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「キャリア=投入可能な時間」という呪縛から逃れられない話と、早起きの話

妻がキャリアを積んでてすごい、という記事を見た。
わたしは最初、かっこいいなと思ったが、途中から「妻」を「夫」に読み替えてみた。アレ? まんま、自分のキャリアを犠牲にする平成の妻と同じやんけ。

わたしがモヤモヤしたのは、キャリアを積むことは仕事を通してのみ達成せらると言わんばかりの記事だったからだ。


わたしは、「キャリア」とは、本人が満足する生き方のことを指しており、肩書や職業のことではないと考える。

肩書や職業=収入の多寡で計るものと定義するならば、これは、どうしても圧倒的な時間が必要になる。ある程度集中して仕事に取り組める時間がある人にのみ開かれるものになってしまう。

時間の話になると、どうしても子育て世帯は分が悪い。子どもの世話や教育は誰がやるのか? という問題に直面し、ケア労働に多くの時間をかける方が、キャリアを諦めることになってしまう。


だから、わたしは考え方を変えた。キャリアとは、人生すべてのことだと。正社員としての仕事だけでなく、副業、ボランティア、地域の活動、子育て、すべての経験がキャリアになり得て、それを「雑多な活動の一部」にするのか「キャリアという一本軸」にアレンジするのは自分次第だ、と。


その一方で、ここ最近、勉強のために睡眠時間を削らなくては、と考える自分がいる。

わたしは現在、ワンオペで2児を育てているが、朝から晩まで子どもたちの相手と仕事に追われて、自分の勉強時間といったら1日30分程度しかとれていない。

しかし、いまのスケジュールでは、どんなにすべてを効率化したとて、新たに時間を作り出すことは不可能だ。

わたしは、これから起こる人生に備えて必要な勉強をしたいと考えており、その勉強を「キャリアという一本軸」に編纂することも可能だと考えている。しかし今のままでは時間がないので、睡眠時間を削るという解決法を思いついたのだった。


ん? 待てよ。これ、「キャリア=時間」の枠組みから離れられていないじゃないか。

さっきは、キャリア=収入ではなく「満足する生き方」だ、と高説を垂れたが、いや、収入も満足する生き方も、結局は時間が必要だという話になると、両者ともに「キャリア=時間」じゃないか。

と、こんな感じで、わたしは浅はかな自分の考えに落胆するのです。


余談ですが、スマートな解決方法じゃないけど、来週からはもう少し早起きしたいと思います。
いまは22:30~6:30まで寝てる(まだ息子が夜中に何度も起きる)けど、5:30には起きれるようになりたい(それでも寝すぎ?)。
いま、寒いですよね。起きられるかなぁ……。




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