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メタサイエンスと科学の限界: ソラリスの何が凄いのか③

 未だ原作通りには映画化されていないSF小説ソラリス。SF要素、ミステリー要素、ロマンス要素を取り除いても、傑作たりうる詩的哲学要素があることを前回解説した。締めくくりに、メタサイエンス要素について解説する。(小野堅太郎)

 「メタ」という言葉は、最近、フェイスブック社が社名変更して報道されたことからご存知の方も多いと思う。これに合わせて「メタバース」もよく知られらることになった。小野は研究者なので「メタ」という言葉は「メタアナリシス」がはじめである。小説やアニメでは「メタフィクション」というのがよく知られている。

 さて、メタとはなんのことかというと、元々は「後で俯瞰して同じことをする」ということである。

 メタアナリシスとは、誰かがやった疫学統計報告を複数まとめて再度統計することである。一つ一つの論文では被験者が数百人でも20の論文をまとめて再度統計すれば数千人、数万人のデータからの結果になるので「証拠としての強さ」がより大きくなる。よって、適切に文献選択された上でのメタアナリシスの結果は、薬物の効果を示す最高強度の証拠として医学の世界で使用されている。公衆衛生の概念が根強いイギリスでのコクラン計画から提案された研究手法(らしい)。

 いつも思うのだが、研究貢献としては、メタアナリシスした研究者よりも基データを提供するオリジナル論文の研究者たちの方が評価されるべきだと思う。しかし、一般的にメタという言葉は「超越」とか「上の位の」という意味に使われている。よって、医療人で「〇〇先生のメタアナリシスで証明されている!」という人がいると、なんか違和感を感じてしまう。名前はいらないのです。メタは決して「優れている」わけではないと思います。

 メタバースは、ネット仮想空間に作られた世界のことを指しているが、特にメタバースが我々の生きるユニバースより優れているわけではない。「後で俯瞰して同じことをする」という観点でメタバースを解釈すると、現実世界の様々な要素をネットVR空間にまとめて再現したもの、というとになる。とはいえ、メタバースは今後のテクノロジー発展によりユニバース以上の機能を発揮する可能性があり、期待されるところである。

 メタフィクションの解釈は、簡単にいうと「物語内物語」である。物語の登場人物が読者に語りかけたら、それはメタフィクションである。一世界における物語に第三者的存在を登場させて「俯瞰」しており、それを物語として組み込んでいるからである。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」ネバーエンディングストーリーは、ファンタジー世界、それを読む主人公、実際に本を読んでいる読者、の三層構造のメタフィクションとなっている。

 というわけで、メタは「俯瞰する」という本来の意味の意味合いから一部が切り取られて、「超越」の意味に転じていったのでしょう。おそらくフェイスブック社のメタへの変更は、「超越」的な意味です。

 さて、メタサイエンスです。サイエンス(科学)を俯瞰してまとめて再度サイエンスするわけです。一番わかりやすいのは「科学史」です。次に科学世界を分析した社会学的研究です。このメタサイエンスが、レムのソラリスにはかなり盛り込まれています。ソラリスが発見されてから、まず、人間たちはどのように接したか。海の観察から様々な仮説が生まれ、統合され、分裂したか。現象を分類し、仮説を分類し、哲学的解釈がどのように変遷したか。これをまとめて「ソラリス学」といい、この小説の最も読みにくいところかもしれません。ただ、小野は、ここに一番痺れたのです。

 ステーションにいるクリスもスナウトもザルトリウスも自殺したギバリャンも全員科学者です。小説の大半の会話は、クリスとスナウトの両者の議論です。スナウトの「お客さん」はいるのは間違いないのですが、小説内では全く正体不明で、彼はとにかく絶望しています。「科学者として若い頃から勉強し、宇宙飛行士として誇りを持って生きてきたのに、今はそれがなんの意味があったのかわからない。」といいます。ハリーにどんどん心奪われるクリスに対しても「彼女は人間ではない」という姿勢を絶対に崩しません。それは、自分のお客さんに対して、自分がその気持ちを揺らがせてはいけないという決意にも受け取れます。科学者として、感情は抑えて、論理的に解釈して判断したいのです。

 惑星であるソラリスには、一面を覆う巨大な海があり、その海が一体化して一つの生命となっている。人間と意思疎通ができないながらも、明らかに人智を超えたテクノロジーを有している。最後まで、ソラリスの海の意図は全くわかりません。それを3人の科学者たちは受容していきます。今ほど科学の発展していない数千年前、天文学や医学を学んでも川の氾濫は避けられず、多くの命が奪われたと考えられます。その時、個としての人生は災害を受け入れるしかありませんでした。今の我々からすると、治水して災害を防ぎ、怪我人が出ても最先端医療で多くの命を救えます。これは絶え間なく人類の歴史で繰り返されているわけです。

 こんな世界観を誰か映画化してくれないかなぁ、と切望しています。ん、あれ、一人、いるぞ。SF映画で哲学やれる人、映像美がハンパない人が。ドゥニ・ヴィルヌーヴです。この監督なら、間違いなく、ソラリスを映画化できる人です。というわけで、次回からドゥニ・ヴィルヌーヴがリ・リ・リメイクしたデューンDUNEについて解説します。

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