美しいものは美しいーマキシマリストのススメ


私は、線の綺麗なものが好きだ。静かなところで戯曲のはじまる様なものが好きだ。なめらかな曲線、不安になるくらい適合した色の組み合わせ、背後からいきなり殴られたような衝撃のある突拍子もない、心にズカズカ入ってくる歌声や文章。マキシマリストの私は、そんな美しいものたちを全て自分の周りに置いていたいと思う。欲張りだ。死んだら持って行けない事は知っている。

日本では、断捨離というのが流行していたらしいが、私はその被害者であると思っている。本のぎっしり詰まった棚が至る所にある家庭で私は育った。父も母も本が大好きだったし、父なんか週刊ジャンプ、月間ジャンプ、月間マガジンを欠かさず買うような人間だった。私達姉妹は必ず一ヶ月に一度自分の好きな本を買ってもらえた。母は、よく私たちに言い聞かせた。

―いい、本は心の財産なんだから、絶対に捨てちゃだめよ!

まあ、ちょっと矛盾している言い分だが、私はその言いつけを忠実に守った。どうしても読みそうにない、人からもらった変な本とかでさえ捨てるのに躊躇してしまう。母の呪縛恐ろし、である。まあ、心の財産なら、一度読んでしまえば心に入っている訳で、なくても構わないのでは?と思うのだが、読み返したくなった時に手元にないと困るのは確かだ。そして、装丁の美しい本というものは一種の芸術作品であると思うので、捨てては罰が当たりそうだ。

異国に来て、ちょっと切なくなる出来事があった。父のことだ。人間、暇になると考えなくてもいい事ばかり考えて、妙に心が病んでくる。友達が、父親と酒を飲んだりする、という話を聞いて切なくなった。父は酒なんて飲む人じゃなかったから、それは出来ないにしろ、私が18の時に死んでしまった父と語りあった事など殆どない。私は父の事を何も知らないような気がして悲しくなった。父は、何を思い生きていたのだろう?父はどんな本を読んで、何を感じたのだろう?父の描く線は美しかったな。写真を撮るのも大好きだったな、あのニコンの一眼レフ、誰の元にあるのかな?

兎に角、私は居ても立ってもいられなくなって、めったに連絡しない母にメールを入れた。

ー父の読んでた小説を何冊か今度送ってください。

―ああ、ごめんね。本、沢山処分しちゃったのよー。前に断捨離が流行った時!

恐るべし、日本の流行文化。志し固そうなうちの母までその気にさせるとは。SF小説が沢山あったことは覚えている。でも、後の祭りである、何を読んでいたのかわからない。というか、私の置いてきた本は無事なのだろうか?重いから、でかいから、と泣く泣く置いてきた装丁の美しい本が何冊もある。その本たちが無事な事を祈る。

何もない、暮らし。結構である。いらないものは捨てていいと思う。ときめかないものは、周りに置いておく価値などないと思う。しかし、美しいもの、好きなもの、ときめくものが大いにあったら、それはそれで仕方のない事だと思うし、妥協なんてしなくてもいいと思う。だから、私はマキシマリストになることを大いに勧める。好きなものに囲まれている暮らし、目のつく場所に美しいと思うものがある暮らし、ごちゃごちゃの中に見出されるある種の統一感、そして何よりもそのもの達が存在しているという、安心感。

インターネットが普及して、本という存在が手に取る事の出来ない物体になっていく事が悲しい。と、本の詰め込み過ぎで、本棚がぶっ壊れてテーブルに本を積み重ねている人間がぼやいてみた。

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