見出し画像

観念純化上級編

自分の中の観念を書き換えないと、
その観念によって現実が作られているから、
望みなんて到底叶うわけがない。

ゴールを設定した時点で
「こりゃ、無理だな」って思ってるから無理
なぜ?無理だな!と確信を持つのでしょうか?

自分にはこの程度のことしかできないという思いが、すでにある。
信念になってしまっている
なぜ?

自分のセルフイメージが
親近者によって違うものになっているから

自分はこういう人間なんだ
自分て、こうなんだ
世界はこういうものなんだ
人はこういうものである

その観念を純化していく
信念を動かしていく

そのために必要なものが
ワード、ピクチャー、エモーション

この3つを使ったのが

「観念純化」

この3つを使わないと信念は書き変わらない。

胸腺ラインを、右手の出力系を使って刺激する
すると、
全細胞に記憶されたものが胸腺ラインに集まってくる

これは乳児の
唇の横に指でトントンを刺激を与えると、刺激の方に口を持ってくる
吸啜反射。
感情も同じで、全身の筋細胞が記憶したものを胸腺に集める

そこでワードを使う
この観念をどうするのかを宣言する
自分の意思の方向性を決める
どうしたいのか?

手を自分より手前に出す意味は
未来側に動かし、それを見ているから
ピクチャーになる
ワードとピクチャーをつかうことによって
エモーションが動く

あとは空間に還元する
空間に両手を広げると
自分は
魚の立場ではなく、海の立場をとったことになるから
なんでも生み出すことができる
空間に還元し、
左手は入力系ですから、手を入れ替え
手前から胸腺に向かうのは未来側から新たなものを入力する

こういう細かいことまで計算し尽くして
観念純化は成り立っている。

ただ、
こうしてこうすればスッキリする!!!!
って
これは宗教ですね。

ちゃんとした理論形態をしっかりと入れてこそ
学問になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?