日記10月16日(土) #日記 腕時計。
装身具、というものがある。
私はどちらかというと、そうした装身具に惹かれるほうだ。
いや、普段たくさんつけている、というわけではない。
ないのだが、例えば手作りのシルバージュエリー、というもの、その意匠が自身の趣味にあっているもの(神話や幻獣、動物や紋章)については、欲しくなるほうだ。
一時は、クロムハーツを少し買った。いや、大したことはない。キーチェーン、ペンダントトップ、チョーカー程度だ。価格が高く、あまり買えない。
時計も最近はスマホがあれば正確な時間はわかるのであまりつけない人が多い。他人に時計をすべきだ、という意見をいう気はまったく無いのだが、中程度の価格帯の時計が売れなくなって、SEIKOやCITIZENは苦労している気がする。CASIOはG-SHOCKで時計というよりはギアとしての維持が出来ている気はするが。
SEIKOは比較的安くて高機能な時計を作っていたが、やはり利益率が悪いのだろう、同じ機能であっても、新機種については価格帯を上げてきている。
企業なので、止む無しだろう。倒産してしまうと、持っている時計のメンテや予備部品の供給が止まるので、なんとかできるだけ頑張っていただきたいと思っている。
新聞やテレビは既に若い人が当たり前に見るものではなくなった。腕時計もそうであろう。
私はどちらかというと、「装身具」として時計を身に着けている気がする。
子供のころに欲しかったもの。戦隊ものであれば武器のおもちゃ、ライダーであれば、変身ベルト。
思うのだが、時計とはわたしに取って、「大人が付けてもいい、手首の変身ベルト」である。
基本的には、自身の趣味で選んで付けていい。昔はTPOなどといわれたが、今はコロナでそもそも出社がない。腕時計は若者は付けてもいない。
そこで、逆張りでスーツ、逆張りで時計である。
強制されていたものが、今や自らの意思で選び楽しむものに、やっとこさなってきたのだ。
昔は「スーツにダイバースを合わせるなんて。」と思われていたようだ(雑誌などからの印象)。今ではそもそもだれも他人の手首などには関心がない。
装身具を含め、服装で相手のポジションを推測する、ということはビジネスではまだ残っているかもしれない。確かに外国のホテルに行けば、サインするときに手首の時計が見える(私右利きですが右に時計をする派)。
そんなときは、とりあえず求められる姿を作ってゆく必要があるだろう。
だがいまの在宅世界では。
まあ、通勤の服装もダレダレだ。
そんなこんなで、楽しく中古時計などを、BOOKOFFやらヤフオクやら、はたまたメルカリやらで購入している。
なんだかたくさんたまってしまった。何本あるかは、数えたことがない。
数を誇るためではなく、欲しいから買っている、ためである。
こういう買い方では、どうやらコレクターとは言えないらしい。
自分でもそう思う。飽きっぽいのだ。
まあ、そんなこんなで、特にコロナで在宅の時は、ついついいろいろ買ってしまった。ストレス解消に買い物、という世界は確かにある。
買ったものは、基本転売する気はない。値上がりを期待して買う、という世界は確かにあるが、それだと純粋に欲しい、という気もしでは無いように思うからだ。もちろんそんな買い方があってもいい。あくまで個人の気持ちである。
なんとなく、物をだらだら集めてしまう人は男性に多い印象だ。女性のコレクターももちろんいらっしゃるだろうが、どうしてなのだろうか。
(なんとなく狩猟本能のせいかも、と感じていますが。。。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。