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卒業

簡単にいうと、卒業しました。
毎日毎日、1時間後のミーティング、明日までの課題、数ヶ月後のIB試験のことなんかを考えて、でも今ここで友達と馬鹿なことをして笑う瞬間が楽しくて。そうやってとにかくフル回転で毎日を生きていました。
目の前、先、先を見て歩いて走ってきたけれど、この毎日が終わるんだと気づいて一度も振り向いてこなかった後ろを見てみると、「あれ?私すごい山と谷を越えてきたな」と。

英語もろくに話せなかった最初から、卒業式で帽子を空に投げ上げる瞬間まで。この2年間で、私は本当の「自分」になったのだと思います。

幼稚園から高校まで公立学校で育ってきて、突然80ヶ国以上の学生が集まるインターにぶっこまれて、そこで卒業するなんて一言で言ったら、「無理」です。そして、学校に入ると「いや、無理」って思うこの無理モーメントが毎日やってきます。

全部英語の授業で発言する?いや、無理でしょ。

4000語の映画分析エッセー?いや、これも無理でしょ。

毎食カフェテリアに行って英語で喋って友達作る?え、無理無理。

でも、この「無理」っていう壁たちを乗り越えるより方法はないのです。前の高校も退学してこんな所に来てしまった。自分が選んだのに逃げる訳にはいかんだろ、と。

もちろんどれだけ成長しても英語ができるようになっても壁はやってきます。一個超えたらもっと高いのが来る。これ、終わらない。

でも、これは跳び箱みたいなもんかもしれません。無理モーメントは、自分が跳べる段数より一段高いのを跳ぶ前、走り出す瞬間の「いや、無理かも。。」って感覚です。でも結局跳べて、それをちょっとずつ積み上げていって、この前5段跳べたんだから6段もいけるだろう、みたいな。積み重ねていくと、「無理無理」って思ってても「もしかしたらできちゃうかも」と心が分かるようになるのです。でも、跳べない時もあります。突き指したり、「なんで跳べないねん」って冷たい目で見られたり。「もうなんだよーーーー跳んでやるーーー」って思いながら一個一個段を増やしていったら3段から始めたのに気が付いたら15段くらい跳べるようになった気分です。

跳べない時は、もちろん何が悪かったんだろうと必死になるけど、「まーなんとかなるか」とのんきに散歩して時を待つのも大事でした。また呼吸が整ったらもう一回やってみるか、っていう感じで。もしかしたら生きるというのは私にとって、こうやってより高い跳び箱を跳び続けるようなものなのかもしれません。人生はそうあってほしいと思っているのかもしれません。正直言ってこの「無理モーメント」は大嫌いですが、でも跳べた瞬間の不思議な感覚は好きなのです。

今までにない量とスケールの無理モーメントを突きつけられた2年間。今思うと懐かしく、「よくやった!」と高校時代の自分の頭をぐしゃぐしゃにしてやりたくなります。

そしてもう一つ。「自分ってなんなんだ?」と今までより思わされるようになりました。

私がこれまで生きてきた世界って、みんな何となく似ていて、目指している先も似てるよね、っていう共通の感覚があって、そこから外れると「なんか普通じゃない」みたいに思われるようなところでした。簡単にいうと、みんな髪型は前髪ぱっつんで、セミロングかロングヘアが当たり前、みたいな。中学校になってそれに気付き、できるだけ変に目立たないようにと思いながら生きてきました。

でも、この新しい環境につっこまれたら、「普通」っていうのがなかったんです。もちろん違う国から来てるので文化の背景も違うし、服のスタイルも人それぞれだし、女の子でも髪の毛を刈り上げたりしてる子も結構いました。それぞれが大好きなことを追求していて、とにかく自分のワクワクや、自分にしっくりくるものを追い求めていくスタイル。何だか「普通」の型にはめるより、こっちの方が生き生きしていて面白そうだし、これでいいんだと毎日色んな人と暮らす中で思うようになりました。自分が素直に、「あ、これいいな」と思ったものをどんどん取り入れていくようになりました。

