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「地名を入れて一句」から、思い出話に花が咲く

いっ時の恋夏暮れのアルノ川

30代前半、思い立ってある年の夏の1か月を単身「花の都」フィレンツェで過ごした。期待されるといけないから初めに言っておくと、恋の話は出てこない。国際ロマンス詐欺ばりの大恋愛が読みたい方は他をあたってほしい。

語学留学のためと夫を説得し、現地の語学学校に通ってホームステイするプランで旅立った。
私が滞在したのは、ダイニングキッチンの周りを囲むように6室の個室が並ぶ”その用途専門”のマンションだった。オーナーは別の家に住んでいて、気が向いたらやってきて時々”留学生”に料理をふるまう。基本は自炊(外食とテイクアウトが主)で、ホームステイというよりコンドミニアムのような宿泊形態だった。床はすべてタイルで腕時計を落としたらヒビが入った。洗濯機やキッチンやバスルームは、たまたま一緒になった”正真正銘”の学生たちと共同で使った。シンクで靴を洗う奴、ラップをしないで食材が並ぶ冷蔵庫など、文化の違い(?)を楽しんだ。
ドイツ人2人、オーストリア人2人、そして運のいいことに日本人の女の子が一人いた。日本語はなるべく使わないようにしていたが、英語が堪能な彼女に頼ることもしばしばあった。

フィレンツェは言うまでもなく世界屈指の観光地だ。夏のバカンスを楽しむ欧米人であふれかえっていた。語学学校もバカンスの一環というスタンスの人が多く、ゆるく楽しいクラスだった。場所がら日本人も含め音楽大学の学生が多く、学内コンサートも行われた。
受け入れる側の街の人は”観光留学生”に慣れ過ぎていた感がある。やはりアモーレの国イタリア、しかも夏の観光地ときたら治安は良くない。夕方以降は女一人で出歩けない。ひったくりもいたけれど、それより誰かれかまわず熱い視線を送ってなナンパしてくる現地のウオーモ(男)がいるので、自由に散策できない。特に日本人女性ははっきりNo!と言えないから寄ってくるのだと教えられた。
荷物を出しに行ったら郵便局員に電話番号のメモを渡されたとか、語学学校の先生に口説かれたとか、ホテルのフロントマンと食事に行ったとか、嘘か本当かわからない話ばかりだった。(もう25年以上も前の話なので。)
だが私のイタリア語熱は、その頃からのイタリア人男性不信によって次第に冷めていった。料理も音楽もデザインもファッションも、とってもすてきなのに。今はイタリア料理のメニューはだいたい解るといった程度だ。

さて、冒頭の句はその夏を思い出して詠んでみた。
夕方になると、同じ滞在先の学生達、ときには語学学校の日本人達と食事に出かけては石畳を歩き、古都の雰囲気を楽しんだ。
アルノ川は有名なドウオモの近く、そして至宝の数々が在るウフィツイ美術館の裏手に流れている。有名なヴェッキオ橋もかかっている。川を渡ると街の喧騒から少し外れて、遠くに山並みも見える。
お陰様で、私は「いっときの恋」には溺れなかったが、フィレンツェはバカンスのあれこれが似合う景色であることは間違いない。
また訪ねることができますように。

古い記憶をもとにざっくり書いた記事なので、ここ違うよ~という箇所があるかもしれませんが、お許しください。
コメント欄で優しくご指摘いただければ幸いです。


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