぱいでした。(笑)

この頃は、薬が変わってきたようで、日々身体が熱に悩まされていて、真冬なのに暖房を消してもらい、タオルケット一枚にしてもらっていました。しかし、それが朝方になると急に冷えてきて凍えるようになり、布団を貰わないと寝れないのです。

そして、それを伝える術がないのです。ナースコールがあるやんと思うでしょうが、おバカになっていた私には、そんなことには気づけません。看護師も伝えてはくれません。私がおバカな状態とも知らないからです(笑)

声が出せない私は、動きにくい手を使って頑張ってベッドのマットを叩いたり、ベッドの枠をガチャガチャと鳴らして、呼ぶのですが誰も気づいてはくれません。たまたまチックの病室に呼ばれた人が、気づいてくれた時に対応してくれるだけなのです。

実は、転院の前に車イスの練習をした時に、自分がナースセンターから一番遠い、端っこの病室に居たことを初めて知り、「そりゃ誰も気づかないわな」と思いましたもん(笑)

ちなみに、その時の私の肺は回復に向かっているのですが、それがどんな苦痛を引き起こすのか?なんてわかっていませんでした。感覚が戻れば戻るほど、いろんな理由で体中に苦痛が起こるばかりなのです。

「人って死ぬ方が簡単で苦痛が無い。何もなくなるのだから」
「生きてるってすごい事なんだ」

と、今ではつくづく思いますが、年末の時にはそんな余裕も無かったのです。3分の2の肺がダメになっていた私に起こった事とは?


次回に続く!









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