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【卒園】成長が寂しい、なんて失礼だと思っていたけれど

子が、0歳から通った保育園を卒園した。

わたしは捻くれた子供だったので、多感な頃は、世のオトナたちがこの成長を「寂しい」と言うのは、なんて失礼なことだろうと思っていた。

それって、これからのわたしたちを否定することだし、幼い方がかわいい、もっと言うと、御し易いという大人のずるく幼稚な考えが透けて見えるような気がして。

だからわたしは、自分の子どもにはそう言わぬように育ててきたつもり。


だけど、親を6年もやっていると、「大きくなったのか、さみしいな」と感じる瞬間がいくつか出てきた。

それは、1人で身支度ができるようになったとき。大人に頼らず、自分の力で考え抜けたとき。

あんなに軽蔑した、オトナたちの「成長がさみしい」を、わたしが感じてしまうなんて。


だけどよく考えたら、それは自然なことだ。

なぜなら、わたしは、「今の子どもたち」が大好きだから。そして彼らとは、彼らが成長したら、もう二度と会えないのだから。


ワンオペで必死こいて子を自転車に押し込み、送迎した日々。大変だった、けれども、前から後ろから聴こえる大合唱に、何度励まされたことか。

あなたたち元気ねぇ、なんて言いながら見た薄明の桃源郷のような夕暮れは、もう味わえない。そんな日はわたしの人生で二度と来ないのだ。なんてさみしいのだろう。




「おおきくなるっていうことは」という絵本がある。


保育士の作者が書いた文章に、優しい絵が添えられた素晴らしい作品だ。

おおきくなるっていうことは、洋服が小さくなるっていうこと。歯が抜けるっていうこと。おもしろいことが見つけられるっていうこと。小さい子に優しくなれるっていうこと。


今では当たり前の上記の出来事は、すべて子が大きくなったからなんだ。
大きくなったから、こんなにも素晴らしい、わたしの大好きな「今の子ども」になったんだ。


そう考えると、わたしはいま、もっと先にいる、未来のわたしが大好きであろう5年後の子ども、10年後の子ども、20年後の子どもに会うための旅路にいる。


どんな子になっているのかな。
どんなをことを楽しいと感じるのかな。
どんな顔で笑うのかな。

すっごく楽しみ。


だから、わたしは「大きくなるのは、嬉しいけど、さみしい」と感じることに、罪悪感を持たなくて良いのだ。

だって、それは未来の子を否定することにはならないから。すごく楽しみな、今すぐにでも会ってみたい未来の我が子を、否定するはずがない。


大好きな今の我が子よ、オトナの感じる郷愁なんて跳ね除けて、ひたすら未来を目指して走り続けるべし。

ママはいつだってきみのことを見ているからね。卒園おめでとう。

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