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「編集力」は、これからの時代に誰もが身につけるべき、人生の教養だなと思った話。


これからの時代、「編集力」が必要だ。

というフレーズは、結構いろんなところで言われるようになりました。

実際、去年8月には、元「POPEYE」編集長の木下孝浩さんが、ファーストリテーリングに引き抜かれて、ユニクロの『LifeWear magazine』を創刊し、11月には、元「暮しの手帖」編集長の松浦弥太郎さんが、『DEAN & DELUCA MAGAZINE』を創刊した。


そう、

ブランドやサービスはメディア化し、メディアはブランド化していく。

そこに「編集力」が必要とされるのです。

あらゆるブランドやサービスは、実際にその周りを取り巻くプレイヤーやファンをいかに見える化し、仲間にしていくか、といった「人間として自然なこと」をしていく時期になっています。

むしろ、内側に閉じて自分たちだけでブランディングしていくぜ、ということがそもそも不自然だったんだと思う。まあそれがかっこいいとされる時代もあったわけだけれど。いくら外見が良くても、友達のいなそうな人に、親しみや信頼は沸かないからな。

それに加え、世界的な感染症流行で見えてきた、価値観の変化や、物理空間の限界、なども、この動きを加速させると思われます

実際、飲食店やライブハウスなどは、メディアやオンラインを使った物理空間に囚われないかたちで動き始めていたり、メーカーが医療用品をつくるなどブランドが自社の強みを見据えた上でいまの文脈に合った動きをしていかなければいけない状況にあることも、ある意味では編集力が試されるなと思います。


私は、広報・PRというキャリアからスタートし、未経験ながらインハウスでオウンドメディアの編集やブランディングにシフトし、いまは編集者としていくつかのお仕事をさせてもらっていたりもするのですが、

ふと振り返ると、去年1月に書いた、一番最初のnoteでこんなことを書いていた。

最近強く思うのは「PRにも編集視点が必要」だということ。
編集という言葉の意味はとっても広いですが、私は、
「いくつかのものを集めてひとつのタイトルをつけて世に提示する」
ってことなのかなと思っています。

そういう意味で、雑誌やメディアで書くことだけが編集ではない。企業コラボレーションやイベント企画も編集的と言える。

新しい編集の可能性を考えながら、まだまだ未熟な自分の編集力を磨いていきたいなあと。広い意味で。

今年はそんな1年にしようと思っています。


で、「編集力」ってどうやって磨くの?って話です。

どんな仕事でも最後は、センスやバイブス、経験値みたいなものがものを言うと思うのですが、「編集」は結構その極地かもしれないと思う。最前線で時代の空気を組み込んでいくという意味では再現性も乏しい。

抱負を書いたはいいものの、正直、体系化された学び方などないし、どこかのメディア編集部で経験を積むしかないのでは・・・なんて悩んでいた去年の3月ごろ、ある一つの選択肢に賭けてみようかなという気になった。


『編集スパルタ塾』


編集者・菅付雅信さんが本屋B&Bにて主宰する、1年間のロング講義だ。

大学生の時に、菅付雅信さんの著書『中身化する社会』や『物欲なき世界』を読んで、はっ!とさせられて以来ずっと気になる存在で、スパルタ塾なるものをちらちらと見てはいたのですが、「す、スパルタ・・・」と萎縮して申し込めずにいた。のですが、いよいよ必要性を感じてきたところで思い切って飛び込んでみたのでした。

コスパで物事を判断して生きている人は嫌いなのですが、結論から言って、これは本当にコスパ良すぎでした。(ただ、こう言えるのも最後まで生き残れたからかもしれません。・・・生き残る???詳しくは下へ)


まず、菅付さん直々に、まだまだ体系化されていない「編集」という分野の総論を、ものすごいスピード感で教えてもらえます。

古代パピルスからAI時代まで、企画からデザインまで。そしてメディアの編集にとどまらず、まさに冒頭に言っていた、ブランドの編集や場の編集なども含め、広い意味での「編集」を考える土壌ができました。

映画のワンシーンや、デザイナーのアートワークなど、具体的なビジュアルを交えながら立体的に理解できたのがよかった。そもそもこんな膨大な編集の事例をキュレーションしているリファレンスもなかなかない。


