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ミンファン系男の生態〜「私の夫と結婚して」にハマり中〜

とうとう、私もある種の沼に入り込んでしまったようだ。

https://www.lettuceclub.net/news/article/1180831/

現在、空前の大ヒット中と言われる韓国ドラマ「私の夫と結婚して」にすっかり夢中になってしまっている。

アマゾンプライムの上位に韓国ドラマが上がってきているのを珍しく思い、ほんの軽い気持ちで再生したのが運の尽きだった。

数年間にわたって、少しずつ韓国語を勉強していたこともあり、いつかは何かを見始めようとは思っていたものの、このタイミングでハマることになるとは、予想もしなかった。
分からないものである。

ちなみにだが、韓国ドラマ自体は「梨泰院クラス」を2回ほど観ただけで、未だに歴代の話題作(冬のソナタ、イカゲーム、愛の不時着etc)は何ひとつ観たことはない。

何故こんなにハマってしまったのかは別記事でも少しずつ書いていくことになるとは思うが、ストーリーはもとより、ひとえに登場人物のキャラとキャストが非常に魅力的だということに尽きる。

観ている方ならばきっと共感していただける方が多いと思うが、ヒロイン・ジウォンを全力で護り支える存在、ジヒョク部長の素晴らしさは外せない。

このふたりの関係性や魅力についてはまたじっくり語ることにするとして、今回はヒロイン・ジウォンを苦しめた元凶でありヴィラン役のひとり、ミンファン(※現地語では【ミナン】の発音がより近いが、今回は公式サイト通り、ミンファン表記に統一する)を取り上げたい。

ジウォンの1度目の人生では夫となる、ミンファン。
韓国大手の食品会社で社内恋愛を7年続けた後、ふたりは結婚することになる。

ところがこの夫が、とんでもないスレギ(韓国語でゴミクズの意)で、ジウォンのスペック(地味だが従順、有名大卒で貯金も多額)狙いで長年嫁候補の彼女としてキープした挙げ句、目も当てられないほどの粗末なプロポーズを経て結婚。

ところが、結婚後ミンファンはビギナーズラックで一山当てただけの投資に入れ込み、勝手に会社を辞め、家事も仕事もろくにせず、わがままで意地悪な母親(ジウォンにとっては姑)を味方につけ、ジウォンの稼ぎを当てにして暮らすように。ひとたび逆上すれば暴力も辞さず、しまいには、ジウォンの中学時代からの大親友・スミンと不倫に明け暮れるという、本当にひとつの救いようもない男だ。

ジウォンはストレスから胃がんを発症、半年から1年という余命宣告を受けてしまう。入院費さえ使い込まれ、治療すら続けられなくなる中、自宅に戻ってみれば、そこは浮気現場という名の修羅場だった。逆上したミンファンに突き飛ばされ、余命すら全うできないまま、ジウォンは絶命したかに思われたが、目覚めると10年前に戻っていた―?というのが物語の冒頭部分だ。

ここからジウォンは、未だに「彼氏」である元夫ミンファンと、浮気相手の大親友・スミンを結婚させ、自らの悲惨な運命を塗り替えていく…というのが概要である。

ずいぶんと長い前置きになってしまったが、ドラマを見る多くの人が、疑問に思うことがあるはずだ。それは、

【ジウォンは何故、あんな男と7年も交際を続けた挙げ句、結婚をしたのか】

ということ。

結婚後までミンファンが暴力を振るう男だということを見抜けなかったと作中ジウォンは語っていたが、我々が見ている限り、ミンファンの粗暴さやヤバさは10年前から既に随所に鏤められているように思われる(もちろんそれが狙いだとは思うが)。

