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アニメ・ヤキトリ・感想

1話

場面が惑星バルカから始まる。つまり二巻部分だ。
腰を曲げた四足歩行で何処かへ向かう大集団。その一体が懐から3D端末を出し、ホロ映像を眺める…すると、仲間が語りかける。
「ちゅーちゅー」
部屋で一人吹いた。いやもう、大したもんだ。渋いおっさん声優がネズミ星人の声を「ちゅーちゅー」だと。
ユニーク過ぎるぞ。これ惑星バルカの一大決心場面なのに、もう画面情報が面白い。
孫のホロ映像を見ているんだが、しかし今それをやる理由にはならんだろう。何で移動中にそれをやるんだ。
やるならば、陣地を取り囲んで攻撃合図が来る前の静寂だろうが。

ややこの辺りで頭にハテナがつき始めた。

戦闘シーン。体格や種族の違う混成部隊とネズミ星人との戦い。
この混成部隊が弱過ぎるのは、これで良い。これが正確な描写。
ブンカーで銃をぶっ放しながらランボーよろしく叫んでいるヤキトリ主人公たち…なんだけど、アキラのメットに英語が書かれてるのは何で?

時間を遡り、日中バルカで隊列を組もうとするヤキトリ(インスタント)たち。
上手く隊列を組めないヤキトリたちを表現しようとしてるんだが、そもそも隊列を組もうとしてるように全く見えない。ヤキトリは隊列が何か分かっていないはずがないのだが?
「体格が違うから、個人同士のスタンスが一定にならず、結果隊列が乱れる」という表現ならわかるが、そもそも「組めない」はおかしい。ヤキトリは集団行動をするように知識を焼かれている存在だから、隊列は組むものだ。その隊列の組み方に、例えば肩幅などの身体基準を当てはめたり、隣の肩の位置から距離いくつ、みたいな基準で焼かれて結果端に誤差が出まくるというのがギャグポイントなのだ。これは集団行動の知識が薄い人がこの場面を作ったのか?
あと、隊列を乱してるのって鳥型の奴だけじゃない?これはおかしいだろ。他のやつも困った描写がないとおかしい。
管制AIがあって共通言語「スリランカ語」を焼かれているんだから、別種個体間でも対話が可能なのだ。異星人が動物がモチーフなのはあくまで視覚表現であり、会話が出来る存在だと視聴者に示していない段階でこれは、本当に意思疎通出来ない、知能の低い動物じゃないか。
着衣を着てるから知能はあると判断するだろう、は流石に乱暴だろうに。

あと、モチーフになっている動物の仕草を入れるのはいいとして、それをわざわざ強調してるのはどうなんだ。こいつらは猫のような、犬のような姿をしているが、異星人だぞ?
この辺りのバランス感覚はどうなんだろう。全く知らない人からすると、地球にいる生物が進化した猿の惑星的イメージに固定されないだろうか。一応、今のヤキトリで示されている情報からは、地球外の生命体であり、アキラたち地球人からして犬や猫で例えているだけなのだが。
なお、原作にそういった仕草の描写がないわけではない。ただ、持っていきかたがあまり上手くないように感じた。

ハプキンの登場は、他と比べて過剰な装備をしていることを海兵隊員に咎められた場面だ。お前らおかしいから上司に問い合わせる!という流れ。
ここは自然なようでいて…ちょっとわざとらしい。何故なら、先の場面で示された隊列の場面、そこですでに指摘されているべきなのだ。それほどまでに異常な格好をしているし、何よりも指揮官側や隊列外から見てすぐにわかる程度の人数しか描かれていないからだ。
つまり、おかしいならばここではもっと早くに問いただされるべきなのだ。移動を始めてからの指摘はボンクラだ。外務氏族に構ってる間には指摘しにくいから後になった、と言うのもおかしい。そんな先に見咎めたのなら、タイロンの担ぐ大砲を見て「こんなものまで」とは言わない。そしてタイロンの大砲の担ぎ方。ジョン・ドゥ教官がいたら張っ倒されている。これもおかしい。銃口は人に向けるな。