これまで、聴く音楽はタイムリーなポップミュージック、髪型はセミロング、肩書きは高校生、気候変動アクティビストだった自分。

気が付いたら、スペイン語のラテンミュージックとインディーロックが大好き。でも星野源も聴くし、カーぺ・ベルデっていうアフリカの島国の音楽も聴いちゃうような独特なプレイリストが出来上がっていました。髪の毛も切るたびに短くなっていき、今はツーブロックなんかしています。自分が高校生だってことも忘れていたし、自分は自分で型にははまらないし、これでいいんだと思うようになっていました。

そして、他の人から見てわかる自分のスタイルだけでなく、内面も変化していったと思います。

学校では200人という小さいコミュニティーの中で、何があっても支え合っていくしかありませんでした。そして、異なる背景から集まってきた人たちと暮らすからこそ、思っていることを言葉に出すこと、コミュニティーのメンバーをCareすることがとても大事なのです。

お互いが元気にやっているか、大変なことはないか、お互いに気を掛け合うこと、そして「あなたのこんなところが本当に素敵で、それにいつも助けられている。ありがとう。」と感謝を伝えるGratitude circle (感謝の輪)や日頃「元気してる?」と声を掛け合う中で気付けばお互いがかけがえのない存在になっていました。自分は全然ダメだと思うことがあっても、「あなたのこんなところが素敵なんだ、大丈夫だよ」と声を掛けてくれる友人に何度救われたかわかりません。

そうやってこの学校は、勉強だけじゃなく、人生でとても大切なことを教えてくれたと思います。それは、相手をCareすること、そして愛することです。シンプルに、それが頑なになってしまった人々の心を溶かして、世の中をよくするんじゃないかとまで思えてしまいます。

そんなあったかい環境の中にいて、自分の生きる上でのスタンスも変わってきた気がします。特に高校の初め、私は気候変動アクティビズムに力を注いでいました。渋谷の交差点でバナーを持って気候正義を叫び、経産省の前に立ってCO2削減目標引き上げを訴える。それは自分にとって、こんなに不合理で、不平等を当たり前としてほっといてしまえる社会に対する怒りを変化の原動力にする方法でした。でも、反抗することで自分自身をすり減らし、やればやるほど分からなくなる。だけど、やるしかない、という義務感とそこに見える一抹の希望を頼りにやっていた、そんな感覚でした。「反抗する」ということが自分のアイデンティティだった。でも、インターに来て、アクティビズムもできなくなり、反抗するものがなくなりました。対象となるものがないと反抗ってできないのです。そこで、矢印は化石燃料会社を牛耳るおじさんたちと政治家から、自分に向きました。反抗するだけじゃなくて自分で作っていかないと、何にも生まれないのだと。そして、巨大な力にこれまでの方法で抗おうとするよりも、自分で作っていって、それに共感する仲間と「こんな世界ができるんだよ」っていうビジョンを世間に見せていった方が面白いんじゃないかと思ったのです。

もちろん社会に対する怒りがなくなったわけではありません。でもそれを反抗として表すんじゃなく、それを人々に対するCareと愛に変えて、自分がこれいいじゃん!と思うようなクリエイティブな方法で未来のビジョンを作っていく、っていう方にワクワクして、魅力を感じるようになりました。ずっと変化には対立が必要だと思っていました。でも対立はまた課題を生む。じゃあ対立も包み込んでしまうような方法でみんなを愛せるようになればいいんじゃないかと。

私は高校を卒業したとともに、他の三つのことからも卒業しました。

無理だと思うこと。普通と比べること。そして反抗すること。

自分に制限をかけてた何かが少しずつ外れて、自分の見えなかったひろいひろーい世界がちょっと垣間見れるようになりました。

最近、「将来は何になりたいの?」と聞かれました。

私はちょっと迷った末、「いい人になります!」と答えました。

目標といった目標はないのですが、私の人生のテーマは、「世界人類を愛すること」かなぁと思い始めています。あまり肩書きには魅力を感じないけれど、人間としてより良くなることには何だか憧れと魅力を感じています。これからもっと高い無理の壁を越えていって、どんな世界が見えるようになるのかなぁとワクワクします。


8月からオランダの大学に行くので、しばらくしたらまた書きます。

では、また!


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