Colabo都庁前抗議行動(2023/03/22)を見て、Colabo-ナニカ問題は教育問題だとの確信を強める

昨年秋、Colabo-ナニカ問題がツイッターで炎上しはじめた頃から、その核は教育問題だと私は思っていたが、2023/03/22のColabo応援者による都庁前抗議行動の「帰れコール」を見て(動画配信で見た)、やはり間違いないと思った次第。

抗議行動までのいきさつ概要

2023/03/15、東京都からColaboに対して、2023/03/22のバスを使ったアウトリーチ活動に対して中止要請があった。

(2023年に入った頃から、バスカフェ実施で、Colabo勢-コロアキ勢で、なかば抗争に近いものが発生していたのだから、まあそうなるのも不思議はない)

それをうけ、Colaboと仁藤夢乃さんを支える会が、都に要請の撤回を求めるオンライン署名を開始、2023/03/20に仁藤夢乃氏が、都に署名と撤回要請を届けたのだが、都は2023/03/22に、新宿区役所前でのバスカフェの中止指示を出すに至る。

さらにそれをうけ、Colaboと仁藤夢乃さんを支える会は、「都が中止指示を18時までに撤回しなければ、都庁前で抗議行動を起こす」としてネット上で撤回を求める動きを開始。

都は撤回しなかったので(そらあたりまえだろ)、都庁前でColabo応援者及び仁藤夢乃氏による抗議行動が実施されたわけだ。

 

生配信に映る「帰れコール」

都庁前に集まったのは、菱山南帆子氏をはじめとするColabo応援者だけではなく、動画配信者や野次馬、そして、コロアキ氏らも。

19時の抗議行動スタートから30分ほどたったあたりで、コロアキ氏らの野次に菱山氏が反応、菱山氏が先導するカタチで「帰れコール」が発生。その直後にColaboのピンクバスが現地に横付けされ、一時騒然となる中、仁藤氏がバスから降りて現地入り。

元動画は下記

 

帰れコールの発生時にはTBSのカメラクルーも映り込んでいる…ちいとタイミング良すぎやしないか?とも思うが、それはちと置いておこう。

「帰れコール」といえば、小中学校の定番のいやがらせ

ワシのようなババアも知ってる古典である。「気に入らない奴」に対する嫌がらせとして使われるものだ。

主として、児童・生徒集団が気に入らない成員に対して起こすパターン、児童・生徒集団が気に入らない教員に対して起こすパターンがある。先導するのは女子であることが多い。

前者のパターンは小学生で多いだろう。
抗議というより排除型のいじめの一種である。

  

おばさん達の帰れコールと日本の教育

まさか「帰れコール」まで実体化するとはおもわなんだが、抗議行動をする 彼らにとって「学級自治王国の支配者の論理」で動かないものは全て理不尽な攻撃なんだろう。

問題のシーンを見てゾワッとした人もいただろう。

「帰れコール」や、それに類する排除的な嫌がらせを、小学校時分あたりに食らった経験のある人もすくなくないだろう。

なぜかフタをされる日教組教研団体の問題点 

ハッキリ言ってしまうと、1960年頃から、我が国の教育は長きにわたって、日教組(今は日教組と全教に分裂)の支配下にあったのだな。

日教組の組織率を見たらそうは見えないんだけど、教員養成課程で教えてる人たちが、日教組教研運動を色濃く引きずっている人たちが多かったのよね。特に生活指導と人権、平和がらみと国語。

 教科書問題などで話題にのぼるから「歴史」が注目を浴びやすいけど国語と生活指導の影響はバカにできないよ。 どっちも話題にのぼりにくいのがミソである。

国語のことは脇においておくとして「生活指導」についてひもといてみる。

 

学級集団づくり生活指導

 1960年前後から学校で「集団づくり指導」が流行りだす。 

個人の生活や内面を記述or語らせる「綴り方生活指導方式」から、システマチックな「班・核・討議づくり」「集団づくり方式」への転換があった。

日教組教研集会の生活指導部会での主流であった「全国生活指導研究協議会」の提唱する「学級集団づくり生活指導」では、排除や吊し上げは「集団づくり」のための手段として容認されていった。
 
