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評価ってなんだろう4 評価についての備忘録

評価観を変えよう

 今まで書いてきたように、評価は基本的には形成的でありたいと思います。こうした形成的評価は、人と比べるものではありません。
 こうした評価観を、教師だけでなく、子ども、保護者も変えることができると、授業もずっとやりやすくなると思いますし、子どもも伸びると思います。

 今から三〇年ほど前、兵庫県である市の教師が公文書偽造で逮捕されました。子どもの成績で差をつけたくない、だから通知表を全員3にしたのです。自分が担当している教科を3にすることは偽造ではありませんが、体育や音楽などほかの教師がつけた評価も3に直したのです。それが公文書偽造になるというのです。
 当時、私はこの市の小学校にお邪魔していましたので、強く印象に残った事件でした。
 この教師の気持ちはわからないでもありませんが、結局は、評価をブルームの言うところの「等級分け」としてしか捉えていなかったのでしょう。

 過去記事でも書きましたが(「学び」の過程に、間違いや失敗は必要です)、間違えるから勉強するのです。すぐにできるのであれば勉強する必要はありません。「間違えることは悪いこと、恥ずかしいこと」をまず脱却しなければならないのではないでしょうか。
 テストでできなかったところを、自分の「伸びしろ」だとみることができると、きっとグンと伸びるでしょう。保護者も、そう考えると、子どもを叱ることはありませんし、弱点が見つかったと思えれば、一緒にそれを克服することができるはずです。
 それを点数だけ見て、伸びたところを見ないで足りないところばかりを見て、叱っていては、子どもも伸びません。

 ですから、教師だけでなく、子どもや保護者の評価観も変えていけたらと思います。

斎藤喜博も次のように述べてます。

成績通知表によって、子どもをおどかさなければ、教育ができないとはなさけないことである。

 斎藤喜博が、こう述べるということは、そういう教師が多くいたということでしょう。
 評価についていろいろと考えてきましたが、まだまだ入口です。また思うところを随時書いていきます。

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