ところが、私は観ながらついつい、ジウォンの方に感情移入してしまうとともに、いろいろなことを思い出すに至った。

そう、実は外ならぬ私自身が、まさにミンファンのようなスレギ男に6年近くも費やした当事者その人だったからである。

その彼とは、高校2年の秋から付き合い始めた。

文化祭の委員で一緒になったのがきっかけというあまりにもベタな理由だった。

双方初めての交際だったが、彼に戸惑う場面の方が多かった。
元来世話好きで甲斐甲斐しい性分が裏目に出てしまい、いわゆる尽くす女性になってしまった(おそらくジウォンも同じようなタイプだったと思われる)。

だが、特にこの手の男にそれをやると、簡単につけ上がることを身をもって実感してから、必要以上に尽くすことは止めにした。

とにかく、人の気持ちや思いに無関心で、基本的に自分のことしか考えない。
食事に誘われ店に駆けつけた頃には、既に注文を終え、食べ終わってしまっていた、ということは一度や二度ではない。

自分の誕生日プレゼントは要求しても、こちらにはほとんど何も渡してこない。6年弱付き合っていて、誕生日プレゼントを受け取ったのは、たったの1度だった。

ある日の学校帰り。
いつも私の方がプレゼントその他を渡してばかりだったということもあって、たまには私だって何か欲しい、1000円位で私のために何でも良いから選んでほしいと、道中の商業施設のフロアに彼を連れて行き、しばし別行動をしたことがあるのだが、待てど暮らせど戻ってくる様子がない。

戻ってみると、彼は空っぽのカゴを持って店の中央で立ち尽くし、べそをかきながら、私に救いを求める子犬のような目をしていたのだった。今ならあまりの情けなさに絶望し、その場で振っていたとさえ思うが、当時は何て酷なことをしたのだろうと反省し、以降私は彼に積極的に何かを求めることをしなくなった。

付き合い始めて1年と少し、2度目の彼の誕生日がやってきた。今思えば、男性にとって誕生日などそれほど重要な日ではないと分かるが、私はこの時も律儀にプレゼントを用意し、喫茶店で彼に渡した。

彼は一旦は喜んだものの、次第に顔が険しいものになっていく。

「お前しか、誕生日を祝ってくれる奴がいない」
「親でさえ、おめでとうと言ってくれなかった」

こんなことを口走りだした挙げ句、彼は勝手に機嫌を損ね、会計もせず、私を置いてたったひとりで店を出て行ってしまったのだ。

作中のミンファンは、対等につるめる同性の友人もいたり、何だかんだと愛嬌やユーモアがあるように見受けられた(それ故に、ジウォンも肝心要の部分では彼に絆され、ずるずると交際を続けていたのかもしれない)が、この彼にはそういったものが一切なかった。

友人という存在がほぼおらず、弁当を食べるのも常にひとり。基本的に周りを見下して生きているような感じがした。後述するが、様々な場面でコンプレックスを強く感じるタイプでもあったと思われる。

そもそも彼は、誰の誕生日もまともに祝っていないわけだ。
一応彼女である、私の誕生日でさえも。
そんな状況で、自分の誕生日を祝ってもらえないと嘆く資格がどこにあるのか。
今思ってもこの論理や心境はよく分からない。

この件は、さすがに悪いと思ったのか、後日に謝罪があった。だが、その謝罪は私なりに一生懸命に誕生日を祝った私の気持ちを踏みにじったことに対してではなく、

「せっかくプレゼントをくれたのに不機嫌になって悪かった」

というものだった。

この男は、自分に見返りがあるかどうかでしか物事を判断できないのか―。

私は人知れず、心底絶望した。

このように、引っかかる点はいくつもあったのに、私は彼と「別れる」決断ができなかった。

初めての恋というのは、えてして人を狂わせるのかもしれない。

また、私自身、今でも自己肯定感に問題があるタイプではないと思うのだが(ジウォンは、スミンの存在もあって、この部分に問題があったように思われる)、少なくとも、容姿には自信がなかった。ジウォンと同じく、ひっつめ髪の眼鏡女子で、いわゆる地方の進学校であったため、あからさまにメイクをしているような人もいなかったから、「素の可愛さ」だけがものを言う環境だったことも、影響していたのかもしれない。ちなみに、今でもメイクは苦手である。

