111犬の日に歴代ペットのお話

#我が家のペット自慢

noteのお題にはじめてのってみる!

私はずっと犬と育ってきました。

私が産まれた時に父が飼いはじめたのが

秋田犬の東風(コチ)

昭和40年のお話。

なかなか新生児(私)と一緒に犬を飼いはじめるって、今の常識だと変人っぽい。

東風は大きなオスの秋田犬だったので、子供の頃私は金太郎さんのごとく、東風に乗って庭を闊歩しておりました。

庭も4軒親族続きの広い庭だったので、なかなかの乗馬ならず乗犬体験でしたね!冷静に考えたら動物虐待ではなかろうか?

とにかく賢い優しい犬でした。

思春期の頃一度、本当のただの八つ当たりで東風をぶったことがあって、50年近く経つ今も、たいへん後悔しています。その時の東風の複雑な表情は今も鮮明に目に焼き付いて残っています。心が痛くなる後悔の行動。人生最大の後悔はいまだにこの事かも知れない。これ以上の後悔はやっぱりサクっとは思い当たらない。

その後なぜか、白い秋田犬のシロとブチの秋田犬のブチという父のペット命名のセンスのなさの証明のような2匹が数年おりましたが、

シロは父の親友の家に飼われることになり

チコと改名されました。東風をのひっくり返しっって意味だったのかしら?

ブチは当時子供だった私にはわからない事情で、秋田犬保存協会的なところにいってしまい、最後は剥製になったと聞いています。バランスや色がThe秋田犬だったとのことです。

東風は最後まで私達と過ごして、あの時代の大型犬としたら16歳という長寿で大往生しました。

シロ改めチコちゃんは東風の2年前ほどに永眠し、朝早くに父の親友の奥方からご報告の電話を受けたことをハッキリ記憶しております。チコちゃんもまたまぁまぁ長生きよね、

東風が母と父方の祖父に看取られながら大往生した頃、美術の授業中に東風が亡くなったことを感じて、私は同級生に「あ、いまうちの犬死んだと思う」と呟いてしまい気持ち悪がられました。その美術室の光景もはっきり明るさや光景を覚えているのも不思議。

この父方の祖父だけは、この賢い東風に何度か咬まれておりましたが、東風のゴザの上に置いてあった東風のオヤツのパンの耳がある時ばっかりだった。おじいさまもいい加減気をつけりゃ良かったのに、庭の散歩途中に東風を構いに来てくれては咬まれてた。咬まれても咬まれても東風のこと好きだったのね。って思うわ〜

東風が亡くなってからロングヘアゴールドタンのミニチュアダックスフントの鷹丸がきました。この鷹丸は心臓に生まれつき問題があったようで、悲しいことにうちに来て10日ほどでなくなりました。あまりにショックを受けて登校拒否になった私を見かねて父が、鷹丸と一緒に産まれた茶々麿を連れて来てくれました。茶々麿はブリーダーが種犬に残す予定だった犬らしく、16歳まで生きました。昭和のダックスにしたら長生きだったけどね、ヘルニアで最後の方は腰が変な形になってたなー

ちなみに鷹丸、茶々麿は、命名私でございます。これはこれで軽くダサイ命名かも笑笑

その後近所でウエスティと雑種のムク犬のMixの仔犬が4匹生まれ、2匹が私達家族のとこに来ました。

そのうちの1番大きくて白い1匹が、いとこの家で飼われることになり、「コング」と私が名付けました。もう1匹は1番小さな女の子で、姉の大学の同級生が飼いたいということで、しばらくうちで預かってから渡す予定でしたが、姉の同級生の気が変わりうちの子になることになりました。名前つけといて飼うのやめるとか無責任だなぁって思い、姉のその同級生は今でも私は嫌い。仮名チビチビだったのに、メメちゃんとかダッセー名前つけやがって、そう呼んどいてとか言っておきながら飼うのやめたとかね、神経疑うわユッコさん。

なので一時私は、茶々麿とコングとメメとシングルベッドで寝ておりました。この時に子犬特有の香りを覚えました。

コングはやんちゃな男の子でなぜか私の顔面に腹這いで寝る癖と、お水の器のお水を前足で掻き出す遊びに夢中でした。コングは庭つづきのいとこの家に離乳食が終わった頃に行きましたが、しょっちゅう私の実家に勝手に遊びに来てたため、結局は室内飼いになっちゃったね。

その時4匹生まれた残り2匹のほどほどサイズの健康そうな可愛い女の子達は保健所に渡すと聞いたので、当時高校生だった私はその家に怒鳴り込みに行き、罵倒し、その勢いに負けた唯一ギリギリの良識あったその家おじさんが、大きな公園に数日連れて通ってお散歩中に可愛いって言ってくれた方にお願いして引き取ってもらったそうです。嘘かホントかは知らないけど、メメコングにそっくりな子を何度か見かけたからきっと兄妹だったと信じてる。2匹とも可愛がられて幸せ顔のワンコだった。

いとこのとこのコングは14歳くらいで永眠しました。

うちで育ったメメちゃんはちっこいまんま成犬になりましたが、ベッピンちゃんでワガママで気の強い子でした。私の最愛の母方のオババ様のお気に入りになり、オババ様が横浜滞在中はいつもオババ様のお膝にいました。メメちゃんの特徴は雷探知犬。スッゴイ遠くの雷も察知して、すぐ誰かのお膝にピョンっとのっておりました。

