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「ほうれん草を育てながら哲学してみた」第4話〜真面目にやった方がうまくいく、とは限らない〜

さて、いよいよ種を蒔く。

蒔き方はYouTubeや本で学んだ一般的っぽいやり方を踏襲する。まずプランターに鉢底石を敷き、その上に有機培養土を入れる。まずこの段階で土に水をたっぷりやっておく。割り箸で土に溝をつくり、そこへ種を蒔いていく。最後に土をかぶせて、もう一度水をやる。これでOK(のはず)。

やれやれと思って、一時停止中になっていた「ほうれん草の育て方」の動画をなんとなく再生した。その動画のおじさんは、プランターに培養土を入れながら、こう言った。

「親しいお百姓さんに教えてもらったんですけど。土をしっかり上から押さえて固めておかないと、ちゃんと芽が出ないらしいんです」

おいマジか。

僕はもう種を蒔いてしまった。「まあ、いっか」とそのまま適当にやり過ごそうとも思ったが、見てしまったものはしょうがない。

僕は種を蒔いた後の土を、上からギュッ、ギュッと押さえつけた。土が圧縮されて、ずいぶんプランター内の土の嵩が低くなってしまった。

とたんに僕は後悔した。

「野菜は深さがあった方がいいはずなのに……」

今からまた土をかぶせたら、種の位置が深くなりすぎて、なおさら発芽が難しくなるだろう。でもやってしまったものはしょうがない。あとはほうれん草の生命力に掛けよう。

がんばれ、ほうれん草。なるようになれ、だ。

これにて種蒔きは一応終了したが、手元には、水に浸した種がまだまだ大量に余っていた。種は数年は保存できるらしいが、一度水に浸したものはそんなに持たないんじゃないか。

そう思った僕は、さっきの失敗を挽回する意味でも、もうひとつプランターを用意することにした。さつまいもの栽培も見越した、かなり深さのあるプランターである。

一度目の種蒔きで精神力を使い果たしていた僕に、神経質なやり方はもう無理だった。土がちょっと足りなかったのでこれも追加で購入し、雑にプランターに放り込む。

さっき学んだ土固めをして、水をやる。もはや溝をつくる気力もないので、ただただ適当に土の上へ種をバラまいた。その上に、さらに適当に土をかぶせる。失敗したら失敗したでかまわない。どうせ余った種の処分的なプランターなのだ。

ところがである。発芽率が圧倒的に良かったのは、なんと適当に蒔いた方のプランターだった。

心の中で「どういうことやねん!」とツッコミを入れたことは言うまでもないが、まさかここまでの違いが出るとは……。

やっぱり最初のプランターは、後から押さえてしまったのがいけなかったのか。それとも、種を蒔いた時の僕の精神状態が反映されたのだろうか。

「恐る恐る蒔いた種」と、「まあええわ〜と気楽に蒔いた種」と。

あと適当に蒔いた方の土は、別の種類の土を追加している。そのせいもあるのかもしれない。

いずれにせよ僕としては、「めっちゃ真面目にやり方を研究して蒔いた種」より、「めっちゃ適当に蒔いた種」の方がたくさん発芽した、という事実が衝撃的だった。

でも、なんとなく分かるような気もするのだ。僕が憧れているのは、あの自然栽培で有名な福岡正信さんのようなやり方である。

できるだけ人間は何もしない。自然の力に委ねる。

今回の結果は、なんとなくその方向性が間違っていないことを暗示しているような気もした。

いや、もちろんこの後、成長過程で両者が逆転するかもしれない。発芽率が良くても、その後の成長がイマイチとか。

それでも、まずは発芽しないことには始まらない。その意味では、やっぱり適当プランターの方がうまくいったということになる。

「そうだ、やっぱり適当でいいんだ」

自分の人生を振り返っても、深刻になればなるほど、なぜかうまくいかない気がする。それよりも、何も考えずに「まあうまくいくっしょ」と気楽にやったことの方がうまくいく。

「これからも適当に生きていこう!」

うまくいかなかったら、ぜんぶほうれん草のせいだ。

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※白いプランターが真面目にやったほう。茶色いプランターが適当にやったほう。

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