志村けん、ディズニーランド。

日本人のほとんどの人が、なんだかな、というような感覚でいるのではないかとすら思う。

志村けんさんがなくなった。
本当にびっくりした。

テレビで、ニュース速報が出るたびに「志村けん!?志村けん!?じゃなかったよかったー」と思った。

わたしがその事実に直面したのは、まさに仕事中、隣の席の先輩がネットニュースで気付き、社内が騒然とした。

なんだろう、この喪失感。

芸能人がなくなることは、もちろんいままでもあったわけで、多かれ少なかれそのときに色々と想いを巡らせる。

しかしながら、しかしながら。
今回はなにかがちがう。

たぶん、思い出が多すぎた。

小さな頃は、家族で見ていた志村けん。
学生時代は、ブラスバンド部でドリフのメドレーをコンサートでやった。
大人になってからは、芸人としてはもちろん、タレントとしてもよくテレビで見かけた。

つらい。

いままで、テレビで見ていたことがあまりにも当たり前すぎて、いまだに受け入れがたい。
親戚のおじさんがなくなったような親近感がある。

このような芸能人の死に直面したことが、はじめての経験であったのかもしれない。

友人が、ディズニーランドは何歳になっても楽しいと言っていた。

小さな頃は、両親と行き、学生時代には彼氏や彼女と行き、大人になってからは、自分の子供(家族)と行くようになる。
誰といつ行っても、それぞれの時代の楽しみ方があると言っていた。

まるでディズニーランドのような人ではないかと思った。
いつも楽しませてくださって、本当にありがとうございました。

こんなご時世でなければ、もっと大々的に、国をあげて色々なイベントをやってほしい。

いまわたしは、テレビの追悼番組を見ている。
いつ見てもバカ殿は面白い。

その時代の「人」がゲストとして出てくるが、バカ殿はいつだって変わらない。
いつの時代も最高に面白かった。

本当によい時代に生まれて、いまはYouTubeなどで昔の番組なども見ることができる。

週末にドリフを見ていたら、いつの間にか夕方になっていた。

本当に惜しい人をなくした。

いまだに多くの日本人が彼の死を受け入れがたいように思われるが、おそらくご本人はもっと受け入れがたいと思う。

映画やドラマも決まっていたと聞く。
しかも、70歳にして初の主演。
ご本人も気合いが入っていたとのことで、本当に切ない。

いつ死ぬなんて誰にもわからないけれど、志村けんさんの死を通じて、いつ死んでもよいように生きる。ことなどはちょっと難しそうであるが、その感覚は常に持ち続けたい。

もし自分にこどもができたら、ドリフを見せたい。
バカ殿も見せたいし、志村どうぶつえんも見せたい。

ずっと忘れないことが供養になるとすれば、これからもずっと動画を通じて覚えていたい。

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