シュタイナーと森と私①

ルドルフ・シュタイナーという名を知ることになったのは、病気をしたことがきっかけだった。

私はなぜか昔から病院が嫌いで、というのも価値観のベースに【どうしてそれを行うのかという理由に納得しないと受け入れられない】というのがある。

その考え方は、おとなになった私を自然療法に向かわせた。

20代の頃は、なんだか毎日体調が悪かった。

今思うと理由はいろいろ思い当たるんだけど、まずごはんをしっかり食べない上に(炭水化物抜きダイエットがベースになっていた)お酒を飲む機会が多く、さらに持ち前のエネルギーに敏感体質のまま無防備に人と関わるもんだから、あと若い時はライブハウスやクラブなどの、見えないあれこれが集まりやすそうなスポットを毎夜訪れるような生活だったために(おもに仕事)、ちょっといろんなもの(オバケ的な)が常についていたっていうのもあると思う。

今でこそ充足な人生となったけれども、少し前までは不足ばかりを見つけては不平不満を撒き散らすようなニンゲンだったために、その不足を埋めようといろんなモノがひっつきやすかったのかもしれない。

それはいいんだけど、とにかく体調は良くないんだけどお医者さんに行ってもなんにも解決しないので、自然に漢方や鍼灸の方に惹きつけられていった。

そこから、シルクの靴下を重ね履きして頭寒足熱の状態をキープするという【冷えとり健康法】なるものに傾倒するようになった20代マナミ。

冷えとり健康法は、私に見えない世界の基本的な仕組みを教えてくれたと、いまだに思う。

冷えとり健康法と大量の靴下と私

このままのペースで書き続けていたら、確実にこの一回ではシュタイナーにたどり着けないぜ。焦る私。

まあいいか。続けるね。

冷えとり健康法って、結構言ってることがぶっ飛んでて(と、一般常識の方から見るとそう見える)、まず病気を作っているのは自分の過去の習慣である、ということはわかるよね。うんわかる。

でも「怪我や事故も自分が引き起こしたものである」ということは、当時の私には理解ができなかった。

なぜならば、当時の私ときたら、イヤなことが起きたら人のせい、周りにイヤな人がいれば「◯ねばいいのに」「向こうが悪いんだから変わるべき」などという低俗なニンゲンをやっていたからである。恥ずかしいくらいに、そこに慈しみとかはなく、とにかく自分が【与えてほしかった】それだけを求めていた。外側に。

でも今やっとわかってきたんだよ。
自分が撒いた種は自分で回収するの。そういうシステムになってる。

そして、事故や怪我や病気は、それを一気に回収させてくれる、ありがたい機会なんだってこと。

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