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【ロンドン発】2024年週刊ジャーナル(1月22日~1月28日):今週もいろいろありました&いろいろ聞きました。


1月23日:めちゃめちゃくだらないのだけど、この人がふかわりょうに見えてしょうがないのだが...。


1月24日:紅茶に塩!?

内容は、上のリンクを読んでいただければわ分かると思うが、この記事の通り、英国人からすると、what!? となるのも当然だ。

英ガーディアン紙によると、アメリカ大使館は、完璧な紅茶のレシピが物議を醸したことで、「英国との特別な絆が危機に瀕している」ことを認めた。”紅茶は「仲間意識の特効薬であり、両国を結びつける神聖な絆であります。 私たちは、このような非道な提案が私たちの特別な関係の根幹を脅かしているのを黙って見ていることはできません」とコメント。 「英国の国民飲料に塩を加えるという考えられないような考えは、米国の公式な方針ではないことを、英国の善良な人々に保証したいと考えていますし、これからもそうです」と続けた。

実を言うと、アメリカ人が紅茶の入れ方を指南して、物議を醸したのは初めてではない。TikTokで、紅茶を電子レンジで淹れる方法を伝授した米女性がいる。下の記事(↓)でその動画が見れます。

日本人の私が見てもゾッとするような淹れ方だが、そもそもアメリカの家庭にはケトル自体がないから電子レンジを使うのだとかいう議論もあったりした。

で、サーカスティックにこちらのマグで紅茶を淹れました。イギリス人はティーバッグを出すけど、私は入れたままが好き。濃い紅茶が好みなの。



1月25日:アサンテ王の宮廷から略奪されてから150年、英国はガーナの「王冠の宝石」のいくつかを本国に返そうとしているというニュース。アサンテはかつて西アフリカで最も強力で強大な国家のひとつを築き、金、織物、奴隷化などを取引していた。英国の博物館には、アサンテの衣装の中でも最も有名な金のトロフィー・ヘッドを含む、ガーナから持ち出された多くの品々が所蔵されている。

”返す”とは言っても、永久返還ではなく、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)から17点、大英博物館から15点を貸し出すのだとか。というのも、V&Aや大英博物館を含む英国のいくつかの国立博物館が、論争中の所蔵品を永久に返還することは法律で禁じられているからだ。

貸し出される品々は、そのほとんどが19世紀のイギリスとアサンテの戦争中に持ち去られたもので、国王の魂を清める役人が身につけていた国王の剣や金のバッジなどが含まれる。V&Aのディレクターであるトリストラム・ハント氏はBBCに対し、宮廷衣装の金製の品々は「我々のクラウン・ジュエル」に相当すると語り、「博物館が”戦争や軍事行動での略奪を起源とする品々”を所蔵している場合、所蔵国には、今日、より公平に共有する方法について考える責任がある」と続ける。3年間の借款契約は、さらに3年間延長するオプション付きで、ガーナ政府ではなく、オトゥムフォ・オセイ・ツツ2世(アサンテヘネとして知られる現アサンテ王)と結ばれており、アサンテヘネは、王国が現在ガーナの近代民主主義の一部となっているにもかかわらず、依然として影響力のある儀式の役割を担っている(彼は昨年のチャールズ国王の戴冠式にも出席)。貸し出されたこれらの品々は、アサンテ王国の首都クマシにあるマンヒア宮殿博物館に展示され、アサンテ王戴冠式を祝うという。ガーナの文化大臣特別顧問であるナナ・オフォリアッタ・アイム氏はBBCにこう語る。「単なる物ではなく、精神的な重要性もあります。国の魂の一部なのです。私たち自身のかけらが戻ってきたのです」。また彼女は、「この貸与は略奪の記念日に”良い出発点”であり、”起こった暴力に対するある種の癒しと記念のしるし”である」と述べた。アサンテ王国は軍事力と富で有名であり、現在でも、アサンテヘネが公式の場で握手をするときは、金のブレスレットが重いため、腕を支えるのが仕事の補佐官がつくこともあるという。後にゴールドコーストと呼ばれるようになるこの地は、アフリカの富の話にヨーロッパ人が魅了され、イギリスは19世紀にアサンテと度重なる戦いを繰り広げた。1874年、アサンテの襲撃を受けたイギリス軍は、当時の植民地用語で「懲罰的遠征」を開始し、クマシを略奪して宮殿の財宝の多くを奪った。大英博物館は、1895年から96年にかけての紛争で略奪された、the Mpomponsuoとして知られる国王の剣を含む計15点の品々を貸与している。英国によるアサンテの首都クマシへの攻撃は、19世紀のイラストに描かれており、略奪したものの中には、金の装飾で豪華に飾られたDenkyemkeと呼ばれる儀式用の帽子もある。大英博物館はまた、200年近く前のアサンテヘネスとのつながりを強調するため、略奪されたものではない鋳造金のlute-harp (Sankuo)の模型も貸し出している。このサンクオは、1817年にイギリスの作家であり外交官であったトーマス・ボウディックに贈られたもので、アサンテ国の富と地位を示すためにアサンテヘネから博物館に贈られたものだという。しかし、盗まれたと主張する国に物品を貸し出すことはできるのだろうか?パルテノン神殿の彫刻(英国ではエルギン・マーブルと呼ばれている)問題がその一つだが、ギリシャは長い間、大英博物館に展示されているこれらの古典的彫刻の返還を要求してきた。大英博物館のジョージ・オズボーン管理委員長は最近、「現実的、実用的、合理的な方法」を模索していると述べるにとどまっている。しかしハント氏は、V&A、大英博物館、そしてマンヒア宮殿博物館の間の取引は「政治を切り開くものだ」と語った。「これは問題を解決するものではありませんが、会話を始めるものです」。ガーナ文化相の顧問であるオフォリアッタ・アイム氏は、「もちろん人々は貸与というアイデアには怒るだろうし、最終的には品物がガーナに永久に返還されることを望んでいる」と述べた。「私たちは、その品物が暴力的な状況で盗まれたことを知っていますし、アサンテの人々のものであることも知っています」。英国政府は国有機関に対しては "retain and explain(保持して説明する)"のスタンスをとっている。つまり、争われたものは保持され、その背景が説明されるのだ。保守党も労働党も、現行法の改正には関心を示していない。1963年に制定された大英博物館法と1983年に制定された国家遺産法は、いくつかの有名な機関の博物館管理委員が、収蔵品を「譲り渡す」ことを禁じている。ハント氏は法律の改正を提唱している。「博物館にはもっと自由を与えたいが、そのためには一種の後ろ盾、つまり収蔵品の返還を望む場合には上訴しなければならない委員会を設けたい」と考えている。これにより、英国の博物館は将来、最も貴重な品々を失うことになるとの懸念も出ている。あるいは、パルテノン神殿の彫刻の返還に関連して、ミシェル・ドネラン前文化相が私に言ったように、「博物館の全コンテンツの問題への入り口が開かれる」ことになる。しかしハント氏によれば、V&Aの280万点に及ぶコレクションのうち、所有権が争われているものはごくわずかだという。もうひとつの懸念は、貸与されたコレクションが返却されないことだ。ガーナの交渉人であるイヴォール・アギェマン・ドゥアは、それを一蹴した。「合意したことは守るものであり、それに反することはありません」。しかし、英国が植民地時代の文化的遺産とますます向き合っている今、この種の協定は、双方がその条件を受け入れることができれば、過去に対処し、将来的により良い関係を築くための外交的かつ実際的な方法となるかもしれない。(要約終わり)

