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実家で過ごす10数年ぶりの正月

みなさま、今年もよろしくお願いします…!いつも昨年の振り返りと本年の抱負をまとめていますが、バタバタしており2021年→2022年の振り返りはまた後日。ぐちゃぐちゃな書きなぐりの言葉で、言葉より気持ちが先行しているので変な文章かもしれないけど、推敲しないほうがいいような気がするので、そのまま掲載します。

( 内容はポジティブですが、ネガティブな表現があるかもしれません。その言葉をしんどく思う人は読まないようしていただきたいです。こちらのご都合ですみません )


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「お前はいらない」と母親から言われたことがある。理論的にはなしてくるから、とか、お金が掛かるから、とか、あの人に似ているから、とか。「ああそうじゃなかったら、そう振舞わなかったら、こんな言葉を言われることはなかったのに」と自分の過去の言動へ後悔を寄せた。でも、自分は被害者だ、の意識は変わることはなかった。当時流行っていたDEATH NOTEになぞって「この事実がなくなりますように」と実際に紙に書いた。あの日以来、母親とは会っていない。あの日以降、実は母親から「会いたい」と何度か連絡があったが、会わなかった。会えなかった。過去の自分と対峙できず、母親と会うという覚悟ができなかった。母親と自分の関係をあの日から変えることができなかった。

「お前とは勘当だ」と父親から言われたことがある。妹の婚約の件で「差別的な言動」があり、それに反論し続けたことで「縁を切る」と言われた。感情的になっていた僕は「いいよ!あんたの行動はクズだよ!」と言い放ち、あの日以来会わない日々が続いた。結局、妹の婚約が破棄となり、何事もなかったかのように父親は僕に歩み寄ったが、その差別的な態度はずっと忘れておらず自分のなかにはわだかまりが残っている。

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今年の正月は10数年ぶりに実家で過ごすことになった。妹が昨年末入籍したからだ。家族を避けていた僕にとってはすごく悩んだ。家族とともに過ごすしんどさと妹をお祝いする気持ちを天秤にかけ、後者が勝ったので年末から行くことにした。

何気ない会話ももぎこちなく家族といる空間の圧がすごくリビングにいられずに自室にこもってしまうことも多かったが、家族と観た紅白も、一緒に行った初詣も、親戚とのご飯会も、無事に終えた。普通のことかもしれないが、この当たり前をすることに10数年も掛かった。

大晦日から元日までしか実家にいないつもりだったが、緊張感が少し和らいだので、2日の朝までいることにした。少しだけ前進した気がする、逃げてばっかりだったけど向き合うことができた。そう思うと気持ちが少し晴れやかになった。牛歩のようだけど心に深く傷を負ったトラウマってそう簡単にぬぐえないなあと改めて思う。いろんなことととことん対峙しなきゃ。で、やっぱりぼくは優しいひとになりたいな。いままでできていなかったけど、相手の立場に立ち言葉や態度を丁寧に振舞い、すっと誰かに寄り添える人になるよ、2022年。

福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。