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彩りの春が咲いたなら

世界は色を失っていく。
本物の春が来るまでは。
十二年に一度の本物の春を祝う、色流しの祝祭。
その主役に選ばれたのは、わたしじゃなかった。
親友のイェリンと、双子の相方、アーヴィだった。


児童文学風の異世界ファンタジー。

第1話 咲の巫女

「今年の咲の巫女は、イェリンに決定します」

 ショーグレン先生の凛とした声が広場に響いた瞬間、わたしは沸き上がる歓声の中で一人、呆然と前を見据えることしか出来なかった。

 もうすぐ春を迎える薄荷色の空を背に、ショーグレン先生はいつもの角角しい目で壇上からわたしを見降ろす。

 ううん、わたしを、じゃない。

 わたしの横で、わたしの袖をきゅっと握って震えている女の子を、だ。

「イェリン、いらっしゃい」

「……あ……」

 名前を呼ばれ、ショーグレン先生から手を差し伸べられ、それでもイェリンは動こうとしない。

 わたしはきゅっと一瞬だけ唇を結んで、それから、その口角を持ち上げた。イェリンのその弱弱しい細い肩をぽんと叩く。

「ほら、呼ばれてるよ!」

「で、でも、モニカ、わたし」

「決まったんだよ、イェリン。胸を張らなきゃ、ね?」

 満面の笑みを張り付けてイェリンの肩を押す。イェリンは少しだけ困ったような顔をしてから、ふわりと微笑んだ。やわらかく結ったお下げが風に踊るように揺れ、おずおずと壇上へ上がっていく重いスカートの後ろ姿が、うっすらとかすんでいく。

 ばか。まだ、だめだ。

 壇上に上がったイェリンは、咲の巫女の証になる花冠をショーグレン先生から授与された。

 恭しく、その小さな頭に冠を抱き、イェリンはそれこそ花が咲くように笑った。

 十二年ぶりにくる本物の春を祝う、色流しの祝祭。

 その巫女に、イェリンは選ばれたんだ。

 歓声が一層大きくなった。スクールの皆は、ずっと一緒にこの日を目指して来たけれど、それでもみんなどこかで分かっていたんだろう。選ばれるべき人は誰か、ってことを。だから、きっとこんなに素直に祝福できるんだ。

 そう。選ばれるべきで、選ばれたのは、イェリンだ。

 わたしじゃない。

 わたしは、選ばれなかった。

 咲の巫女には、もう、なれない。

 歓声に紛れるように、壇上に投げられる祝福の声に押し出されるように、ゆっくりとわたしはその場を離れる。

 ゆっくり、ゆっくり。

 そのはずだったけれど。

 みんなの声が聞こえなくなったあたりで気が付くと、わたしの足はもう全力で走りだしていた。

 一刻も早くその場から遠ざかりたかったんだ。

 こみあげてきた音が喉の奥から漏れてくる。景色全部が歪んで見えた。

 ああ、そうだ。

 わたしは、選ばれなかった。

 わたしは、選ばれなかった。

 選ばれたのはイェリン。

 わたしじゃ、ない!

第2話 神樹カーネリア


 村の奥は、本当はあんまり行っちゃいけないといわれている。村を囲むアグーの森。アグーの森は、村の中と違ってまだ色づいた木々や葉が残っている。もちろん、白化した木や草花のほうが圧倒的に多いのだけれど。

 そのアグーの森の中にある、ひときわ大きな樹。

 神樹カーネリア。

 天からの柱のような、大地に突き立った太く大きな幹は濃い茶色の肌をしている。カーネリアの樹だけは、冬を迎えることはない。十二年に一度の本物の春が来て、夏が来て、すぐに長い長い冬が来て、村中から色が抜け落ちていって、偽春がきて、また冬まで過ぎていっても、カーネリアの樹だけは色鮮やかな本物の春の色のままだ。

 だからこそ、神樹だ。

 そしてわたしたち、この村に住む民――【カーネリアの子】は、この樹がなくちゃ生きていけない。

 本物の春を迎えるために、この樹の神霊力が必要だから。

 わたしははっと大きく息を吐いて、神樹を見上げる。その吐いた息ももう白くなく、春はすぐそこなんだと伝えてくる。神樹に手を触れると、そのごつごつした木肌が潤っているのさえ分かった。

 かつて、長い長い冬に支配され、世界中から色という色が失われた時代。聖女カーネリア様はその身を持って神に祈りを捧げ、春を呼んだという。そしてその身体は時を止めてなお、神樹としてこの地にある。

