Mammie(まみー)

好きなことも、やってることも、これからやりたいと思ってることも、あまりにも雑多かつ全て…

Mammie(まみー)

好きなことも、やってることも、これからやりたいと思ってることも、あまりにも雑多かつ全てにおいてまとまりがなさすぎる物書きもどき。未だに自分がわからず、絶賛自分探し中。比較的得意な(=苦にならない)書くこととつくることを通して、何か見つけられたら良いなとやっぱり漠然と思うこの頃。

最近の記事

ミンファン系男の生態〜「私の夫と結婚して」にハマり中〜

とうとう、私もある種の沼に入り込んでしまったようだ。 https://www.lettuceclub.net/news/article/1180831/ 現在、空前の大ヒット中と言われる韓国ドラマ「私の夫と結婚して」にすっかり夢中になってしまっている。 アマゾンプライムの上位に韓国ドラマが上がってきているのを珍しく思い、ほんの軽い気持ちで再生したのが運の尽きだった。 数年間にわたって、少しずつ韓国語を勉強していたこともあり、いつかは何かを見始めようとは思っていたものの

    • 神様、仏様、手羽先様…!

      素材からだしを取ったり、丁寧にアクを取ながら何時間も煮込んだり。 ありとあらゆる手間暇をかけて作り上げられた渾身の一品より、時間も手間をかかっていない、品数稼ぎのスピードメニューの方が受けが良かった…。 というのは、家庭料理界においてはあまりにもよくある話ではないだろうか。 間違いなく2時間は煮込んだ牛すじの煮込みより、5分で完成させた中華風の味付けきゅうりの方が、明らかに家族の食いつきが良くて、皿が空っぽになるのが早かった時ときたら。 調子を良くして数日後再びきゅうり

      • 100日間エッセイチャレンジ、一旦終了のお知らせ

        タイトルの通りとなります。 やはり、今の私にはあまりにも無理が過ぎたようです。 文章のクオリティも、内容も、構成も。 毎日更新のプレッシャーに勝手に囚われてしまい、日に日に目減りしていくことを痛感していました。 構想も本文も、タイトルさえも、その日のうちに思いつくことができなくなり、下書きの山が増えていく一方でした。 完全なる自滅です。 それでも何とかしなければと思っていた折、子ども達から風邪を拾い、リアルな体調不良にまで追い込まれました。 産後半年の心身に、いつしか自ら

        • 達人と鉄人【100日間エッセイチャレンジ】

          その道を極めた者の言い方は様々ある。 達人、名人、匠…などと言い出したらキリがないほどだ。 達人とは、学問や技芸など、ある方面において非常に優れた人のことであるが、名人は他者との比較で優れている者を指し、達人よりも狭い概念の言葉であるようだ。 また、匠は木工そのものや木工職人を指し、次第に一般的な職人や、技術に優れた人を表すようになった言葉のようである。 だが、私はこれらの言葉に並んで、「鉄人」という単語も浮かんできた。 何なら、達人とはまた違った、圧倒的な凄み、揺るが

        ミンファン系男の生態〜「私の夫と結婚して」にハマり中〜

          詰んだ、完璧に詰んだ【100日間エッセイチャレンジ】

          「お前はもう、詰んでいる」 と、北斗の拳よろしく告げられようものなら。 私はもう、「ははあ」とその場にひれ伏すより他に、選択肢がないであろう。 それほどまでに、今の私は「詰んで」いる。 ここまで書いておいて何だが、詰む、という言葉はおそらく、詰み将棋から来ているのだと思われる。 王将の逃げ場がなくなり、実質ゲームが「終わった」状態を「詰み」ということから、転じて、物事が行き詰まり、手の施しようがなくなった状態、俗に言うオワタ、を示しているということのようだ。 何度でも言

          詰んだ、完璧に詰んだ【100日間エッセイチャレンジ】

          血にまつわるいろいろ【100日間エッセイチャレンジ】

          最近、どうも子どもの血液型を調べなくなっているようである。 第一子の時は、一応調べてもらえたものの、生後すぐの検査は、母親の血液が混じっている可能性もあり、正確ではないとのことだ。 一方第二子の時は、調べてもらうことはなかった。 申し出てみれば良かったのかもしれないが、コロナ禍の出産ということもあり、第一子の時とは勝手が違っていた。 双方がそれどころではなかった、というのが真相といったところであろう。 そもそも、血液型は知る必要性が薄く、わざわざ調べる必要はない、という

          血にまつわるいろいろ【100日間エッセイチャレンジ】

          そういうことだったのか【100日間エッセイチャレンジ】

          人間、歳を重ねるのは必ずしも悪いことばかりではないと思っている。 それは、少し前の記事にも書いた通りだ。 私の場合はとりわけそのように感じることがめっきり多くなった。 ただ、不思議なことに、タイトル通り「そういうことだったのか!」と、頭の中で電球が点いたかのような強烈な反応をしたこともあれば、随分後になってから、そういえば、いつのまにかこうだったな…としみじみ思い返されることもある。 「そういうことだったのか」という、最もらしい台詞を使うこともないまま、気付かされたという

          そういうことだったのか【100日間エッセイチャレンジ】

          セトリ地獄【100日間エッセイチャレンジ】

          「セトリ」という言葉をよく聞かれるようになったのは、良くてここ数年のことではないかと思う。 セトリ、すなわち「セットリスト」 アーティストが歌番組やライブ、コンサートなどで披露する曲目やその順序の一覧を指すが、元々はそれらをまとめた文書のことだったようである。 だとすると、元来この用語は業界用語で、その後徐々に一般に浸透していった、ということかもしれない。 前にも書いたが、世は空前の推し活ブームである。 https://note.com/mammie0711/n/n1