―こんな私でも、付き合ってくれる彼がいる―

多分当時の私は、そういう状況に酔っていたのだろう。

また、もうひとつ理由を挙げるならば、私自身の生育環境も大きく影響していたかもしれない。平たく言うと、両親の夫婦仲がすこぶる悪かった。

詳細はここでは差し控えるが、私は10代半ばにして、夫婦もとい男女関係というのは

【女性の我慢や忍耐によって成り立つもの】

だということを悟りきってしまっていた。

その法則をそのまま、恋愛にも当てはめてしまっていたのだ。だから、彼とのこともこちら側が我慢していれば済むし、それだけ長く交際を続けられるのだと思い込んでしまった。

それ自体は間違っていなかったのかもしれないが、私のこの「思い込み」が、更に自分を追い込み、首を絞めていくことになる。

彼は努力は面倒だが、人並み以上に成果や結果を欲しがるタイプでもあった。

その傾向は、受験や人間関係そのものにも現れていたと思う。

勉強は面倒だが、人から羨まれる良い大学に入りたい。

モテる努力は一切しないが、できることならもっと可愛い彼女が欲しい。

彼としては、私は妥協の産物だが、彼女という存在自体は優越感を得るツールとしては欠かせない。
そんな感覚だったのだろうと思う。

諍いの度に言われていた。
「やっと俺のことを理解してくれる奴が現れたって思ってたのに、お前は違ったんだな」

高校時代、私は心身のバランスが保てない場面が多く、風邪を引いて発熱することが度々あり、欠席も多かった。

そんな私に、彼がぶつけてきた言葉が今でも忘れられない。

「お前、いくら何でも身体が弱すぎるぞ。身体の弱い女に、立派な赤ん坊は産めないからな!」

こんな言葉、本来なら問答無用で一発アウトである。疑問は浮かんだものの、私はそれでもちょっと心にカッターナイフをかすらせただけで終わらせてしまった。

「お前、本当にぺったんこだよな」

「身長が高すぎる、もっと低かったら良かったのに」

彼は身長にコンプレックスがあった。164cmの彼に、161cmの私は「高すぎた」らしい。

私には今、幼い息子と娘がいる。

そのどちらにも伝えているし、伝えていかなければならないと強く思う。

他人の容姿のことは、絶対にあげつらってはいけないこと。

容姿や造作、身体的なことを馬鹿にするような人間とは、絶対に深く関わってはいけないこと。

そして受験が終わり、私と彼には新幹線で2時間以上の距離ができた。

この時に別れを決断していれば、また違っていたかもしれないのだが、迷った挙げ句に私は「別れない」決断をしてしまったのがさらなる運の尽きだった。

この頃の彼は、更に学歴コンプレックスをも募らせた。
私だけが第一志望に合格し、彼はそうならなかった。
会うたびに「何故お前だけがいつも良い思いをして…」と文句を言われていたが、側から見ていても、勉強量は明らかに少なく、本気になっているようには思えなかった。
私のいる側の方が主要都市に近かったこともあり、来るのは彼の方だったから、私は毎回必ず、交通費を半額渡していた。彼の事情によっては、何度か全額負担することもあった。

今思えばこれも、「遠距離を長続きさせてしまった」要因なのだと思う。

遠距離恋愛というのは、コストがかかる。
人としては決して間違っていない行動(ちなみに恋愛指南書的観点でも同様だと思う)だったと今でも思うが、私自身を保つ意味ではどうだったのか、今となってはよく分からない。

