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評価経済、あるいは、信用を求め合うユートピア ――小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』レビュー①

(※この記事は2019/11/06に公開されたものを再編集しています。)

 小川さやかは、タンザニアなどをフィールドとする文化人類学者だ。私は小川と一度会ったことがある。過去に「ニッポンのジレンマ」という番組に出演したとき、司会に加え、学者枠二人と企業枠二人という座組みで議論したのだが、その学者枠が小川と私だった。

 都市と地方の分断や格差について、そして、そのありうる関係についての討論だった。私の発言は拙かっただろうが、司会からの急なパスを受けて小川がタンザニアについて話すと、「商取引」とか「中央と周縁」など、単に日本に限定されない脈絡へと広がったことは今でも印象深く覚えている。

 今回取り上げるのは、その小川さやかの新刊『チョンキンマンションのボスは知っている:アングラ経済の人類学』である(以下『ボス』)。

小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学』 https://www.amazon.co.jp/dp/4393333713/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_YbwTDbS8Z8PDH

安心へのオブセッション

 私たちの生きている社会では、安全や安心が重視されている。リスクを減らすべきだという判断が、計算や計画によって予測可能であること、あるいは、予測可能に見える/見せることを、私たちに求めさせている。

この考え方は、「くれるという確約がなければ与えることができない」社会的慣習を強化し、即自的に「貸し」「借り」を清算しようとする態度を生み出す。メールも親切もすぐに返さないと不安だ。どうなるかわからない将来に借りを残しておくのは心配だ。そうした関係では、私が与えたものと相手がくれたものが等価であるか、その場その場の貸し借りの帳尻があっているかが常に気になる。(『ボス』pp.241-2)

ここにあるのは、安心へのオブセッション(執着)だ。私たちは、こうして信用を強迫的に要求し合う。その信用は、信頼でなく疑いに根差しているようにも思える。

 さらに、信用を要求し合うプロセスすら計算可能にし、一層の予測可能性を手にしようとしている。Uberの運転手やAmazonの商品や出品者を、Yahoo!オークションへの参加者たちを、私たちは評価することができる。「丁寧な運転でした」「商品に傷がありました」「このコメントは役に立ちましたか?」――こうした言葉を目にしない日はないというほどだ。ICTを介したシェアリング経済において信用をスコア化することは常態化している。インターネットは、人と人とをつなぐことに長けており、スコア化された信用が「見知らぬ人との協調の可能性」を高め、信頼の輪を拡げてくれる(『ボス』p.255)。

信用スコアと、「いい人」のユートピア

 しかし、小川がレイチェル・ボッツマンの言葉を借りて言うように、評価の好循環は容易に評価の悪循環に転化する。「社会がレーティングに頼りすぎれば、評判を汚されデジタルの煉獄に永遠に囚われる人たちも出てくる」(『ボス』p. 255)。

 特定のサービスを念頭に置かなくてもいい。話題を呼んだ事件で実名報道がなされないとき、犯人の個人情報をさらす私刑は珍しくなくなった。大抵その中で、無関係の人たちが犯人として挙げられ、その人の経歴に汚点が刻まれる。そして残念なことに、一度出た悪評は、必ずネットのどこかには記録されている。

 《信用の強迫的要求》と《信用の計算》は、現代のテクノロジーによって極北を生み出した。中国で実施されている「信用スコア」だ。信用度が上がればメリットはあるものの、信用度が下がれば公共施設(病院や交通)の利用に制限がかかるといった運用がなされている(*)。しかし、北の空はさみしくない。ゴシップを喜び、特定合戦や個人情報暴露に興じ、他者を揶揄し合う日本社会は、間違いなく極北へと舵を切っている。あるいは、この世界全体が。

 私たちが生きているのは、「いい人」で居続けねばならない社会だ。そこにグレーゾーンはない。しかし、「いい人」として振舞っていても、過去のちょっとした発言を(時に文脈を無視して)非難されることもあれば、無関係の事件の当事者だとして私刑の対象にされることもある。悪意を持って悪評を作り出す人もいるだろう。こうした事態は、仮に「いい人」でいたとしても避けようがない。だからこそ私たちは、ますます「いい人」で居続けようとする。

 こうして私たちは泥沼にいる。評価経済は、キラキラと輝き、微笑みを絶やさない「いい人」で満ちている。不測の事態によって「いい人」ではなくなるかもしれない。だからこそ、私たちは「いい人」で居続けるしかない。評判を計算し、可視化することで、予測可能性を高めて安心しようという試みが、つまり、私たちの作ろうとしたユートピアそのものが、私たちにとって、リスクとなっている。

(*)中国で浸透する「信用スコア」の活用、その笑えない実態https://wired.jp/2018/06/26/china-social-credit/


②に続く

2019/11/06

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。


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