確かに文化的な問題だけでなく、政治・外交問題にも発展しているからね。ガーナには行ったことないけど、アテネやイスタンブールの博物館に行くと、何も置いていないところに、「この部分はイギリスの大英博物館に貯蔵されています」という表示だけがぽつんとあったりするのを見ると、やっぱりあるべき場所に戻すべきなのではないか、と思うのよね。勝手に持って帰ってきてるわけだからさ。政治情勢が不安定だったりした場合は安全な国で保管したほうが良い場合もあるのかもしれないけど、そうじゃなければ返還するべきかなと思う。


1月26日:テニスのレッスンに新しく入ってきたアメリカ人女性と雑談。10月にニューヨークに行ったのだけど、airbnb が使えず、苦労した話をしたら、そうなのよ!と。彼女はフィラデルフィアで生まれた後、コロラドやニューヨークなど転々として、現在はもう実家はなく、ロンドンに定住しているのだが、アメリカにはまだ親戚や友人がいるので時々帰省する際には、ペットシッターの仕事(?)を受けるらしい。つまり、ホリデーで家を空ける際にペットの面倒を見る代わりに、滞在費タダ、という仕組みらしい。なんと、そんな考えがあったとは!犬は散歩などがあるが、猫は餌さえ与えておけばよいので楽勝よ!と言っていた彼女は自称アニマル・ラヴァ―。私はあまり動物のことは分からないので無理だが、何か代わりになるサービスを与えることによって、滞在費が浮くのは良い考えだと思った。掃除とか?

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グレアム・ノートン・ショーのゲストがエルボーだった。
新曲すごく良い!アルバムが楽しみ。