作中、ミンファンと別れる決断が今ひとつできないように見えるジウォンに対し、ジヒョク部長が諭す場面がある。

「彼にこだわらず、結婚するまでに、何人かの人と付き合うべきです」

「彼は変わらない。あの手の人間は、同じことを繰り返す」

まさに言い得て妙であり、自分自身のことを振り返ってもそうだと思う。
だが私は、
「この彼と結婚だけは違うのでは」とはうっすら思い始めていた。

「排水溝が汚れてる。俺の実家でこんな状態にしておいたら、ウチの母親が何言い出すかわからねぇぞ」

彼は中学時に父親と死別していて、母親が女手一つで3人の息子を育てていた。
そして、彼の家はとある事業を営んでおり、長男の彼は順当に行けばその跡取りだった。

そして、幸か不幸か、私の実家もほぼ同業だったため、その内情は誰よりも分かっている、という強力な但し書きもあった。
この手の家に嫁ぐと、同居は避けられないというオマケまでついてくる。

ただ、私の家と彼の家とでは、系列が微妙に違うため、結婚となると双方に良い顔をされない可能性もあった。それ故、家族にはなかなか言い出せずにいたのである。
結局私は最後まで、この彼のことは身内には切り出せ(さ)ずに終わった。

結果的にそれで良かったのだと思う。
色々な意味で堂々と親にさえ言えない。それが全てを物語っていたのだから。

直接言われたことがあるが、「何を言ってもやっても別れることはない」と彼は本気で思っていたらしい。

その言葉通り、彼はますます増長しているように思えてならなかった。

私がちょっとしたミスや勝手(に思える)な行動を取れば、烈火のごとく怒る。

駅の改札口を間違えて、切符を通せなかっただけで、手首を激しくつかまれ、

「何やってるんだ!駅員さんに迷惑だろう、謝れ!!!」

と公衆の面前で怒鳴られた時は、多分周囲の注目を集めてしまっていたはずだが、あまり記憶がない。

ただ、駅員さんが「これくらい、全然大丈夫ですからね」と涙目になった私をなだめてくれたことだけは覚えている。

またある時は、彼の方に行って(ちなみに行ったのは交際中たったの3度だけだ)、観光旅行に誘われた。

しかしながら、蓋を開けてみれば全くのノープランであり、私も書店に同行し、観光情報を集めることを強いられた。

だが、私はそれに飽きてしまい、違うコーナーで数分別の本を見ていたら、帰宅後彼に激しく怒鳴られた。

「俺はお前のために必死で捜してたのに、お前は何をやっているんだ…!!」

(結局、有力な情報は何一つ見つからず、それ以上はどこにも行かなかったのだが…)

それだけなら未だ良かったのだが、彼の指摘はこれだけに留まらなかった。

ある時は「キスが下手だ」と文句を言われ、またある時は「これは男だけがどうにか頑張るものじゃない。お前もちゃんと勉強するべきだ」と、その手の指南本を何冊も渡された。

会っていない間にきちんと読んだかどうか、しつこく確認され、感想やプランを求められた記憶もある。

私は、おそらくこれがきっかけで、その後10年近く、行為そのものが怖くなり、この手のことが何もできなくなってしまった。
最後までやろうとすると、身体が強張って、どうしても先に進めない。
何度もカウンセリングを受けるべきかと真剣に悩み、心底苦しむことになった。

こうして私は、本来であれば非常に貴重な大学の4年間を、恋愛に関しては彼だけに費やして終わらせてしまったのだった。ジヒョク部長の言葉ではないが、この間、本来であれば男女問わずもっといろいろな人と関わるべきだった。非常にもったいないことをしてしまったと思っている。

遠距離の特権と言えばそうで、どうせ簡単にバレるようなことはなかったのだから、合コンが都市伝説化するまでに1度くらい経験しておけば良かったのかもしれないとすら思う。

だけど、「彼氏がいる」と答えた女性は、それだけである種強力な鉄壁を所持しているも同然なのだ。

双方地元で就職することが決まり、遠距離は終わりを告げた。
そしていよいよこの先どうするのかと、これまで先送りにしてきたこと、すなわちふたりの将来が現実味を帯びてくる。