全体に集団行動の基礎中の基礎を知らない人が場面の絵を作ったような感じを受ける。確かに「インスタント」と呼ばれるこの世界のヤキトリたちは無能として描かれるが、実際はそうではない。軍人として最低限の知識を脳に「焼き付けた」からこそ、即席の軍人として商品化されているのだ。それはさまざまな惑星で行われている商連と呼ばれる大組織の一大商品なわけで、同種間であれば集団行動の類はある程度スムーズに行われて然るべきなのだ。
そして、ヤキトリたちは小隊のような少数団で行動するのが基本だ。だから、チーム間ではもっと連携が取れる。そういったことが可能であることの描写が、本来は一巻ではアキラ達のヤキトリ訓練に挑む悪戦苦闘と共に描かれていた。アニメではハツラツとしたアキラ達のチームだが、実は限定環境に置かれると他のヤキトリのチームに完封される。落第に落第を重ね、同期が合格して去っていく。アキラ達は、装備をつけて動くと息が切れるようなルーキーチームにすら、擬似戦闘で全滅に追い込まれるほどだ。
コレはつまり、基礎的な知識や集団行動においてはアキラ達と同等には出来ているはずなのだ。
たった一点、アキラ達と他のヤキトリが違う点がある。肝腎要の部分だからここでは言及しないが、その違う要因があるからこそ、アキラ達はこの時達観して部隊や周囲の状況を確認することが出来ている。
ヤキトリ達はノウハウをその脳に焼かれた存在である、ということを、リメル武官やその部下達がここでセリフの中に見せている。その結果視聴者の目には「彼らは自分の頭で考えることがほぼ出来ない無能」としか映らない。何を焼いたって?となる。
その意味において、ここでアキラ達と他ヤキトリ達の差を全く知らなければ、このシーンの意味不明さが際立つわけだが…それに加えて、隊列を組めない描写が必要以上に稚拙であることで、ややもすると「なろう系にありがちに主人公無双」状態だと勘違いする人もいるだろう。
とんでもない。アキラ達は無力だ。無力な中で必死に生きようと頑張っている中で、味方の働き者の無能に引っ掻き回され、挙句貧乏くじを引かされまくる話だ。
最後に救いは待っているが、それも一時的なもの。
もうすでに、色々と破綻を見せている。コレはどうしたことだ。

さて、ここでアキラのスカウト場面にも言及する。
アキラは日本人だ。この世界の日本は社会主義の超絶ディストピアと化している。選択の自由がない、文字通り「全てが管理」された社会だ。
アキラはそこで大層頑張り、大学進学を志した。そのため保護施設に収容(逮捕に等しい)されている。
いや、マジ。アニメ中にあった暴力とかではなく。進学を巡って我を貫いた結果、「反社会的性格認定」されたことが原因だ。
ところで、引き渡してるのは「日本の」職員のはずだが、アニメではとてもグローバルな見た目をしている。おかしくない?彼らは社会福祉公団の職員で、彼の引き渡しをネタに海外出張して旅行気分に浸りたい「日本人」のはずなんだけど?
あと、引き渡し人の「人権を保護するためです」という台詞は、原作だと「全ては伊保津(アキラ)君の人権を『彼自身から』保護するためです」である。
つまり、「コイツは社会共同体での異分子だから隔離した」と言ってるのだ。日本がディストピア化している、というのをここで感じ取れる(なんなら、これをロシア人のハプキンが、よりによって日本人に語って聞かされているという超絶皮肉構図でもある)。
この日本のディストピア化は、絵でしか表現されておらず、アキラ周りの描写がかなり生温い。
労働シーンはアニメオリジナルで、サボっているやつが花札をやっているのがギリギリ日本的。これだと、アキラは進学を諦めて就職しました、というだけになる。その中でトラブルを起こして拘束されたのか?という解釈がフツーの解釈だろう。
そんな生温いモンじゃありませんよ、というのが原作だ。
だから、この後の描写がおかしくなる。

ハプキンが「ハンバーガーを奢る」と言った際、アキラが激昂してテーブルを叩くのだが、ここで分かるのは「アキラが選択というモノを与えられたら疑うという性格をしている」ということだ。
だが、その後シーンを挟んで、またスカウトの続きがあるのだが、そこで普通にポテトとハンバーガーを食っているのだ。
お前、何を怒ってたんだっけ?
間違いなく視聴者を混乱させる絵面だ。コレじゃアキラは三歩歩いて忘れるアホそのものだ。
「嗜好品を選べと?」と相手の裏を訝しんだ奴が、次の場面で何の感動も無しに、提供された嗜好品を「食事として食っている」は完全に頭がイカれてる。ハンバーガーを選ぶところから食うところまでで、死ぬほどの文字数をかけて葛藤と罵倒が記されているのに、丸々カットだ。鳥頭にする以外の選択がなかったのか、製作陣。
原作は、マクドナルドのハンバーガーなのだが、これまた一口食うのにどエラい描写で旨さを語り始める。同時に、現代価値観を持つ読者が「あ、コイツヤベーくらい恵まれてないんだな」と元の生活程度を察するのだ。
ちなみに、ハンバーガーに執着するのは、なにもアキラだけじゃない。ハプキンもそうなのだ。
ハプキンもまた、いや、ある意味アキラ以上にハンバーガーへ執着を見せる。ただ、ハプキンはアキラと違い、地球でのハンバーガーをお得な食事と考えている。
つまり、この執着はアキラと別種なのだ。この時のアキラは嗜好品。ハプキンは食事…なのに、ハプキンの方がより未練がましいのは何故なのか。
ここで、ハプキンのヤキトリとしての過去が後に示され、アキラたちもヤキトリとなり、そこで支給されるメシの酷さを目の当たりにして、ハプキンの執着と同種のモノを背負うのだ。
そう、マクドナルドは宇宙での高級品。本当の意味でのご馳走なのだ!

