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Mull of Kintyre とキャンドル〜ある美しい夜のはなし

これは、ある美しい夜のはなし。

私は今、76歳のおじいちゃんの家に下宿して住んでいる。
彼の奥さんはアーティストで、この家はかつて彼女のギャラリーだったそうだ。おかげさまで、私はまるで美術館のような3階建ての一軒家に住んでいて、彼女の描いた睡蓮の絵が、私の部屋にも飾ってある。とてもシンプルで柔らかいけれど、まっすぐに何かが伝わってくるような、そんな絵だ。
でも、彼女はもうここにはいない。

1週間、私の友人たちが家に泊まりにきてくれた。その最後の夜、大家さんのおじいちゃんと皆で晩ごはんを食べた。
それから、お決まりのようにキャンドルをつけて、ワインを片手にみんなでざっくばらんに話した。友人たち3人がいた間は、おじいちゃんはとても楽しそうだった。彼は誰かと一緒に赤ワイン片手に歓談するときには、必ずキャンドルをつけるのだが、その時はリビングにあるキャンドルすべてに火をつけていた。(10個くらいあっただろうか、初めてのことだったような気がする)

なんだか、ここに音楽があったらいいような気がして、私は自分の部屋のある3階からギターを取ってきた。「何弾けるのー?」と聞かれてはじまり、みんなが歌いたい曲、好きな曲を私の拙いギターとともに、一つ一つ歌いはじめた。

大体それぞれが好きな曲を選んだくらいのところで、「どの曲が歌いたい?」と私の友人がおじいちゃんに聞いた。
彼は少し考えてから、「"Mull of Kintyre" っていう曲は知ってる?」と私たちに聞いた。誰も知らなくて、私もその曲の名前を聞いたのは初めてだった。彼はその曲を歌い始めた。時に音が外れたり、声が掠れたりする、おじいちゃんらしい歌い方だったけれど、思い返せば何かそこにほとばしる想いを感じたように思う。リビングの隅まで聞こえるような彼の歌声が突然ささやき声のように小さくなり、止まった。
彼の目には、涙が溜まっていた。
「この曲を歌うと、妻といた時のことを思い出すから、ちょっとだけ辛いんだ。」と涙を拭いながら彼は言った。彼の奥さんは、4年前に亡くなっている。
9ヶ月私は彼の家に住んでいたけれど、彼の涙を見ることはこれまでに一度もなかった。いつも奥さんのことを話す時は、まるで奥さんが今も生きているかのように話をしてくれた。彼女の絵は家の至る所にあって、彼女がわたしたちといつも一緒にいて、見守ってくれているような気がしていた。
でも、彼女は本当にここにはいないんだ。と気付かされた。

おじいちゃんは、彼女との"Mull of Kintyre"の思い出を少しづつ語り始めた。
「"Mull of Kintyre" は、スコットランドにある場所でね。」
彼は後ろを振り向いて、リビングに飾ってある海岸の風景画を指差した。
「これが、彼女の描いた"Mull of Kintyre"なんだ。」
「彼女はこの海岸に座って、"Mull of Kintyre"をギターを弾いて歌ったんだよ。」

私は、何を言葉にすればいいか分からなかった。
"Mull of Kintyre" という、私が行ったことも見たこともない土地が、音楽を通して、絵を通して、このおじいちゃんの奥さんとの関わりを通して、何かものすごく特別なものを織りなしていた。

私たちは、その曲を歌うことにした。
若き日のポール・マッカートニーがこの"Mull of Kentyre"の海岸でギターを弾いて歌っている素朴なミュージックビデオから、とても優しい音楽が流れてきた。気がついたら、口ずさんでいた。

”Mull of Kintyre
Oh mist rolling in from the sea
My desire is always to be here
Oh, Mull of Kintyre." 

ある夜に、このリビングで。彼女が描いた"Mull of Kintyre"の絵と、私たちが歌う音楽が交わって、一つの空間を作り上げていく。彼の世界の中で、"Mull of Kintyre" には心地よい潮風が吹いていて、かもめが鳴いていて、すぐそばから、最愛の人の奏でるギターと歌声が聞こえてくる。私は、その場所を想像する。私にとってその場所は、あの夜のキャンドルの炎とギターのメロディから立ちあらわれたファンタジーのような世界だ。私の友人たちにとっては、どんな世界だったのだろう。もちろん、私には分からないのだけれど。
でも、"Mull of Kintyre" が私たちの心の深くを繋いだことは確かだった。
自分と他者の持つ世界がどんなに違ったとしても、一つの空間で、誰かにとって愛しくてたまらないものを皆で想像し、共有するその瞬間に、あなたとわたしの世界はふれあって、交わっていく。

キャンドルの炎にやわらかく照らされたおじいちゃんの顔は、いつになく切なくて、でも嬉しそうだった。
私たちは、キャンドルと"Mull of Kintyre" の魔法にかかっていた。

誰かの物語に耳を傾けること、想像すること、そして歌うことを通して、一人ひとりの世界が交わっていく空間は、愛おしかった。
私はこんな瞬間を味わうために生きているんだなと、その瞬間を噛み締めて、目を細めて笑った。

人には、その人が作り出す宇宙のようなものがある。と私は最近感じる。それはその人の記憶であり、経験であり、感覚でも、論理でも、衝動でもあり、その全てが混沌として存在しながら秩序を保っている。

サン=テグジュペリの「人間の土地」(英語版:"Wind, sand, and stars")という本に、こういう一節がある。

"But in the death of a man an unknown world is dying and I wondered what images were sinking into oblivion with him." 
「一人の人間が死ぬとき、知られざる世界が死んでいく。そして私は、どんなイメージが彼と共に無意識と忘却に沈んでいくのだろうかと考えた。」

Antoine de Siant-Exupéry, "Wind, Sand, and Stars" 

これまで、人間の営みのなかで無数の世界が生まれ、そして死んでいったのだろう。一つ一つの世界は、想像され、交差し、すれ違い、やがて知らない誰かの世界の一部になっていったのだろう。

私たちはいつも、生まれては消えゆく、誰かの世界を覗きみようとしている。そこに暮らしがあり、生まれる豊かさがあるような気がしてならない。

"Mull of Kintyre" は、今や私にとっても思い出の曲になった。いつかギターをたずさえてその海岸を訪ねて、あの夫婦のために、自分にとって大切な人のためにこの曲を歌ってみたい。

また一つ、自分という世界そのものが豊かになった、この特別な夜のことを私は覚えていたい。

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