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親らしくないことが、私らしい

みっともない背中を見せているときのほうが、「今日の私、親らしいことができているな」と思う。

できない背中【さとゆみの今日もコレカラ/第84回】

先日、長女が14歳になった。
私も晴れて、親歴14年!

喉元過ぎれば…だからかもしれないが、親にならせてもらってから、親らしいことはできていない。

「たまに」私も食べたいイチゴを、子どもたちに多めにあげるし、
「まれに」娘たちが疲れすぎてたら、私もへとへとでも、家事を免除してあげる(そして、私がやる)。
※我が家はだいぶ前から分業制なのです。
「何年かに1回は」忘れ物を届けてあげたりもする。

だけど、出産前に思い込んでいた「親となっては、子に尽くさねば」みたいな感覚は出産と共に押し出してしまったようで、結局、できる範囲でできることを…と、今の状態になった気がする。
娘が小さかった時は、もう少し頑張っていたのかしらん。

いずれにしても、両の娘がどちらも2桁の年齢になる少し前くらいから、我が家は4人の“他人”が縁あって一緒に暮らしている、みたいな感覚がある。

ただ、娘のことは大好きなので、毎日毎晩キスとハグの嵐なのが、他人とはちがうところか。

もちろん、夜に1人にしないとか、食事はちゃんと気を配るとかはする。それは、保護者として、安心、安全、快適を守るという意味で。

きっとますます、これから、私は親らしいことはできずに、彼女たちは大人になって、巣立っていくのだろう(巣立ってくれたら万々歳!)。

親らしくはない私の背中を見て、親だって千差万別、「こうであるべし」みたいなものはないんだ。
そんなことを思いながら、彼女たちが彼女たちらしく生きてくれたらいいなぁ、と思った、お風呂の湯船なう。

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