メメちゃんと茶々麿は仲良しだったなー

そしてそうこうするうちに私が大学の帰りに多摩川で白い紀州犬ミックスの女の子を見つけて連れて帰ってしまい、母がNO!って強固に言ってたんだけど、父が私に甘くて帰宅したとたんに、お前こんな犬の顔見ちゃってよくNOって言えるなぁの一言で

モモタ(百々太(女子笑))と名付けられ19年も生きてくれました。

メメとモモがこれまた相性悪くて、本気のケンカが結構あってモモとメメは最終的に出来るだけ別室にいるようにしてたのは少し残念。

メメチャチャモモの順にみんなそこそこ長生きでそこまでは、私は犬達の姉位置での関係性でした。

そして私は二十代前半で南の島に移住して7年弱を過ごしたのですが、そこでFalconという混ざりに混ざった南国のドキュメンタリー番組によく出てるような雑種犬に出会い、はじめて母位置としての責任を持って犬を飼いました。

その国から成田に犬が入国するのは20年ぶりとか30年ぶりとかで?帰国半年前から成田の動物入管検査官さんと打ち合わせて、2週間の成田泊まりを経てFalconも日本でチャチャメメモモに会いました。姉宅のみーちゃん(猫)も帰国した時にはすでにいた気がする。

ちなみに姉はペットの命名センスを父からゾックリ引き継いで

ハムちゅ、ぴょんちゃん、みーちゃん

名前だけで何を飼ってるかすぐわかる命名法です。笑笑

みーちゃんは家系初の猫で怖かった。今もすごく怖い笑笑。父なんてみーちゃんのせいで猫苦手に拍車がかかってしまい、私が実家に帰る時連れて帰る、まにゃりーたぷりーに疲れて日程縮めて帰ったこともあるもんなぁ〜

父は猫マジックにはかからないタイプだったのね。私も子供の時は猫が少し苦手でしたが、保護猫まにゃ子姫のおかげでガッチュリ猫マジックかかってるもんね。

私のブログ読者様は

FalconーTAGAーManahacーTapuO、及び多数のイルカと呼ばれるメダカ 達との日々は割とご存知ですよね。だから割愛。笑笑

ほかにもね

オウムインコハツカネズミカメ金魚ザリガニなどたくさん飼わせてもらえてた。むしろ母がオウムとインコに燃えてたなー

インコはスゴイ増えて、いっとき鳥籠30個くらいあった時があるね、しかし母はオウムを育てきれないで買っちゃー死なせ買っちゃー死なせを繰り返してた。あの頃の母のオウムへの執着はなんだったのかしらねと今も姉とたまに話すんだけどね。

ハツカネズミのチューちゃんは、姉が高校時代の生物の解剖の授業で解剖出来なくて連れて帰ってきた子です。学生の解剖用に繁殖されたハツカネズミだから長生きしないよってタケチリ(高校生物教師)が言ってたらしいけど、驚異の3年生きをかましてくれました。よく懐いて可愛い子だった。もちろんチューちゃんって名前は姉の命名よ笑笑

私の時代(姉の4学年下)では、半数以上の生徒がハツカネズミを解剖せずに連れて帰ってしまうのでハツカネズミの解剖の授業は映像見るだけになってラッキーだった!学校が生徒にハツカネズミプレゼントするってだけになっちゃうもんね。

ちなみに私の最初の将来の夢は獣医さんだったんだけど、小学3年生くらいで解剖学実習は避けて通れないと気づき、速攻でその夢を捨てた。そして高3進路決定の時に、私はペットトリマーになりたくて自ら専門学校の入学案内など取りに行ったりしたんだけど、両親の揺るがない不許可の壁にぶち当たり、結局無難に美大に進学したんだけどね。あの時両親がペットトリマー専門学校行かせてくれてペットトリマーなれてたら、まだまだ二回生とか三回生だった新しい職業だったからビル建ててたと思うわ私。笑笑。

ホント改めてこう思い起こしていくと、たくさんの色々な生物を飼わせてくれてたんだな〜って両親に感謝の気持ちは出る。

ランドセル背負ってた時からお世話になってた地元の後藤先生や宮崎でお世話になってるアニモ先生とか、獣医さんにも恵まれていると思う。

私は人の臨終に立ち会った経験がない。が、大人になってからは同居してない時代でも、ケモノ達の臨終にほとんど立ち会えてる。メメちゃんなんて完全に私の到着を待って逝ってくれた。

ペットを飼うということは

ペットを亡くすということが

セットで付いてくる事だと

頭はちゃんと理解している。でも心がついてこないのがペットロスよね。ペット飼いがよく言うのが

親が死ぬよりかなしい。

それはやっぱり子どもを亡くすのに似てるのかもしれないね。

オババ様ロスとファルロスはかなりエグかったが、父ロスはじんわり長引いてる感じ?てか実は父ロスにはかかってないかもしれない。パパごめん笑笑。だってパパ15ヶ月も無意識だったから、充分すぎる覚悟の期間があったんだもん。

111わんわんわんの犬の日

111いい日

なんとなく幸せな思い出を文字にしてみました。

いい日だ。


Plumeria P. Stoneクリスタルヒーラー 

南の石魔女

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写真はママ位置で一緒に生きてる子たち

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