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二女の授業参観でインタビューについての気付きをもらった

今日は久々に二女の学校参観に行った。
私は実は保護者として学校へ行くのが苦手だ。
親しいママ友はマジで少ないし、しかも顔見知り程度の方の名前を覚えるのが苦手すぎて、にこやかに挨拶されたときに、内心で「誰だっけ」と思うのが苦痛なのだ。それで、夫と交代で参加するようにしている。
(しかも、「誰だっけ」とこっちが思っているのに、だいたいみんな私が誰だか知っていて、わざわざ「二女ちゃん、校庭にいたわよ」とか「二女ちゃん、背が伸びたわね」なんて言ってくださる。すごいな、みなさんの脳みそ、ってマジで思う)

「今日は、できるだけ来てほしいんだよね」と珍しく娘が言ったもんだから、出張中の夫に代わり、気合を入れて2時間目から参加した。
※本当は3時間目だけでよかったっぽい

呼ばれた理由は「保護者インタビュー」があったから。内容は、自分たちの街を、保護者の視点で見たら、どんな風に感じているのか、という聞き取りだった。
娘の学校は3つの商店街が近くにある。だから、商店街で商売をしている方のお子さんも珍しくない。あらかじめ用意された質問は、ちゃんと「地元で商売をしている人」「ここで生まれそだった人」「他から引っ越してきた人」などと属性によっていくつかフォーマットが用意されていた。面白い授業が増えたな、と感心した。

「今の町が、このまま変わらないでほしいな、と思いますか?」と聞かれて、めちゃくちゃ戸惑った。この質問の前に、「公園がなくなるのはどう思うか」「児童館がなくなるのをどう思うか」などと聞かれていたので、その文脈から「このまま、公園も児童館もなくならないで、子どもたちが遊ぶ場がむしろもっと増えればいいと思うよ」などと答えられたら辻褄があったんだろう。しかし、なぜかこのタイミングで、最近よく聞く「コテンラジオ」の脳みそに切り替わってしまったのだ。

「変わらないのがいいのか、変わった方がいいのか、それはどこの時点で、誰の視点で切り取るかによって、答えも変わってくるよね…」と言いそうになって、口をつぐんだ。

子どもたちが考えた質問案は、先生からだいたい「こんな感じにまとまればいいよね」と(おそらく)示唆された結果を導くための言質を取るための質問だったように感じた。
それを、子どもたちに答えるとき、与えられた時間が短いことも伴って、どうしても簡単な言葉で端的に答えようとしてしまっていた。そして、最後のあたりになって「あれ? わたし、本当にそう思っていたのかなぁ」と疑問に思ってしまったのだ。

これ、きっとインタビューでもそうなんだよなぁ。
何をこの原稿で伝えたいのか、話の主題は何なのかを明確にして、インタビューに臨んだ方がいい。でも、私が勝手に「こういう話にしたい」って思ってしまうと、そういう言質を取るような質問をしてしまう。

そこにその人の言いたいこととのギャップが生まれる。

ちょっと違和感を抱えたまま、授業参観は終わった。今回は、子どもたちが時間短縮のためにと、あらかじめ答えを選択式にして提示してきたことも、この違和感を助長させたと思う。

授業に何か言いたいわけではない。私自身が、何か気付きをもらったような時間だった。

コテンラジオでは「人はストーリーで理解したがるけれど、実はストーリーなんてないこともある」と解説の中でたびたび言われる。

インタビュアーが、聞きたいことを、勝手に最初にストーリーにしていたり、もしくはストーリーはあるという前提で聞くと、もしかしたらインタビュイーの本意とは大きく外れる話を勝手に理解してしまうのかもしれない。

そんなことを考えた授業参観だった。

ちなみに、今日も「誰だっけ…」と思いながらも、さすがになれているので、にこやかに無難になんとか世間話は対応できたのでした。




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