【日記集】落下した卵

2023年6月。数学をする意義に悩んだり、友達がいるありがたさを感じたりした一ヶ月だった。(10日までエッセイ性強め)

1.
 人間は思っているより多くのことを許容できない。きのこの山が良いだのたけのこの里の方が良いだの言ったり、唐揚げにレモンを掛けられれば怒ったり、受け入れられないことに注目しては、受け入れられない不快感をあらわにするのだ。
 受け入れられないことが沢山あった。現実志向な恋人、出不精の友人、才能に恵まれた学友、音楽への情熱が弛まないアイツ。受け入れようと思えば思うほどそこへの嫌悪は増していき、そんな自分への嫌悪も高まっていった。もしかしたら取るに足らない差異だったのかもしれない。しかしそこに注目するほど、嫌悪はどんどん肥大化し手に負えなくなるのだ。
 木曜日。授業終わり。中華料理屋鷭。並サイズが常識を超えるこの店で、腹が空いているからとラーメン炒飯セットを大にし餃子まで頼んだhskwが、苦しみながらご飯を口に運ぶ様を見て、そんなことを思っていた。自分が認識しているよりも自分の度量ははるかに小さい。もしそれを受け入れられることができたら、苦しみながらも胃袋のキャパを超えるご飯を完食できたら、ちょうどラーメン炒飯セット大と餃子が明日のhskwのエネルギーとなるように、何かしら糧となるものを得られるのかもしれないけれど。

5.
 卵を落とした。S自Boxからの帰りにtkhsに譲ってもらったものだ。家の鍵を出そうとゴソゴソしていたから、一つパックからコロッと転げ落ちてしまったのだ。コンクリートと生卵が混じって嫌な臭いがした。落ちた卵の黄身が割れて、卵白に混じっている様は飛び降りの死体みたいだ。飛び降りの死体なんて見たことないけど。
 「つまり器用貧乏ってことでしょ」とhskwに言われたとき、湧いても良い怒りが湧いてこなかった。自分を端的に表す言葉に納得してしまったのだ。数学も音楽も短歌も、全部中途半端だ。「やってない人よりはできる」というラインに立ち止まっている。自分より情熱や時間を注げる人々がいて、その壁を乗り越えても身近な圧倒的才能にやられてしまう。そのことが、こと数学においては悔しく、そして苦しかった。苦しみながらするとき数学から楽しさは消え、すると途端に意味のない文字列を扱っている気分になった。今まで考える必要のなかった「数学をする意味」について考え始めたとき、夢中で式を追っていた幼い頃の数学はもういなかった。
 僕も京大に落ちて、数学者の卵のまま死んだ方が楽だったかもしれない。東京の私学に行けばこんな非俗世的な営みやコミュニティとは関らず、井の中の蛙でいられただろう。そして多分その方が、数学を純粋に好きでいられただろうから。
 そんなこと考えても仕方ないと思いつつ、僕は割れた無精卵をタオルで静かに拭き上げた。

7.
 相対性理論の「スマトラ警備隊」。「太平洋 大西洋 ここ一体何平洋よ♪」って、何平洋って言ってる時点で太平洋確定でしょ。(↓該当箇所から流れます)

10.
 疏水に蛍を見に行った。年度が変わってから全然遊びに行っていなかったせいか友達との交流を欲していた僕には最高の誘いだった。酒を飲みながら歩こうと言って大国屋に入ったのにtkhs以外誰も財布にお金なかったの、訳わからなくてサイコーだった。tkhs全部立て替えてくれてありがと。
 多分他人じゃないと感じられる友人は年齢が上がるにつれて作りにくくなっていくのだろう。みんな"大人の社会性"を身につけて世渡りが上手くなって、表面はどんどん滑らかで手触りよくなっていく。だけど僕らが愛しいのはザラザラした凹凸で、多分そこにその人を感じているんだろう。ささくれが刺さり合うようなことはもう多くないのだろう、ということがほんのり悲しい。

(以下、日記性強め)