そして、その講義と交互にゲスト回が組み込まれているのですが、どういうことかよく分からないほどの、日本を代表する大御所ゲスト陣。サッカー日本代表みたいな状態です。

<第7期のゲスト講師最終決定!>
西田善太さん:ブルータス編集長
箕輪厚介さん:幻冬舎 
松島倫明さん:WIRED JAPAN編集長
矢野優さん:新潮編集長
次原悦子さん:サニーサイドアップ 代表取締役  
河瀬大作さん:NHK プロデューサー
植野広生さん:dancyu編集長
葛西薫さん:サンアド アートディレクター
高崎卓馬さん:電通 エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター
菅野薫さん:電通 グゼクティブ・クリエーティブ・ ディレクター/クリエーティブ・テクノロジスト
東浩紀さん:思想家/ゲンロン副代表
深澤直人さん:プロダクト・デザイナー/NAOTO FUKASAWA DESIGN代表取締役
松浦弥太郎さん:エッセイスト/株式会社キホン代表取締役
中村勇吾さん:インターフェイス・デザイナー/THA LTD代表取締役
嶋浩一郎:博報堂ケトル 代表取締役/クリエイティヴ・ディレクター
内沼晋太郎:numa books代表
(引用元:http://bookandbeer.com/news/sugatuke7/

さらに、どういうことかよく分からないと思うのですが、このゲストの方々は、各講義で主役ではないんです。ほとんど自分の話をしません。主役は生徒なんです。

各講義で、事前にゲストから出してもらったお題に対して、プレゼン資料を提出し、そこから選ばれた10人前後だけが、ゲスト講師の前で発表できる、という、まあ贅沢なゲストの使い方・・・。

発表した人には、ゲストからその場でフィードバックがもらえます。そして、プレゼンの得点で年間ナンバーワンになった人には、本屋B&Bの13万円分の商品券が贈られます。本買い放題!(安っぽいLPみたいになってきたので宣伝はそろそろやめよう)

平日夜に、40~50人が通う、この講義。1年間で何が起こるかと言うと、提出できない、発表できない、という脱落者が増え、最終的にプレゼンターが固定化してきます(笑)その名の通り、スパルタ。


何を学んだのか

さて、結果から言うと、私は、なんとか最後までサバイブして、年間3位に滑り込みましたが、1位になることはできませんでした。。

でも、ありがたいことにたくさん発表させてもらえたことで、自分の弱みとか癖が分かったのはとても大きな糧です。私は、ジャンプ力のある企画が苦手で、低空飛行で着陸しちゃう癖があり。なんとか、きちんと課題の奥底にある意図を汲んだ上で、一回自分の頭のリミットを外してアイデアを遠くに飛ばしてみる、という練習をしたりしてみました。

まあそういう毎月のお題への格闘と、日本のクリエイティブ最前線で活躍する方々からの「生の言葉」たちが、いま、間違いなく血となり肉となっています。

この、「生の言葉」というのが、簡単には人と会えなくなった今、より貴重なものになってきていますが、用意されているわけでもなくその場ですっと出てくる言葉や雰囲気は、対面して会話するという価値そのものなんだと思います。本やブログという形でまとめられたものも読みやすいし便利ですが、リアルな「鮮度」や「温度」も大事。ひりひりと伝わってくるものがあります。

って言いながらも、印象に残っている「生の言葉」を、少しだけここに記録してみます。鮮度も温度もないので、まあ、標本として。

企画はたし算じゃだめ。かけ算しなきゃ。(菅付さん)
いい企画は失敗してでもやりたいと思えるもの。(サン・アド 葛西薫さん)
総論・正論・一般論はつまらない。ものすごく個人的な話でありながら、みんなが共感することを見つける。(電通 高崎卓馬さん)
発想が広がる言葉を選ぶ。できるだけ抽象的かつ具体性を失わない、言葉。それが1つあるだけでいい企画になる。(THA LTD 中村勇吾さん)
ぐちゃぐちゃしたもののなかに、一本の線を見つける。見えるでしょって言ったら見えてくる、星座みたいなもの。(プロダクト・デザイナー 深澤直人さん)
コンビニエントは、ラブとはちがう。喜ばれるけど、愛されない。(博報堂ケトル 嶋浩一郎さん)

