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私の今までの研究人生⑥研究をさらに展開:稲永清敏名誉教授(九州歯科大学)

 九州歯科大学生理学講座に赴任し、新しく立ち上げた唾液腺研究。これをさらに発展させ、「喉の渇き」について切り込んでいく。多くの大学院生たちの努力により解明へと突き進む!(小野堅太郎)

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10.ラット耳下腺唾液分泌測定

 唾液は唾液腺にある腺房細胞で生成され分泌され、機能のひとつとして、口腔内の湿潤性を保つはたらきがあります。唾液分泌が減少すると湿潤性が失われ、口の渇きがおこります。喉の渇き(口の乾き)と唾液分泌の関係をもう少し調べてみたいということで、無麻酔無拘束下でのラット唾液腺からの唾液分泌量を測定する装置を作りました。基本的には、岡山大学の松尾教授が開発されたもので、私なりの工夫は、わずかな唾液の変化量を測定するために、圧トランスデューサーと電磁弁を用いたところにあるか、と思います(下図)。この実験は二人目の大学院生である伊藤さん(新潟大学病院講師)にやってもらいました(Ito et al., 2001)。喉の渇きと唾液分泌の関係で判ったことは、血漿浸透圧が上昇すると唾液分泌は低下する、ということでした(Ito et al., 2002)。つまり、塩辛い物を食べたり、汗で水分が少なくなり、血液の電解質成分が高くなると、唾液が減少して、口が乾くということを明らかにすることが出来ました。岡崎の生理研の村上先生は、血漿浸透圧の上昇により唾液腺腺房細胞間のギャップジャンクションを介しての水の透過性が悪くなることが唾液分泌を減少させる原因であることを証明されています。おそらく、これが主原因であることには間違いないと思われますが、中枢の浸透圧刺激でも唾液分泌が抑制されたことから、一部は中枢にある浸透圧受容器からの制御機構も働いているのではないかと考えています(Ito et al., 2002)。

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 唾液分泌と喉の渇きの指標として起こる飲水行動とについて一見不思議な報告がなされていました。唾液腺の腺房細胞にはムスカリン受容体があり、この受容体が活性化されると唾液が分泌されます。ラットやマウスの腹腔内にムスカリン受容体のアゴニストであるカルバコールを投与すると唾液分泌が観察されます。一方で、カルバコールを腹腔内や脳室内に投与すると飲水行動が誘起されます。口の中が乾燥することによって、飲水行動が誘発されるとするならば、唾液で口の中が潤されているときには、飲水行動は起こらないはずです。そこで、私は、この現象は別々の機序でおこるのではないかと推測しました。この仮説を証明するために、先のモデルラットを用いました。この実験は、大学院生三人目の歯周病科から来た若杉(旧姓佐藤)さんにやってもらいました。実験では、ムスカリン受容体アゴニストとしてピロカルピン(サラジェン®)を用いました。この薬剤は臨床では口腔乾燥症の患者さんに用いられています。ピロカルピンを腹腔内に注入すると確かに唾液分泌と飲水行動が誘発されました。脳室内にムスカリン受容体アンタゴニストであるアトロピンを注入すると飲水行動は抑制されるが唾液分泌や抑制されないこと、また脳室内にピロカルピンを注入すると飲水行動は誘発されるが、唾液分泌は誘発されないことも観察されました。このような行動実験、電気生理学的実験や組織学実験から、ピロカルピンは喉の渇き感覚を誘発する口渇中枢に作用し、飲水行動を誘発していることが判りました(Honda et al., 2003; Sato et al., 2006; Inenaga et al., 2008; Ono et al., 2012 )。これは、少し考えてみると当たり前のことです。喉が渇いて、水を飲み始めるときのことを考えてみましょう。飲み始めるとその水によって口の中はすぐに潤います。しかし、そこで水を飲むのを止めずに、充分だと体が感じるまで水を飲むことを、私たちは普段行っています。つまり、口の乾き(口腔内の湿潤状態)と喉の渇き(水を飲みたいという欲求)の基本的な違いはここにあるということが判りました。

11.喫煙と喉の渇き

 アセチルコリン受容体は大きくわけてニコチン受容体とムスカリン受容体の二通りがあります。口渇中枢にはムスカリン受容体が存在し喉の渇きを誘発するなら、もう一つの受容体であるニコチン受容体も存在し、何らかの生理学的な働きをしているのではないかと考えました。その考えは当っていて、喉が渇いたな、何か飲みたいな、という行動を起こすときの引き金として働いていることが判りました。この実験は主に小野君がやってくれました(Ono et al., 2003; 2007; 2008a; 2008b)。ニコチン受容体を介する反応は脱感作を受けやすいという特徴があって、ニコチンでラットの口渇中枢を活性化するような刺激を行うと、直ちに飲水行動を起こすものの、量的には僅かしか飲みません。アセチルコリンを伝達物質とするような生理反応を起こす必要がある場合、ニコチン受容体は飲水行動のトリガーとして働き、持続的な反応はムスカリン受容体に任せているという構図です。従って、愛煙家がタバコを吸うとき、コーヒーやジュースを片手に一服という光景をよく見ることがありますが、ニコチンはそんな程度にはたらいているのかもしれない、と考えています。

 アセチルコリンは、脳内の神経伝達物質として色々な働きをしていることがわかっています。話は少し飛びますが、認知症のひとつとして知られているアルツハイマー型の場合にもアセチルコリンの働きが悪くなります。脳内のアセチルコリンは記憶・学習に関与することから、アルツハイマー型認知症の患者さんが脱水症状・熱中症になりやすいのは、水を補給する行動そのものを忘れているだけでなく、口渇中枢に対するアセチルコリンの働きが悪くなり、飲水欲求を起こしにくくなるのではないか、と私は考えています。

 ニコチンの実験では意外な産物がありました。歯周病科からきた大学院生の中村君(九州歯科大学・歯周病学分野助教)がやってくれた実験です。喫煙は歯周疾患のリスクファクターです。そこで、ニコチンと歯周組織における血流との関係をラットで調べたところ、ニコチンは中枢神経系に働き、歯周組織の血流を減少させることが判りました。タバコを吸うと、歯周組織での血の巡りが悪くなり歯周疾患を増悪させる可能性があることを示唆することができました(Nakamura et al., 2005)。

 ニコチン受容体の話はさらに続きます。唾液腺の腺房細胞では主にムスカリン受容体が働くことによって唾液分泌が行われています。一方で、ニコチンによっても唾液分泌が促進されるという報告があったので、腺房細胞に対するはたらきを調べようということになりました。この実験は口腔再建リハビリテーション学分野の大学院生・飯田君(かもめ歯科クリニック)にやってもらいました。やはりラットを使った実験ですが、腹腔内に投与したニコチンは、腺房細胞にあるニコチン受容体に直接作用し唾液分泌を促進することがわかりました(Iida et al., 2011)。この実験は、学部棟の建て替えに伴う機器の整備計画のなかで、細胞内カルシウムイメージング装置を設置してもらったこと、飯田君の前に大学院生として同じ口腔再建リハビリテーション学分野から私の教室に来た稲垣君(いながき歯科医院院長)が腺房細胞でのカルシウムイメージング法を確立していてくれていたからできた実験でした(Inagaki et al., 2010)。

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 さて次回は、ヒト唾液研究とアンジオテンシン物語です。


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