三流の玄人と一流の素人

三流の玄人と一流の素人の違い。自分の看板で歯を食いしばって恥をさらせるかどうか。

ドラマの中のセリフ。私は自分の名前を出して表現することが怖い。怖くてたまらない。

自慢でもなんでもないが、今までできなかったことはあんまりない。そこそこやれば、なんとか形にはなる。ある程度のことはたいてい出来てしまう。でも、一番にはなれなかった。2番手だったりそこそこの位置にまではたいてい行けた。運動も仕事もやってみたいと思ったことも。よく言えば器用なのかもしれない。でも一番になれる人がうらやましくて仕方なかった。一番になれる人のそこまで熱意を込められる情熱がうらやましかった。そこそこ好きだけど、どれもわき目もふらずのめりこめるほどのことではなかった。

そこまでの情熱が持てなかったから?何をやっても中途半端でこれが自分がやってきたことですって堂々と言えることが一つもない。友人には「アピールポイントたくさんあるじゃん」なんてお世辞とはいえ言われるけれど。自分にとったら一つもないのである。

だから、昔から何かが欲しかった。集中してのめりこめる何かが。誰かにこれだけは負けないっていう何かが欲しかった。だからチャレンジしてみた。でも、ある程度やると一応形にはなる。そこそこ楽しさと難しさもわかる。でもそれ以上進まない。進む何かがつかめない。これじゃない。
なんだかんだと自分に言い訳してた。

批判されるのが怖い。誰かに何かを言われるのが怖くてたまらない。そんなことやってるの?ってバカにされることが怖くてたまらない。だから今までずっと隠してた。自分は文章を書きたいってこと。何を書きたいのかわからないけど、ただ昔から文章を書くことが大好きだったこと。文章を書く仕事がしたいってこと。ずっと自分に嘘ついて諦めたって思うようにしてきたこと。ほんとは全然諦められてないってこと。

くすっと笑える文章を書ける人がうらやましかった。人とは違う切り口をする人がうらやましかった。完結に物事をまとめられる人がうらやましかった。情景をまるで映像を見ているように表現できる人がうらやましかった。

まずは自分の気持ちをちゃんと吐き出すことが第一歩だろう。本当にやりたいことから逃げてきた弱いダメな自分をまずは認めること。見栄を張らないこと。できない自分を隠さないこと。他人の評価を受け入れること。そこから始めなければ。

と、改めて思う日曜日。

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