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一度死んだから言えること!

◎幻覚妄想の日々、中南米編

ICUで目覚めた私は”自分”であることは分かっているのですが、どこか他人事で実感のない入院生活は、言われるがままの檻の中のペットのようでもありました。

いつも全身に熱を帯びており、暑くて暑くてダラダラと汗を流していたので、いつも看護師さんが気を利かせてくれて、汗を拭いてくれた上で硬くならない柔らかいアイスノンを持ってきてくれました。

主に枕にしてくれていたのですが、このころは動悸がおかしかったので、同時に左の脇の下を冷やすと心臓が落ち着いて眠れました。ちなみにICUの看護師さんはとてもやさしいです。僕みたいに放っておくと死にかねない患者ばかりだから(笑)

※身体の状態については笑えるくらい使えなくて、この件については妄想編が終わったら書こうかと思います。

前回書いたように、死にかけた私にはたくさんの薬が投与されています。人は死にかけると血中酸素濃度や血圧が低下してしまいます。そのことで血液にアドレナリンを入れて、一時期的に血圧を上げるということをします。私にももちろん投与されてあります。

たぶんこれの関係で、生き返ってからも血圧が異常に高くなっていて、動悸つまり脈拍が、寝ているのにも関わらず120以上ありました。いわゆる興奮状態が続き、バセドー氏病のような症状になっていて、その後2か月も続き私を悩ませました。(リハビリの章で書きます)

だから突然「夜だよ。もう寝ましょう。」と看護師に言われても、当然寝れるわけでもないのですが、そこはER直結のICUですから、毎晩21時になるときちんと眠剤をくれるのです。というか点滴に入れてくれます。そうやってようやく眠りにつくのです。

しかし、その眠りで見る夢が4K並みの鮮明さで、リアリティたっぷりな強烈なものでした。今だから笑えるのですが、当時はリアルすぎて夢という自覚がないので、何がなんやらなの映像の中で踊りている自分がいるだけで、そしてそれを疑問に思わないと言ったおかしさでした。

そしてそれを説明する声を私は持っていないので、どうにもならない夜を何度も過ごすことになるのです。


ある日の夢は、クレージージャーニーに出てくるような中南米の危険な国が舞台で、僕は大勢の人と一緒に封鎖された国境検問前に居るのです。そこでこの危険な国から、早くに脱出しなければならない焦りでいっぱいでした。

検問所にはバリケードや軍用車が置かれてあり、スムーズには進めないというか止められているのです。人々は押し合いへし合いながらそこへ突入していくので、身体が圧迫されて身動きもろくに出来ない状態で、私は必死に訴えていました。

そして検問には屈強な兵士が2名居て、警棒で入り込もうとする人々に暴力を働いていたのです。それでもたまに検問を通過できる人もいたので、人はどんどんと押し寄せてきます。

その筋肉お化けのような大男のうちの一人が、僕の捕まえてバリケードの中へと引っ張り入れました。何を言っているのかわかりませんが、とても危険な言葉を発しているのは分かりました。一人はニヤニヤと笑いそれを見ていました。

「私は帰らなければならないから、ここを通してくれ!」
「私はこの国の者では無いから解放してくれ!」

国境の向こうにある自由へ必死に手を伸ばして居ましたが、私を引捕まえた男は私のズボンを脱がし、肛門の検査をして麻薬の持ち込みが無いか検査を始めました。そして最後はそのまま犯されそうになって、大声で助けを叫んでいると、隣では兵士に逆らった男性が殺されていました。

「ぎゃー」っと叫んだところで目が覚めました。私は助かったのだと胸をなでおろしたのです。夢なのにね(笑)

汗が滝のように流れている自分がそこに居て、周囲は何もなかったような静寂さを保ち、遠くの窓に薄明るくなって明け方の時間だったのです・・・と思っていましたが、私のベッドの高さでは窓の位置は分かりませんし、どこに窓があるのかも知りません。気が付いて目を覚ました自分もまだ夢の中だったのです(笑)

ちなみに私はアメリカはもちろんですが中南米に行ったことはないのですが、なぜあんなにはっきりくっきりとした状況の夢が見れたのか、不思議でならないと思っていたのですが、これが妄想だと築いたのはずっと後の事でした。そんな夢物語なのに、今でもはっきりと覚えているのが不思議です。

はっきりと言えるのは、それがしばらく続く"妄想の始まり"だったという事です。

次回は"妄想の日々I、CU編"です。






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