16.
 京大オケの定期演奏会を聴きに行った。なんだかんだタイミングを逃していたせいで、今回が初めてだった。高校のときは音楽系の部活の定期演奏会に割といっていたが、大学に入ってからはめっきりで、ましてやオーケストラの演奏はちゃんと覚えている範囲では初めてだった。一回の頃からの知り合いがステージ上で演奏しているのを見るのはなんとも不思議な気分だった。
 帰りにアッシュフォークで久しぶりにiskと外食した。うん、これが良い。

アッシュフォークの美味しいハンバーガー

19.
 ゼミの発表担当回前夜、襲いかかる睡魔、永遠に埋まらない行間、どんどん過ぎていく時間。マリアナ海溝にも思える行間をばかすか掘る著者への怒りを抑えながら行間土木工事をしていたら、気づけば自習室24には朝日が差し込んでいた。さっきまで光っていた時計台の文字盤が七時をさしている。一旦帰って仮眠して、ゼミに向かうか。

22.
 「三十歳までお互い独身だったら結婚しよう」と最初に言い出したのは彼女の方だった。傷つく恋に疲れた高校生の彼女にはそういうじゃれあいが安らぎになったのだろう。彼女はドラマみたいな恋愛をいくつもしていて、そんな話のことはもう覚えてないだろうけど。彼女は自分が不幸なときだけ連絡をしてきて、幸せになったら音沙汰がなくなる。別にこちらも特段気にかけてないのでそのぐらいが心地いい。かれこれ五年以上そんな感じで、今日も電話をしたのは彼女が浮気をされたあげく振られたからだった。
 彼氏がどうでー、女がどうでー、とことの顛末を感情を交えながら話しす彼女はいつものようにちゃんと悲劇のヒロインだった。ドラマの主人公に感情移入する程度で共感し話を聞く。最初こそ悲しみや怒りがあった彼女も次第に吹っ切れていったようで、結局最後には次の恋愛いこう!と息巻いてた。
 「三十歳までお互い独身だったら結婚しようぜ」と言った。自分の気持ちに気づいた、とかそういう話ではない。多分、最近孤独だからだ。この先孤独な人生が待っているんじゃないかと不安になっていたのだ。だから失恋から立ち直り次の恋愛に強気で向かっていく彼女に、なんとなく仲間意識が芽生えていた。彼女は「恋愛感情いだけないわー」と笑い「え、ひど」と答えた。そうやってふざけながら約束の話をしていたら、心配なんかしなくて大丈夫な気がした。
 別に彼女とは結婚しないけれど、まぁ一生不幸話を聞いてやってもいい気はする。

24.
 ネプリのための連作歌会だった。連作自体があまりまだ分かっていないように思う。短歌の「一首・連作」は音楽での「フレーズ・曲」だと思っていたけど、実は「曲・アルバム」なんじゃないかということに思い当たり、そこが行き詰まっている原因なのかもしれない。
 ここ一ヶ月ほど短歌をたくさん詠めていて、短歌そのものに対する解像度がちょっとずつ上がっていっているように思う。京大短歌の活動も二、三年前に比べるとかなり活発になってきていて嬉しい。夏には合宿もありそうなので楽しみ。

26.
 院試出願done。専門は数論にしたが、そこでいいのかは結局よく分かっていない。そもそも数学をする意味にぶち当たっている。
 夜、iskと誕生日祝いで少し高いご飯を食べに三条木屋町へ。最初はジェノベーゼを食べようとなっていたが、色々あってArfa cafeでチーズフォンデュをすることになった。店に入ると、席にはソファの座面と同じぐらいの高さの机が設けられていて、おしゃれと使いやすさはトレードオフであることを思い出す。がちチーズフォンデュは初めてで、どうして何にでもチーズをかけようという発想に至ったのだろう、などと疑問が湧く。なんともない話をしながら具材を次々にチーズに浸しては口に運んでいると二時間はあっという間に過ぎていた。おしゃれなお店でご飯を食べる非日常感が楽しかったし、単純に誕生日を祝われて嬉しかった。iskありがとう。
 二十三歳おめでとう。

iskとArfa cafeでチーズフォンデュ


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