【失恋の話】A Song Not Sung

 一ヶ月ほど前、恋人と別れた。大学で出会った彼女は、一つ上の先輩なのに年上の余裕のようなものは全くない人だった。そんなところが愛しかった。
 別れた頃には付き合い始めてから一年と少しが経っていた。振ったのだか振られたのだかよく分からない終わり方だったが、別れ話が済んだあと彼女に「まじだるかった!」と言われ、その言葉でもうすべてどうでも良くなってしまった。真剣に向き合った恋の終わり方がこんなものになったことが悲しかった。後味ってこんなにも悪くなるものだったのか。

 彼女はちゃんとNOと言える人だった。自分のキャパや優先すべきことを考えて今なにをすべきか冷静な判断ができ、僕とは対照的にしっかりと地に足つけて生きていく人だった。
 もし彼女がジャスミンだったら、宮殿に現れたアラジンにどれほど誘われても魔法の絨毯には乗らなかっただろうし、むしろ魔法の絨毯の危険性を非難したり、宮殿での娯楽の魅力を力説したりしただろう。確かに夜間飛行は危ないし、宮殿でも愛は育めるかもしれない。しかし、"Do you trust me?"に"No"と言われ続けて、アラジンはどんな顔をすればよかったのだろう。彼女を尊重して宮殿で二人の時間を過ごせばよかったのだろうか。でも多分、アラジンとジャスミンは宮殿を抜け出して魔法の絨毯で夜空を飛行したから、A Whole New Worldを歌えたんだよ。そして僕は一緒にA Whole New Worldを歌いたかった。

 彼女の直面する研究室や家族といった現実に、カラオケに行こうや、星を見に行こうや、大文字で夜景を見ようといった話はことごとく敗れ、結局いつかはいつかのままで終わってしまった。いつかいつかの約束が増えていくにつれて、いつかが来ないことを僕は悟っていったのだと思う。すべての約束が果たされなくてもいいけど、でも時には、今夜星見に行かない?に二つ返事で答えバイクの後ろに跨るような、そんな後先考えない恋の疾走感がほしかった。そうやって軽率に愛し合いたかった。
 単に価値観が違ったというというだけの話なのだ。僕もいきなり宇宙旅行に行こうと言われれば躊躇っただろうから。ただ風の心地よさじゃなくて、最大瞬間風速で感じる愛もあって、それが感じられないことはとても切なくて寂しかった。

 死ぬまでただ現実的に生きていくなんて僕はしたくない。風を浴びて喜びも悲しみも全身で感じて、生きているんだって実感して生きていきたい。でも生き方は十人十色で、他人に強要するようなものではなくて、だから彼女とは根本的に分かり合えることはなかった。多分前からお互いにそのことはわかっていたのだ。だからずっと悲しかった。好きな人と分かり合おうとすればするほど、違うってことがはっきりして、一緒に生きていくのは難しいんだろうって分かるから。強く抱きしめるほど心臓を包む肋骨を感じて、一つの生命体になれないんだって確信するから。

 A Whole New Worldはもう歌えないけど、愛の歌などこの世に掃いて捨てるほどある。きっといずれ別の誰かと出会い、別の曲を手を取り合って歌うのだ。そのときには、もっと高らかに自由に風を感じながら、歌えるといいな。

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