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「知らない」ほうが楽しめる? -「君たちはどう生きるか」を観て思ったこと-

※映画にまつわるネタバレは一切含まれておりません


いま話題の映画「君たちはどう生きるか」を観に行ってきた。

この映画は予めストーリーやキャスト陣含め、作品にまつわる全ての情報が一切公にされることなく劇場公開された。
公開されるや否やSNSではそれらのネタバレが(比較的?)書かれることがないまま賛否含めての感想が発信され、
わたしのTwitterのTL上でも、FF内外関係なしにちらちら感想が見受けられた。

正直わたしはそこまでジブリ作品に詳しくないのだが
なんとなくこのビッグウェーブに乗っかっておきたいな〜…といった妙なミーハー下心(笑)と、
敢えてこの「情報まみれ」な現代に、ここまで情報を隠しての公開……という事がどうしても気になってしまい、
ほぼほぼ勢いのままに観に行ってきた。

感想としては………正直に言います、めちゃくちゃ面白かった。ネタバレなしで作品の良かった点を書くのが難しい位。
絵柄・作風・ストーリー………なにもかもが「これこれ、ジブリのこういう所が好きなんだよなぁ〜!!!」と思わず叫びたくなる、そんな作品に感じられた。

そして今回の作品の(ストーリー以外での)最大の特徴であった「先行情報がなかった」事について。
「今時かなり強気に出たよなぁ〜」とも思いつつも
調べれば1発で情報が出てくる、
いや調べなくとも何かしらのネタバレがSNSやネットニュースなどで目に入ってしまう今の時代に
敢えて「まっさら」な、なにも知らない状態で作品に触れられたことが作品の良かった点としてプラスに働いたように思えた。
(まぁ「スタジオジブリ」「宮崎駿監督作品」という超絶大きなブランドだから、集客はある程度見込めているはずなのだろうけど……)

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ここで話が横道に逸れるが
最近、なにかしらの作品に触れるとき異様に「知識量」もとい、自分の持っている「情報」を求められてしまうように感じるのはわたしだけだろうか?

例えば映画やドラマ・アニメならば
ストーリーの考察や深読み、キャラクターの一挙一動の意味、作品や作者についてのバックグラウンド、
音楽ならミュージシャンの経歴、サンプリングの元ネタやコード進行、音楽性と所属レーベルの関係性などなど………
テレビ番組でもそれらを解説するような内容のものが以前に比べて増えた気もする。


「この作品の○○シーンには、実は造り手側の××な思いが込められていて……」
「この曲のコード進行は○○○→×××だから流れがカンペキで……」
などと解説されると、
"すごいな〜、ちゃんと計算されて作られていたんだな〜"と思うと同時に、
自分は作品の「真髄」の部分に全く気づけなかったということに気づかされてしまい、
"あ〜このアニメのこのシーン、な〜んか好きなんだよなぁ"
"この曲のBメロからサビに来るジャーーンってところ好き〜〜"
としか作品の良さを表現できない自分がばかっぽく思えてしまっていた。


「知識を持ってないと、作品の良さを語ってはいけないのでは?」
「なんも知らないままに、ただ好き好き言ってたら怒られるのではないか?」



………そう思っていた矢先の「君たちはどう生きるか」の事前情報量の圧倒的"無"であった。
「情報」と「知識量」は言葉のニュアンスが似て非なるものとは思うが……そういった大枠の意味も含めて、
今回改めて「エンタメってなにも知らない方が楽しめるんだな」と感じられた。


確かに「情報」や「知識量」って、
あるに越したことは無いし、知っていたらそれはそれで違った楽しみ方ができる。
しかし……すべてがすべてプラスの知識とは限らない。


例えばだが、
この作品観ると元気になるんだよね〜!と思っていたものが
「あの作品の裏テーマは"死"」と知ってしまった瞬間、もうその知識を知る前の気持ちで観る事はできないだろう。

この曲素敵〜♡と思っていたものが、
「実はこの作品は、そのアーティストが当時付き合っていた彼(彼女)に宛てた曲」と言われてしまったら、その彼(彼女)を残像のように感じてしまう。
※個人的に「ミュージシャンのプライベート≠作品」と考えてるので、わたしはあまりそう感じないのだけど笑



もし今後「君たちはどう生きるか」が大ヒットし、
またヒットの要因のひとつとして「先行情報のなさ」が大きく含まれることになったとしたら
これからなにか新しい作品が生み出される・発信される際の「先行情報」の発信方法は変わるのだろうか?
それによって、それら作品の「知識量」の有無によるマウントも減ったらいいのだけれど……

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