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「本を語る」100日100冊チャレンジ 第91日「長生きしたわけではないけれど。」


❶[1BOOK]
「長生きしたいわけではないけれど。」
曽野綾子 ポプラ社 2020年2月12日

❷[3POINT +1]
◎「前書き」
自分の死を残念とは少しも思わないけれど、その光景を見損なうことだけは心残り、と言えるかもしれない。

①人生の妙
☆世の矛盾が人間であり続ける余地を残す
逆説めくが、人間が人間らしく崇高であることができるのは、この世がいい加減なものだからである。正義は行われず、弱肉強食で、誰もが容易に権力や金銭に釣られるから、私たちはそれに抵抗して人間であり続ける余地を残されているのである。

②囚われとサヨナラする
☆私はこう生きる、という譲れない部分を持つ
自由は制度によって得るものではなく、人間の勇気に支えられた眼力によって獲得していくものなのだ。そして、誰にも理解されなかろうと、どう思われようと、自分がいいと思うことを最終的には命を賭けてやる。それが「人間の美」というものだと思う。

③いい按配で暮らす
☆「ささやかな人生」に偉大な意味を見つける
私も含めてほとんどの人は、「ささやかな人生」を生きる。その凡庸さの偉大な意味を見つけられるかどうか。それが人生を成功させられるかどうかの分かれ目なのだろう、と思います。

❸[1ACTION]
[実行すること=自分との約束]
「自分がいいと信じること」を命が尽きる時までやる。

[思いついたこと]
今でもそうなんですが、どうしても「いい子」になりたいと思って、行動してしまうのです。幼い頃から、常に「相手の求める答え」を察して、ついつい調子のいい発言をしてしまい、後から困ってしまうことがたくさんありました。また、答える前に、言い訳をしてしまうので、今でも娘に叱られています。「YesかNoかを聞いているのに、どうして言い訳から始めるの?」

人は、「隠し事」があると、それを隠そうと思うあまり、嘘をついたり言い訳したりしてしまうのですね。これだけ生きて来て、たくさんの仕事をし、多くの本を読んでいるにも関わらず、とっさの質問には、ついつい本性が現れてしまいます。まだまだ、人間としての修行が足りない、と言ってしまうのは簡単ですが、つまりは「自分自身」との対話ができていないのです。最近、ようやく「なりたい自分」を常に意識すればいいのだと知りました。

[そして]
「できない自分」「できていない部分」にフォーカスしてしまうために、さらに「できなくなって」いくことに、気づかなかったのです。先日、自分に残された時間を数えてみました。健康寿命を考えると、残りは意外と少ないのだと思い知らされ、愕然としました。
もう「いい子」になる必要もなければ、そもそも、誰に対して「いい子」になるのでしょうか。両親は早くに他界し、親戚もほとんど亡くなりました。仕事も辞めているので、職場の上司も存在しません。

もともと、周囲とは感覚が合わず、つねに「違和感」を持ちながら生きてきました。その「違和感」が、私にとっての「隠し事」かもしれません。しかし、もう隠す必要はないのです。その「違和感」こそが、私の軸だからです。世間と少しズレた、自分の視点を活かしていくのが、これからの私の生き方です。そしてそれを「テーマ」として、言語化していくのが、私の「仕事」だと改めて思うのです。

❹[1episode]
☆自分がいいと信じることを、命が尽きる時までやる
私は、自分を少し賢くしてくれるものを愛している。人生の深い知恵を持っている人に会い、人生を見抜いているような言葉を聞く時、私はとても得したような気になってしまう。
そういう意味でも、本を読まないというのは、損なことだ。本を読めば、古今東西の先人たちの知恵に触れられて、それを始終自分で考えたことみたいに「盗用」して生きられるのに、最近は、読書をしない人が多い。そういう人は、人生を損している。
そして、自分にとって何を「美」と感じるかは、自分で生き方を選び取ることに通じる。その精神は、少しばかり頑固なほうがいい。誰かに理解されなかろうと、どんなふうに思われようと、庶民にとっては大したことない。自分がいいと信じることを、最終的には静かに命の尽きる時までやる。それが、「人間の美」というものだと私は思うのだ。



#望月俊孝
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#継続は力なり
#宝地図
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