          セトリ地獄【100日間エッセイチャレンジ】

          雀百まで踊り忘れず【100日間エッセイチャレンジ】

          雀百まで踊り忘れず。 幼い頃に身に付いた癖や習慣は、年を取っても抜けないものであることを示す言い回しである。 同じような言葉として、 「三つ子の魂百まで」 もあるが、こちらの方がよく使われているかもしれない。 そういえば、最近とんと雀を見なくなった気がする。 今幼稚園児の息子が小学校に進学した後にこの言葉を教えても、 「すずめって何?」 と言われてしまう恐怖さえあるが、雀をそれなりに見たことがある私でも、飛び回る雀を踊っていると思ったことはないし、そもそも雀が百まで生きるわ

          雀百まで踊り忘れず【100日間エッセイチャレンジ】

          手話、輝いて【100日間エッセイチャレンジ】

          息子が入園し、新生活を始めたことを機に、私も何か始めようと思い立ったのは、今年の2月頃のことだった。 一応毎号目を通している市の広報誌に、それはあった。 【手話支援員養成講座(入門基礎)】 2023年度受講生募集 これだ。 1年間、平日の午前中に開講されるという。 実は、以前からこの講座には目を付けていたのだが、平日の夜が多く、子持ちの私には極めてハードルが高かったのだ。 長男が幼稚園に行っている時間になら、受講が現実的になる、と私は応募を即決した。 受講は抽選で決まる

          手話、輝いて【100日間エッセイチャレンジ】

          賽は投げられた【100日間エッセイチャレンジ】

          賽は投げられた。 かの有名なユリウス•カエサルが発した言葉とされるが、つまるところ、 「一度出たサイコロの目は元に戻せない。運命に向かってことは進み始めたので、もはや引き返すことはできない、行くしかない」 と言ったような意味であろう。 今の私は、まさしくそんな気分である。 つい先日、息子が幼稚園年少組に入園した。 現在慣らし保育の真っ最中であるが、息子はもとより、むしろ私の方が未だに戸惑っているかもしれない。 私自身、幼稚園という場所にあまり、と言うよりほとんど良い思い出

          賽は投げられた【100日間エッセイチャレンジ】

          コスト•パフォーマンス【100日間エッセイチャレンジ】

          コスト•パフォーマンス、略してコスパ。 日本語にすれば、おおよそ「費用対効果」といったところであろうが、昨今は特に、コスパの重要性はそこかしこで騒がれる。 突然だが、私は名のある家事の中では 「料理」を最も得手としている。 (当時)教育テレビで絶賛放送中であった、子ども向けの料理番組に心惹かれ、ごく幼い頃から「料理ができる」ことに並々ならぬ憧れを持っていた。 そこには、仮にも「女性だから」とか「将来のため」とかそういう思いは一切なく、ただただ、食材や調味料を合わせて何か別

          コスト•パフォーマンス【100日間エッセイチャレンジ】

          結局、そういうこと【100日間エッセイチャレンジ】

          人生はその繰り返しじゃないか…とでも言いたくなるのは、私が成長し過ぎてしまったからかもしれない。 人間、もとい人生において、私が最も不思議だと感じているのは、 「一度経験したことは、二度と未経験の状態にはなり得ない」 ということだ。 どんなに素晴らしいモノや場所でも、一度目と二度目では感動の度合いが大きく異なる。 つまるところ、人は一度経験したものやコトを経験していなかったこと、なかったことにはできない。 だから、人は経験を重ねることで知識や見聞という名の財産を得られる

          結局、そういうこと【100日間エッセイチャレンジ】

          食う寝るところに住むところ【100日間エッセイチャレンジ】

          寿限無 寿限無 五劫のすりきれ… 親が願いを込めすぎたあまり、子どもの名前が長くなり過ぎてしまい、親の願いとは裏腹にかえって色々な場面で不便になってしまった…。 名付けも子育ても、結局何が正解なのか、分かるようで分からないのが世の常である。 ただ、現時点で私が思うこととしては、 子どもに過剰な期待を寄せないことは大切であるようだし、何が正解か、を敢えて考えるのだとしたら、子どもの頃に自分がされたり、言われて嬉しかったことは概ね正解、その逆も然り、といったところであろうか。

          食う寝るところに住むところ【100日間エッセイチャレンジ】

          球の体積【100日間エッセイチャレンジ】

          どんなものにつけても、語呂合わせを最初に考えついた人は天才だとつくづく思うが、私がこれまで最も感動した語呂合わせというのは、球の体積の公式の他にないかもしれない。 V=4/3πr³  「身の上に心配あーるの3乗」 だ。 このほかにも覚え方自体はあるようだが、高校の数学の授業で初めて習った時、 「素晴らし過ぎる!」「考えた人すごい!」 と本気で思ったものだ。 だが、この公式、それほど登場機会が多いわけではない、ということだけは書き添えておかねばなるまい。それでも、今なお私

          球の体積【100日間エッセイチャレンジ】

          カレイドスコープ【100日間エッセイチャレンジ】

          「明日のタイトル、どうしよう…」 昨日のことである。 「カ」から始まるワードを頭の中に浮かべようとしていたら、突発的に浮かんだのが、今日のタイトル、 「カレイドスコープ」 であった。 その音や響きに酔いしれているきらいこそあったが、実のところ、私はタイトル決定のほんの1分前まで、「カレイドスコープ」とは結局何なのか、全くもって知らなかったのだ。 そして昨日、私は初めて カレイドスコープ=万華鏡 だということを今更ながらに知った。 英語はそれなりには勉強してきたはずなのだが

          カレイドスコープ【100日間エッセイチャレンジ】