1963年に発売されたマニュアルが小ヒット、さらに1971年に発売されたマニュアルが大ヒット。 

二発目のマニュアル本「学級集団づくり入門第二版 全国生活指導研究協議会編 明治図書 1971」に至っては、排除や吊し上げを誘発するといった方法も書かれている。

黒歴史には煙幕がかけられた

1980年台半ばに、この団体の指導者グループは「吊し上げ方式」から、ちょっとソフトな「寄り添い」路線にシフトした。

しかし、問題がおこりやすいことの原因について、全生研の理論的支柱であった竹内常一が「教員の内面の管理主義の問題」「現代のこどもたちは討議-糾弾といった集団づくりに耐えられないから」してしまったため、方式自体の否定はされていない。

現場に残るのは当たり前である。「集団づくり=善」という価値観は教員に根強い。

今回のColaboの抗議行動の「帰れコール」の人たちは「言論による集団の暴走」を、まずいことだと思ってないのでしょう。他のモデル事業の団体も「関係性」「繋がり」をやたら持ち上げるので、思想的には大差ないだろう。

「学級集団づくり」については下記あたりからどぞ。

  

女子による排除行動は集団づくり指導に利用されてきた

女子による排除行動は、教育学者の宮坂哲史の著作や初期の大西忠治(教師→教育学者)の著作にすでに描かれている。

東大の偉いセンセが排除を容認しちゃったら、誰もケチつけられないでしょう。

 

だが、その手の排除行動を半ば利用するような集団主義生活指導スタイルができちゃって、排除行動のエスカレートの侵襲性の問題については手付かずのまま、全国に広がってしまった。

まぁ「善い事」として学習しちゃう層が発生するのは当然の帰結だと思う。

その果ての現象として、ラジカルフェミニストによる各種の排除行動、動画「キモイおじさん」や、今回の抗議行動における「帰れコール」があるように思う。

  

「シバいて作る民主集中制」が「寄り添い」へとシフトする過程とColabo問題

 

1980年台に入るころには、全生研のやり方に批判も登場したのであるが、集団主義教育の中心だった教研団体の全国生活指導研究協議会(全生研)は、「校内暴力」「不登校」「いじめ」などを一把ひとからげにして「”思春期の自分くずしと自分つくり”の失敗」という箱にぶち込んで「寄り添う」といった方向性にシフト。

下記、初版は1989年に出ている。


さらに、黒歴史を隠蔽して方向性を切り替えただけにとどまらず、全生研の主要メンバー(春田正治、城丸章夫、竹内常一等)が、教育学以外のジャンルに声かけして、1983年に「日本生活指導学会」をつくっている。

全くろくなことしない。


この団体の設立の翌年の第二回大会に、Colabo応援団の宮本みち子氏がしっかり登壇している。

つまり、「シバいて作る自治的な民主集中制」路線の集団づくりで色々問題が発生したもんで「自治的な集団づくりには思春期の子たちの心に寄り添う支援が大事(=それこそが本当の生活指導)」を上乗せして誤魔化しただけだったりする。

「解釈」を専門家がよってたかって弄りたおし、実態とかけ離れた対策しかでないようにしている感はあるのだよね。

不登校についての言説の迷走についてはこの本の分析が、わりと妥当性が高いと思う。 



まとめ

さて、まとめよう。

第二次大戦後、長きにわたって、学校の生活指導は「集団主義」をそのベースとしてきたが、非人道的で苛烈な排除を集団づくりや主張の手段としてしまう「全生研方式」がその主流であった時期は長かった。

昨今その傾向は若干薄れつつあるものの、教員の中ではその歴史的経緯をしらないまま「方法」として踏襲されている部分もあるだろう。

Colabo応援団による「帰れコール」の無邪気さのみならず、昨今の弱者支援の主張のありようといったものも含め、これまで述べてきたような集団主義的なお作法及びそのお作法の歴史が、背景としてあるような気がしてならない。


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