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日記6月2日(水)。 #日記  尼崎事件。

今朝の体重63.9kg。体脂肪率11.7%。昨日朝は同じ体重、体脂肪率5%。

うーん。予定通り。

今日は結構雨が降っている。昨日はスーパームーンだったそうだが、曇りで見えず(これを書いているのは5月27日(木))。皆既月食(でしたっけ?)も見えなかった。

先週借りた重い本を読み終わった。重いのは、本体の重量ではなく、中身である。

小野一光 新版 家族食い 文春文庫 2017年。

ご存じの方も多いだろう、あまりのすさまじさに尼崎という地名から連想される事件とはこれのことだ、といわんばかりに”尼崎事件”の名称でWIKIPEDIAに載っている、発覚当時63歳の角田美代子(2012年12月12日、留置されていた兵庫県警で自殺)が主犯格となり、確認されているだけで死者11名に上る事件に関するノンフィクションだ。

主犯格の美代子が自殺したことで、この事件に関する他の報道機関による取材はしりすぼみとなり、作者の小野さんは”あの件まだやってるの”などと言われながら取材を続けた。単行本が2013年に発行されたあともその後得た情報をもとに記事執筆を重ね、2016年までに掲載された週刊誌での追加記事70ページが、この文庫版では増補されている。取材での宿泊は100泊を超えるという。

いや、あとがきを書いた作家仲間に聞かれ、小野氏はまだこうおっしゃっている。

「取材はいまも続けています」。

兵庫県尼崎市の杭瀬駅近辺で起こった事件である。私が気になったのは私がごく小さいころ、幼稚園前くらいかもしれないが、ここから5-6km位の所に住んでいたことがあるからだろうか。

自分に関係があるところで発生した事件。

実は今の実家は須磨駅が最寄り駅であり、酒鬼薔薇事件が発生した場所と同じ文化圏である。そういう意味ではこの事件のことも、自分が息をしている地区の事件という感覚で気になっている。

この本を読んでいる間、それが自分にいまにも起きるのではないか、という恐怖とともに読み進めた。ごく普通の家庭に、無理やり入り込んでくる恐怖。これは全く他人ごとではない。

美代子は親の愛情を受けずに育った。小学校の担任が叱ると、向き合って叱ってくれた大人は初めてだ、といってなついたという。

自らの子供は欲しくない、といい、幼少時から自らの家の間借りをしていた親子の5歳下の少女を取りこみ、自分名義で子供を産ませて実子として扱い、追い込んだ家族で気に入った子供を取りこんで養子や婚姻で自らの血のつながらない疑似ファミリーとする。

自らは恫喝が主であり、極力手をださない。睡眠、食事をコントロールして家族同士で争わせる。本人の意思ではなく指示して婚姻、離婚を繰り返させる。保険金殺人。逃げた相手を、その家族を使って追い込み、連れ戻す。覚せい剤による無限の活力で、一晩中、恫喝を続ける。

子ども時代からの懐柔と恐怖支配で、いわば極限状態の戦時下のような感情にもってゆき、取りこみ、従わせる。

一方で家に呼んだ家族は、はじめは歓待し、自ら食事を作ることもあり、みんなが“美味かった”と評価する。その家族は、のちに分断され、殺される。

読めば読むほど、フィクションのホラーよりも怖くなる。美代子はそうした過程で、疑似ファミリーが本当の家族になった、となかば本気で信じていたのかもしれない。恐怖と懐柔で行っても、結果結束ができたように見えれば、その過程・手段は忘れて結果のみを見る。これはいじめた方はわすれても、いじめられた方は絶対に忘れない、というのと似た構図だろう。戦争でも、そうかもしれない。そう思いたい、という心の奥の願望から、無理やり自分を欺いている。

美代子の最期の自殺は、なかば本気で信じていた疑似ファミリーの結束が、最期はくずれたことへの絶望が理由だろう。だれかが崩れれば、自分はもう死刑から逃げられない。その確信からの行動なのだろう。

なぜ、美代子はこのような事件を起こすことになったのか。

愛を全く得られなかった自らの家族への意趣返し。家族である、ということへの猛烈な渇望と、幸せな家族への強烈な嫉妬。

そういうことではないか、と思っている。

(真剣で真摯な取材を通して信頼を得た生き残った被害者との交流を綴る、補稿部を読んですこし救われた気がしました。かすかな希望の、香りを感じました)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。