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平成の次の時代をつくる、「ゆとり」的価値観


あと3ヶ月で平成が終わるらしい。

とはいっても、いつもはみんな西暦を使うのだし、急に役所の紙を記入するときに、あれ今平成何年だっけ、と思い出せないくらいには、たいして日常で意識することなんてない。元号なんてそんなものだ。

それでも「平成最後の〜〜」なんていう、エモいタグラインが流行って、こんなポテトチップスまで登場した。

そしてこの「平成最後のポテチ」のパッケージにまで、一番でかでかと書かれるほどに、「ゆとり教育」は平成を象徴する事象だったみたい。

ゆとり教育ど真ん中で育った平成4年生まれの私からしてみれば、世間が騒ぐほど「ゆとり教育」を意識したことがなかった。

今思い出すと、やたらとイモムシを育てて蝶にしまくるという自然教育を受けていたり、年間を通した調べ学習で”なぜ人は夢を見るのか”という難題を自分で課題設定してしまって小さな図書館で必死に本を探していたり、ディベート大会で地球温暖化について討論させられていたり、とそんな調子だった気がする。

渦中の私たちは、学生まではほとんど同世代の中で生きていたわけで、ゆとり世代以前以後の人たちと自分たちを比べようがなかった。
一方大人たちはこれまでの世代と比較して、「学力低下」「仕事ができない」「ストレス耐性がない」と騒いで、言うなれば私たちは「平成の負の遺産」扱いされるようになった。

ところが、社会人になって数年がたった今、わたしの周りにはものすごく本質的なことに挑戦して、発信する同世代がたくさんいる。起業したり、フリーランスになったり、複業したり、大企業からベンチャーに入ったり…そうして世の中に新しい何かを提示しはじめたように思います。

どこかに「ゆとり世代は、一歩引いた冷静な目で状況を見ている」「柔軟な発想ができる」なんて苦し紛れの褒め言葉が書いてあったけれど、たしかにそうかもしれない。

教科書のことを教え込まれない代わりに、自然学習やら調べ学習で「自分の感性で考える」時間を与えられていることで、それが自然とできるようになっている人が多い。固定概念を外して考えられるのだ。

だから「ゆとり世代」は、”規則的で均質的な社会”には適応しなかった。「自分の感性で考え」れば、社会や会社で決まっている形式的なことがストレスに感じたり、自分に合わない環境で踏ん張ることが美徳なんて理解できないのです。

けれど、だからこそいわゆるVUCAと呼ばれる曖昧で変化の激しいこれからの時代に、本領を発揮するのかもしれない。よね?


私は大学時代に実は若者論的なものをかじっていて、そのときも古市さんや三浦さんの本を読んだりしていた。ただ、同世代だからこそ見えている景色があって、感じ取っている空気があって。
それはきっと未来の人々の価値観に近いような気がした、というか、そうであって欲しいと思ったのです。

それで、お世話になっている すみたさん から、ゆとり世代の価値観を本にしたくて、 と聞いたときはすごく素敵だなと思ったのでした。

そんなこんなで始まってしまった、「ゆとり本」(仮)の編集。いまいろんなゆとり世代の起業家やユニークなキャリアの人たちに話を聞いたりしてますが、彼らの静かなる強さと哲学にいつも感銘を受ける。とてつもないものが出来上がる予感です。

最終的には、一部のイケてる本屋さんに並ぶ予定ですが、いま予約販売的な形でクラウドファンディングをやってます。作り方もゆとりらしくね。

とてもありがたいことに、もう目標には達成してしまいそうなのですが、ぜひ、予約販売ということもあるし、応援をいただけたら嬉しいです。

また、イベントだったりもいろいろ仕掛ける予定なので、「ゆとり」やミレニアル世代に興味ある方はぜひ、お声がけください〜


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