三年日記/逡巡するわたし
263日目。
せっせと大掃除や断捨離に励んでいる最近なのですが、「捨てよう」と思って、でもまだなんだか踏ん切りがつかなくて、手をつけられていないものがあります。
それは、日記です。
3年日記。
2017年〜2019年までつけていた3年日記が手元にあります。
ふだん読み返すことはないし、なんとなく、捨ててもいいかな、って思ったのですが、いざ手に取ると、その手は止まってしまうのです。
なぜだ、なぜなんだ、自分…。
日記をつけておられる方は、どうしているのでしょう?
過去のもの、とってありますか?
人生で初めて、わりとロングスパンで書き続けた日記が、わたしにとってはこれなのです。
(ほかに日記を書いたことがあるのは、中学生の時に友達とやっていた交換日記だけ)
書いていた当時は、特にこれといった目的はなく、ただやってみたいから!という理由だけで日記を書き続けていました。
で、3年間終わった時点で、振り返ってみると…。
3年って、長いようで短いな、と感じました。
やってみて思ったんです。
ロングスパンで書いていく日記のおもしろさって何なのか?って言ったら、あとで振り返ったときに、人生のバイオリズムを長期的な視点で観察することができるってことなのかなぁ?って。
でも、そういう意味だと、3年って短い。
次にやるなら、10年日記をやってみたいなぁ。
おっと!
ちょっと話が脱線してしまいました(汗)。
この日記、捨てようと思う自分と、手が止まってしまう自分、両方のあいだを今は行ったり来たりしています。
こうして書いていくうちに、自分の中で答えが出るかな?と思ったけれど、特に変化はないです(笑)!
でもネ、最近、「手放す」ことについての文章に心惹かれている自分がいます。
今日の坂爪圭吾さんのnote。
「手放すほどに残るものが思い出」かぁ。
胸に熱くせまってくるものがあるなぁ。
それと、今読んでいる本の中にも。
お…?
手放すことについての言葉たちにこんなにも心惹かれるということは、やっぱりわたしは捨てたいのかも、しれないですね。
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ライティング・ライフ・プロジェクト第7期、満席にて受付終了いたしました。ありがとうございました。
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