この頃になると、大学4年の遠距離を乗り切り、5年近くも交際を続けていた私を、友人や同窓生達は「凄いね」と、半ば尊敬(?)のような目で見るようになってもいた。

「どうしたらそんなに長続きするのか教えて欲しいくらいだよ」
「このまま結婚?凄いよね」
「毎日連絡来るとか本当羨ましい」

私は良くも悪くも、友人達には彼との交際の詳細についてまでは話していなかった。
彼の悪口や愚痴は極力言いたくない、悪評を伝播したくないというような思いを持っていた。

口を開けば、夫の悪口や愚痴ばかりをぶつけてくる、自分の母親のようにはなりたくなかったのだ。
しかし、双方の就職を機に、いくらか潮目が変わってきた。

彼は基本的に定時帰宅ができ、土日休の職務だったのに対し、私は完全シフト制で、休日も電話が鳴り止まないことも多い、激務系の業界だったのだ。

やっと取れた土日休で久しぶりのデートをしたが、やはり、途中電話が鳴った。出社案件ではなかったために安堵したが、彼の機嫌は明らかに悪くなった。
「俺とのデート中位、電話何とかできないの?」
「できるわけないじゃない、仕事なんだよ?」
「そんな自由の利かない仕事なら、さっさと転職しろ」
「何言ってるの、辞められるわけないじゃない!」

私は、当時の業界に入るのが念願であり、初めて明確に抱いた夢、目標だった。
それすら簡単に否定し、転職を求めるなど、何事なのか。私は単純に怒りが湧いた。

彼は就職も、希望の業界に入れなかったという背景があった。
専門性の強い業界で、どうしてもという場合、高卒で志すのが一般的だが、彼は大卒入社にこだわった。
言わずもがな狭き門で、箸にも棒にもかからない結果だった彼は、電話口で何時間も泣き崩れていた。

「お前の慰め方が悪い」とまた、謎の文句を言いながら。

進学に続き、就職も希望を叶えた私の存在そのものが、彼にとっては忌々しかったのだろう。
でも、彼女として手放すのは惜しい。
身長以外の見た目はそんなに悪くなかったけど、友達もまともに作れないような彼だから、そもそも言い寄ってくる女性などいるわけがないと、容易に想像が付く状況だった。

「あっ、ちなみに専業主婦なんて、絶対有り得ないからな。【まともに】連絡が取れる他の業界を捜せ」

父親と死別した彼は、当然母親が働いて家計を支えている状況だ。
母親と同じことを求めていたのだと、今ならよく分かる。

またある日は、帰宅後、夜間に緊急の案件が発生し、私は処理のため急行することになった。彼から連絡があることには気付いていたが、相手にしている余裕などない。
ヘトヘトになって帰宅すると、受診件数は更に増え、彼から怒りのメッセージが届いていた。

「メールの返事すらできないって、どういうこと?」
「いくら仕事が忙しくたって、それくらい、できるでしょ」

見方によっては男女逆転のようにも思える状況だが、私はこれがきっかけで、急激に彼への熱が冷めていくのを感じた。
返事をするのも、関わるのも、心底面倒になっていったのだ。

極めつけは、交際期間中最後になる、私の誕生日だった。

彼の車で出かけたのだが、目当ての店がそこそこの遠方だった。

「疲れたから運転を代われ」と言われたところまでは良かったが、この頃私は未だ初心者ドライバーだった。

ハンドルの切り方が悪い、ブレーキが遅い、などとお決まりの小言を並べられた後、店は思っていたより遠いから止めようと勝手に決められ、いつものラーメンチェーン店で割り勘。
プレゼントは、また今度。