(走り書きのメモなので言った言葉のそのまんまではないですが、講師の方々の迷惑になるようなことは書いていないはずです…)

「こんな感じ」ではなく「これ」と言い切るほどの、確信を持った企画になるまで、本質を見抜き、考え抜くのがプロだなということをひりひり学びました。


ひるがえって編集とは

毎年、編集スパルタ塾の最後の課題はだいたい同じだそうで、

「この一年間で学んだ上で考えるあなたなりの編集の定義と、あなたが編集力を使って、いかに世の中に貢献出来るかを説明せよ」

という、卒業論文のような難題。

上にもあげた去年の1月のnoteで、私は

編集という言葉の意味はとっても広いですが、私は、
「いくつかのものを集めてひとつのタイトルをつけて世に提示する」
ってことなのかなと思っています。

と、まあ適当なことを飄々と語っていたのですが(これは完全に忘れていた)、1年間通った結果、全く違う結論を出しました。

(これが正解っていうわけでもないし、これからも変わると思うし、なんならプレゼンしたときにはバッサリと「まあ、普通ですよね」的なスパルタフィードバックいただいて、まあ普通なんですけれど、一応ね、成長の記録として)


私は、1年間の闘争を経て、

 編集 = [ 間 ] の 創出 だなって思いました。 

[ 間 ]  というのは、

「時空」   「余白」   「関係」

の3つの意味をまとめていて、それぞれ具体的にいうと(実際のプレゼン資料を貼りますね)

関係.005

関係.006

関係.007


みたいなことなのかなあって。

まあ、ほんと普通ですね。というか多分、「間」という概念が、とても日本人的な価値観だから、当たり前に感じるのかなと思います。こんな文章も見つけたりして。

日本人には間という微妙な意識がある。名人といわれる落語家の語り口は間のうまさが絶妙だし、剣道では間のとり方が勝敗を決する。
・・・
間の意識の根底には、日本人が自分と他人との関係を非常に重視する思想があるだろう。
・・・
相手と自分の間柄(間合い)を重視する土着的な日本人の意識が、人間関係の微妙さを表現するさまざまの文化を生み、空間や時間の間に、西洋にはない不規則性や無規定性などの微妙な変化を鑑賞する日本の伝統文化を創造したとみることができよう。
[熊倉功夫]『西山松之助他著『日本人と「間」――伝統文化の源泉』(1981・講談社) ▽南博編『間の研究――日本人の美的表現』(1983・講談社) ▽井上忠司著『世間体の構造』(1979・日本放送出版協会)』


だから、「編集」という行為の本質は、別に編集者とかPRプランナーとかブランドディレクターとか経営者「だけ」が身につけるべきものでもなく、

おしなべて誰もがこういう考え方を持っておくといいんだろうなあって思います。(はい、ふんわりと総論にもっていきがち、癖)


自分自身を取り巻く「間」、つまり立体的で余白を持った関係、を意識して、その中でその関係性を自分の人生の糧にしていく、という至極当たり前のことが、すでに編集的な行為。無意識にやっているのですが、それを意識的にやるかどうか、なのだと思います。

毎日浴びる膨大な量の情報の中から、どれを選び取り、どれを選ばないのか。

思想や理念を持った上で、そこに余白をもたせ、分野や業界を越えて人とつながっていけるか。

ある一つの事象があったときに、点でもなく線でもなく、様々な視点からそれを見ることができるか。


溢れかえる情報に不安になったり、国や企業などこれまで帰属していたものと距離を感じたり、いろんなことが見直されていく今、まさに個人個人に必要とされる考え方だなあと思います。

まずは、こういったことを意識することが、「編集力」を磨く第一歩かもしれません。

でも、やっぱりその意識がばちばちな第一線のプロたちの生の声を聞くことは、それをより加速させてくれます。間違いなく。


ということで、『編集スパルタ塾』まだ今期の募集しているそうなので、生き残る覚悟のある人は、おすすめします。この状況なので、今年はオンラインライブ配信で参加できる仕組みになっているそうです。オンラインだとしても、その場で紡がれる「生の声」の価値は、変わらないと思います。

そして今年も相変わらずゲストが豪華だわ・・・。


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