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一度死んだから言えること!

◎年末年始を乗り越えて

日常が普通になって来た。不眠症も徐々に減ると、次は喉のマーゲンチューブをベストなものに取り替える事だとなった。

これは私にうがいの練習をしてくれたSTさんが、喉を覗いてくれて「規定のより太いヤツが入ってますね。たぶん一番太いヤツじゃ無いかな?交換してもらったほうが良いですよ」と教えてくれたからです。

ですが私の担当医はそもそもERのドクターで、四六時中ERに張り付いているらしく、ナースセンターのカルテに書いてある入院患者のデーターも看護師の伝言も、滅多に読んでくれない。

仕草で看護師に言うのだけど、「カルテに伝言として書いてあるのですが、先生が読まれてないのでどうしようも無い」と言われました。

そりゃそうだ滅多に私の元へも現れないしね(笑)

すると何かで通り掛かったのを、偶然に看護師が見つけて引っ張って来てくれました。そしてものの数分で細いものへ交換してくれ、明らかに喉の負担が軽減したのがわかりました。

だって唾だって飲み込めなかったのですからね💦

そうやって年末の問題が解決に向かうと、再び痰が現れるようになりました。今度は“血痰”です。我ながら驚きました🫢

その頃には肺活量が上がって来て、喉元へ上がりやすくなり、それを「喉にあるカニューレから吐き出しなさい」と看護師から教わり、積極的に吐き出した結果が血痰だったのです。

やはり、長期に喉に気管挿管の器具を突っ込んでいるなんて無茶なんですよね。実際に今でも何ですが、実は声帯が半分動いてないんです。だから疲れてくると声量が落ちて、言葉が聞こえづらくなります。

どうやら声帯の筋肉が麻痺しており、右半分が閉じる動作をして無いのです。もしかしたらカニューレを外して喉を戻しても、うまく喋れないかもしれないと言う状況でした。

まぁこの件は次のリハビリ病院での日記で書きますね。

そして、血痰と声帯不備では無く、この頃にはようやく自分の体全体を見れるようになってきました。

先ずは伸ばした両手が上がらないし、頑張って肘を曲げる程度で、オマケに右の握力が0で、左が5キログラムと言う状態でした。

足は立膝も出来ませんし、持ち上げるなんてもってのほかです。股関節を動かせないので、膝の動きも出来ないのです。

そして左の足の裏の足底の腱が癒着して、それが足首を動かす邪魔になっており、PTがそれに気付いてマッサージしてくれたのですが、炎症を起こしてさらに酷くなる始末。

「そっかぁ、枕一つ毛布の端っこも動かせないのは無理もないや」と理解すると同時に、リハビリの道がはるか遠いのだと痛感したのを覚えています。

そう言う状況で血痰を吐き出すと、手で受け止められないので、布団の襟は真っ赤かに染まるし、時には3メートル近くも飛んで壁にへばりつきます。

喀痰は減ったし、マーゲンチューブも細くなっても、痰そのものが減らない限りはどうしょうもありませんし、カニューレも取り外せません。

カニューレがある限り、私は話すことができず、年末以来の悶々とした思いが解消されないのです。

それに加えて一日4回の点滴による貼り付けで、別の意味で気が狂いそうでした。この件は栄養士に減らせてもらうように直訴したら、一日3回になったものの一回あたり2時間となり、あまり意味はなかったように覚えています。

本当に生き返るって簡単じゃないし難しいですね。ドラマみたいには行かないですよ。麻酔が覚めたら話せるなんて無いです。しばらくはここどこ私はだれ?状態ですもん(笑)

そうするうちに珍しく良い提案があり、私を多いに喜ばせてくれたのです。まぁもちろん現実はそう甘くは無いのですけどね💦

◉人を羨んで愚痴っても、何かに文句を言い続けても、君は1ミリも変わらない

苦労も努力もせず楽して生きてる
そんなやつを見ても何の意味もない

運で生きても自分を生きれなきゃ
長くは続かない

楽だけして済むような人生は退屈だ
そんな人生より
自分を素直に大きくしてみないか?

続く


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