でもその今度は、永遠にやって来なかった。

「大丈夫か?そいつ、普通じゃないわ。それ全部DV、モラハラやで」

同業他社の同期として知り合った同い年の男性に言われ、初めて私は目が覚めたような気がした。

普通じゃない。

私が我慢してどうこう、ということではなかったのか、と。

「行為のことなんて、全部男の責任にしておく位でちょうどええ。そんなことも分からんような男に、初めから差し出す必要なんかない」

彼はそのようにも言ってくれた。

「先輩、先輩が性格良いのは充分分かってますが、いくら何でも人が好すぎます。ドライブデートまでは良いですが、せっかくの誕生日に運転代わらされた挙げ句、文句まで言われるんですか?あり得ません。勝手に予定を取りやめてチェーンのラーメンすら割り勘、その上プレゼントまでナシだなんて、私だったら怒って途中で帰っちゃいますよ」

当時私が大好きだった、まさにヒヨンのような後輩からもらった言葉だ。

そっか。私、怒って途中で帰ってもしょうがないくらいのことを、平気でされていたんだ。

と同時に、本格的に「心変わり」する出来事があった。その後も若干色々とあったのだが、その相手には今でも密かに感謝している。

ミンファン同様、彼と正面切って別れ話を持ちかけるのが怖かった私は、仕事が忙しいことを理由(紛れもない事実であったし)に「距離置き」を提案、宣言する。

「お別れしてください。今までありがとうございました」

最終的に私は彼と直接話をせず、その数ヶ月後、一言のメッセージで全てを終わらせた。

その後、幸運にも彼とは一度たりとも会っていない。

だが、何度かメッセージはやってきた。
「何も返せなくて後悔している」
「誕生日プレゼント、今からでも間に合わないかな?(もう3ヶ月は過ぎていた)」
「こんなことになるとは思わなかった、結婚するならお前しか考えられなかった」
と。
ここまで来るともう、身震いしかしなかった。
彼の番号や履歴もろとも、全て消去し、ブロックした。

だから、作品を観ていて、ジウォンのことがとても他人事には思えない私がいる。

私には、スミンのような意地悪い友人こそいなかったものの、彼ひとりにこだわり過ぎていて、視野が極端に狭くなっていたことは問題だったと思う。

ジウォンも、スミンとミンファンだけという、非常に狭く深い人間関係しか構築できていなかった(そういう風に強いられていた)のが、間違いの元だったに違いない。

ただ、ジウォンはこれまで、彼氏ができてもすぐにスミンに奪われ、そもそも長続きしていなかったという背景がある。
ミンファンと7年続いたというのは、ジウォンにとってはそれ自体、誇れるべきことだったのかもしれない。

代理に昇進したジウォンの紹介で、スミンがソウルに来たのが、2013年から遡ること約2年前の話ということなので、スミンはミンファンの話を聞きつつ虎視眈々と狙っていたのかと想像する。その関係で、これまでより交際が長続きしたのだろう。

ちなみに、ソウルと釜山(ジウォンとスミンの出身地)は、本国の新幹線で約2時間半、高速バスで4-5時間ほどの距離だそうだ。学生時代から毎週のようにスミンがソウルを訪れていたということだが、経済的に裕福とはとても思えないため、バスを利用した可能性が高いはず。それでいて、大学時代の彼も奪っていたとなると、相当である。

幸いその後私は、今までの「思い込み」を覆してくれる相手と知り合うことができ、結婚もできた。

作中ミンファンは、ジウォンに対し、いい加減なデコレーション、ペラペラのコピー用紙にスペルミスすら書き直さない汚い字で書かれたプロポーズのメッセージボード、どこで買ってきたのかもよく分からないぐちゃぐちゃのフルーツサンドのようなものにろうそくを突き刺しただけのケーキと、信じられないほどお粗末なプロポーズを行い、ジウォンすら内心では心底がっかりさせている。

でも、私はあの場面を見て思ってしまったのだ。

私に対する1000円程度の簡単なプレゼントさえ選べず、店舗の中央でべそをかいて私を見据えた彼なら、あれを現実にするだけのポテンシャルを優に持っていたのかもしれない、と。






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