1月27日:トリビュート・アクトに関するBBCの記事。一部要約。


1月のとある日、マンチェスターで行われたライブ。Fell Out Boy(フォール・アウト・ボーイ)とThe Black Charade(マイ・ケミカル・ロマンス)をフィーチャーしたエモの祭典だ。ファンにとってもパフォーマーにとっても、トリビュート・バンドの魅力とは何だろうか?ファンはこう語る。「チケットは、たった25ポンド。アクトは本物に次ぐ最高のものだよ」。「学生時代によく聴いていた曲で、"青春時代を思い出すためにに来た"という感じ」。そして、「トリビュート・バンドになるなら、見た目もサウンドもそれらしくしなきゃいけないと思うんだ」と語るのは、The Black Charade、シンガーのクリス・グリーンスレイド。「そうでなければ、パブで演奏しているようなカヴァー・バンドに過ぎない」。ベーシストのニック・ヒューズは、トリビュートで演奏することを、「自分も他のみんなも行きたがる、生きたジュークボックスのようなパーティー」だと表現した。バンドのメンバーはロンドン、ブリストル、ダービーを拠点に活動しており、ニックはITテクニック、クリスはレーザータグの技術者など、それぞれの本業と両立させている。「僕たちは40歳の退屈な事務職の男だよ」とクリスは笑う。彼は、マイ・ケミカル・ロマンスが彼らのことを知っている可能性は "十分にある"と付け加えた。「彼らは僕らの存在を知っているだろうし、今のところ中止勧告は受けていないよ」。また、フェル・アウト・ボーイは、フォール・アウト・ボーイ・トリビュート・アクトとして10年以上活動しており、ここ数年、ブラック・シャレードと一緒にライヴをやっている。「2つのバンドを合わせると、もっと大きな会場でスケールアップできることがわかったんだ」とシンガーのバーティ・スコットは説明する。バンドは、9時から5時までの仕事から音楽業界の仕事まで、様々な本職を持ち、バーティはソングライター兼プロデューサーだ。本家本元のフォール・アウト・ボーイは、彼らの存在を知っていて、イギリス公演の際にはチケットを用意してくれる。「いずれは彼らの前座を務めて、彼らがやらないようなことをやるべきだね」とベーシストのダン・フィルポットは言う。「そもそも、フォール・アウト・ボーイの曲を演奏するのは楽しかったけど、トリビュート・シーンについては何も知らなかったんだ。フェスティバルで演奏するようになって、10,000人の観客が集まりだした。僕らの知らない全く新しい世界だったけど、今はトリビュート・バンドの時代で、シーンはとてもとてもうまくいっている」とドラマーのアントニー・イェーツは付け加えた。

エンターテイメント・エージェント協会のポール・ウィンターリッジ会長は、トリビュート・バンドは業界の「活気に貢献している」と語った。"ニッチな市場"を持つバンドから"象徴的な"バンドまで、その数は増え続けており、価格が鍵になることもあるという。「生活費に目を向けなければなりません。人々はオリジナルを買う値段にいつも余裕があるわけではないので、より安く音楽を楽しむことができるのです」。

マンチェスター公演後、クリスと写真を撮ろうと待ち構えるファンや、寒さの中、この夜のアクトについて語り合うファンもいた。彼らは本物ではないかもしれないが、ここにいる多くの人にとって、彼らは次善の策なのだ。

元記事はこちら(↓)。

基本私はあまりトリビュート・バンドには興味がないので、同意出来たり出来なかったり。しかし、ウチの両親は、ビートルズの大ファンで、もうずいぶん昔に、リバプールまでビートルズのトリビュート・バンドを観に行ったのだが、かなりクオリティの高いショーだったと言っていた。とはいえ、私もリック・アストリー&ブロッサムズのスミスのアクトは嬉々として観に行ったが。そして随分楽しんだしな。


ブライトンで見た、トリビュート・アクトの広告ポスター。すごい数。このポスターを見た時、正直、誰が一体観に行くのだろう?と思ったが、この記事にある、生活費の高騰から、オリジナルのチケットは手に入らない、という理由は一理あるかも。後は、オリジナルメンバーがほとんど亡くなっている(ビートルズ)とか、再結成は絶対ない(スミス)とかは、観てみても良いかなとは思う。




1月28日
:明日から夫と二人でパリなので、息子たちの面倒を見るために、ヨークシャーから義母が来ているのだが、それに合わせて、ロンドンに住む義母の妹Gとその娘Aが遊びに来てくれた。

アイルランド人姉妹。

Aには付き合って15年になるガールフレンドSがいたのだが、ここ数年、あまりうまくいっていないのではないかという憶測があり、そのことを義母とも度々話していたのだが、やはり最近別れてしまったらしい。恐らくAは子供が欲しかったのだろうが、Sはあまり子供に興味がなく、そこに合わせたようにAが昇進。仕事も責任あるポジションに移り、かなり忙しくなってすれ違いが生じたそう。別れが決まって正直ホッとしている、と言うAだが、なんとSとはまだ一緒に住んでいるらしい。これって離婚とかもそうだが、別れが決まっても、どちらかが出ていったところで、ロンドンの家賃は恐ろしく高く、別居するまでに2~3年はかかる、という話もよく聞く。実家が近くにあれば良いが、地方だったりとか、もはや実家がなかったりすると、行く充てもなく、当然だが家賃、生活費などすべてが2倍になるので、まかないきれないのだ。別の友人も離婚が決まって、5年は同居していた。彼女は子供がいたので、離婚が決まっていたとしても、両親がそろって一つ屋根の下に住むのは悪い結論ではなかったが、子供の有無にかかわらず、別れた後の生活費を考えると離婚に踏み切れないのも理解できる。Aの場合は、彼女名義の家にSが住んでいたという形だったので、Sの経済的独立が可能になったらすぐに引っ越すのだとか。


今週の1曲:Steve Miller Band  "Fly Like An Eagle"
6music のRadcliff and Maconie で流れてた。久しぶりに聴いても良い。

(今週終わり)


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