…ってな描写が丸々カットされ、さっきみたいな「お前何に怒ってたの?」シーンが完成する。
このアニメは商連製だね、間違いない。ツメが甘い。
マクドナルドという固有名詞が使えない理由は分かるが、アキラがハンバーガーを大事に食わない時点で「大満足」がないと推察される。
そうそう、地球上で言語が違うはずなのに、普通に会話していただろ?あれも変だ。原作では翻訳機を挟んで会話している。最終的に宇宙の共通言語、通称スリランカ語(正式名称スペース・リンガ・フランカ)を獲得して、現在アキラ達はそれを母語のようにして会話している…のだが。その描写も丸々ない。
言語が最初から共通している設定に改変された可能性?ないね。
何故なら、アキラを連れてきた職員の背中に堂々と日本語の漢字が書かれているから。つまり、言語は依然として国ごとで分かれており、共通していない。アキラのメットに書かれていた英語に文句つけたのもそういうコト。あれ?スリランカ語は?って話。
視覚効果とお話の設定が悉く噛み合ってない。違和感がすごい。
管制AIに初音ミクが使用されているが、自分の予想では翻訳機での会話をこれでやるんだと思っていた。一話丸々初音ミク。
…言っておいてなんだが、アニメでそれはマズイ。
つまりそれを回避するためにこうなったのだろうが、それにしたって言語とビジュアルに矛盾をきたすような描写は避けるべきだっただろう。
モーツァルトで初音ミク…ならぬ初音ミミが踊っているEDだが、このモーツァルトが持っている皮肉もおそらくまともに描写されないだろう。著作権の関係で使えたのがコレだけです!っていう言い訳だろうか。
いや、ないね。
茶だってそうだ。行進が終わった後に、「茶でも飲みたい」と言っていたあのセリフの重さが全く伝わらないのも勿体無い。
茶はヤキトリ達の唯一と言っていい嗜好品だ。と言うのも、依存性のある化学物質を均一に禁止している商連は、当然興奮剤の一種となるカフェインを禁じている。つまりお茶はこの世界では…麻薬扱いに等しい。
その茶を、ヤキトリには特例で許している。当然人間に与えるカフェインの効果なんて微々たるものなのだが、ほとんどの嗜好品を禁じられてトレーニングに従事させられ、缶詰で生活する彼らの安らぎになるぐらいには、茶は重要な役割を果たしている。
なかなか手に入りにくい上に高い「茶」を飲んでゆっくりしたい、があのセリフの省略された箇所である。割と限界に来ているのだ。
ここで原作を知らない人が、作品のノリに慣れてきて「そうか、モーツァルトは音楽。ヤキトリをリラックスさせるためのものか!」と鋭く気づく人もいるだろう。
うん、そうだよ(ニッコリ)
なお、その発想をしたのは商連なので、当然酷いことになってます。とりあえずモーツァルト流しておけばええんやろ?的なノリで大音量で流されるため、多くのヤキトリに不評な模様。止めようとしてスピーカーを壊そうとすると、もっとリラックスさせようとさらに大音量で流れるというおまけつきだ。

「……あなたは反モーツァルト主義者ですか?モーツァルト?」
 表示された質問を前に、俺は思わず疑問の声をあげてしまう。YESかNOかの二択はいいが、肝心の質問文の訳が分からない。なんて厄介な。
(中略)
「で?反モーツァルト主義ってのは?」
「モーツァルトの作曲した曲を聴くと、神経症状が出たり、他人を攻撃したり、スピーカーを殴りたくは?」
 ぎょっとして俺はハプキンに訊ね返す。話を聴く限りまともじゃない。

“ヤキトリ1 一銭五厘の軌道降下”(ハヤカワ文庫A) 位置No713より

モーツァルトを聴く機会がなかった、文化後進国日本の最底辺で育ったアキラはこうなった。そして、この質問の意味を理解してうんざりと「今では立派な反モーツァルト主義者だ」となるわけだ。
このネタをもし語るのならば、一番最初に叩き込むのが一番いい。
わけが分からないのはみんな同じであるオープニングで、まずこれを叩き込むのだ。そしてできた共通認識があると、なるほどな、となる。
それをおそらく、このアニメは平気で「時間を行き来」して解説するつもりなのだろう。
そっちの方がややこしい。しないかもしれない。
しないならしないで…このアニメで何をやりたいんだろうな?と思う。
食事の描写で既に取り返しのつかない失敗をしているから、余計にそう思う。
ヤキトリは、その巻のお仕舞いで、必ずアキラは「焼き鳥」を食う。詳しい説明を省くが、ヤキトリというタイトルは多重に張り巡らされた言葉遊びの一環であり、食事のヤキトリは困難からの解放を祝う聖餐となる。
そのシーンを語るために、必ず「食事への執着」は必要になる。それが無い時点で、このラストが破綻すると確定した。

どうしよう、見る気力がちょっと自信ない。

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