 いまでも、春は毎年は来ない。来るけど、それは偽春だ。暦の上、気候の上では春だけど、でも、春の色は失われたままだ。

 本物の春は、色鮮やかだ。木々が碧く色づき、花は色とりどりに咲き、風さえも色を帯びる。失われた色を取り戻す。

 本物の春。

 十二年に一度だけの、本物の春。

 でも、わたしたちはその本物の春を知らない。前回の本物の春の年に生まれたのがわたしたちだ。

 彩りの候補生になるわたしたちは、本物の春を呼ぶ力を持つと言われている。春に祝福されて生まれた子どもたちだから。

 そして、その中でも春を祝う祭典、色流しの祝祭で主役になれるのは、彩りの神子と咲の巫女のふたりだけだ。

 わたしは、選ばれなかった。

「モニカ」

 ふいに、声がかけられた。

 ああ、いま一番会いたくない声の主。

 やさしくて穏やかな、大好きな声。

「モニカ?」

「アーヴィ、わたしいま、アーヴィに会いたくないの」

 突き放すようなわたしの声に、背中で微かに笑いの気配。

「うん。だろうね」

 頷きながら、でも、アーヴィはゆっくり近づいてきた。後ろからそっと、わたしを抱きしめる細く、けれど力強い腕。

「でも僕は、モニカに会いたい」

 だからこっちを向いて、と、アーヴィの手がわたしの頬にかけられる。

 しかたなく、見上げた。少しだけ頼りなくて、でも、わたしに良く似た気の強さも少しだけ見え隠れしているまなざし。色抜けしていない、真っ黒な髪。わたしと正反対の、わたしの片割れ。

「アーヴィ、わたし、ダメだった」

 アーヴィは微笑んだまま、わたしの色抜けした真っ白な髪を撫でている。

「わたし、選ばれなかった。アーヴィは選ばれたのに」

 大好きなわたしの片割れ。わたしと同じ顔を持つアーヴィ。でも、わたしだけ七歳の冬に色抜けしてしまって、髪は白く目も水色になってしまった。アーヴィは色抜けしていない。真っ黒な髪に、紺碧の瞳。その深い湖のような目が、わたしは好きだ。かつてはわたしも持っていた、紺碧の瞳。

 アーヴィは選ばれた。男の子代表の、彩りの神子に。

 でも。

「イェリンだよ」

「そっか」

 きっとアーヴィだって、どこかで分かっていたんだろう。選ばれるべきは誰か、ってこと。

 くしゃくしゃと、アーヴィがわたしの頭を撫でる。

「イェリンが選ばれて嫌?」

「ううん」

 ぎゅっと、アーヴィに抱き着いた。胸に顔をうずめて、ふるふるっと首を振る。

「イェリン、すごいの。すっごい頑張ってたもん。すっごい綺麗だったもん」

「うん」

 アーヴィだって知っている。わたしたちはいつも三人一緒だったから。同じ日に生まれたわたしとアーヴィ。その三日後に、お隣に生まれたイェリン。お陽さまみたいな髪の色を持つイェリン。怖がりで、自信なんていつでもなくて、だから誰より目いっぱい、練習して、練習して、頑張っていた女の子。

「でも」

 分かっている。分かっている、けれど。

「くやしい」

「うん」

 アーヴィがもう一度ぎゅうっとわたしを強く抱きしめる。春を呼ぶ、彩りの神子にえらばれた男の子の腕の中、選ばれなかったわたしは、わんわん、泣いた。

 でも、泣いたのはその日だけ。

 だっていつまでも泣いていたら、そんなのモニカわたしじゃなくなっちゃうから。

 それに、イェリンにだって気を遣わせたくない。

 選ばれたイェリンは、悪くない。

 だから、わたしはいつも通りスクールに通う。

 色流しの祝祭は、主役以外も忙しいしね。


第3話 色抜け

「あ」

 その日、スクールの教室に入ってすぐに気が付いた。

 色抜けだ。

 スクールの石壁には、アグーの紋様が鮮やかな絵の具で描かれていて、それを見るのがわたしはとても好きだったのだけれど、その赤や黄色の紋様が、真っ白になっていた。

 もう、春なのに。

 色抜けは、本物の春が来るまでの間に起こる自然現象だ。最初は自然物。木々は色を失って、花も形だけ違う白い花ばかりになる。それから、人や無機物も、色抜けするようになる。わたしの髪と目のように。

 本物の春が目の前にあるこの時期が、実は一番、どこもかしこも色抜けで真っ白で、寂しい時期だ。雪は解けたのに、大地の色は寒々しい白のまま。広場の中心の湖も、今は凍てつくような白い湖だ。

 その白い教室の中、白い服を着た女の子たちが、ひとりの女の子を囲っていた。

「ニナ?」

 驚いて、声をかける。イェリンはわたしの背中に隠れたままだ。

 ニナはわたしたちと同じ候補生で、真っ赤な髪の毛がかわいい女の子。でも、そのニナ自慢の緋色の髪は、いま、ない。彼女の白い顔の上には、同じように白い髪。

 ――ニナも、色抜けしたんだ。

 泣いていたのかな。わたしも、色抜けした日は泣いたもん。色抜けは自然現象だといったって、自分の何かをもぎ取られる気持ちになる。

 ニナがきっとこっちを睨んだ。

 ――違う。

 ぎゅっと、イェリンがわたしの背中に縋りつくのを感じた。少し離れていたアーヴィが、わたしと並んでイェリンを隠す。

「なんで」

 ニナが、絞り出すように声を上げた。周りの女の子たちが、そっと距離を取る。ニナの怒りの気配に負けたんだ。

 わたしは、その場で踏みとどまる。

「なにが?」

「なんでよ。なんでイェリンは色抜けしてないのよ」

「たまたまでしょ」

「うるさいっ! アーヴィも、真っ黒なままなんておかしい! ずるい!」

 おかしくなんてない。色抜けしないから選ばれたわけじゃなくて、ただたまたま、ふたりは色抜けしていないだけだ。色抜けしていたって選ばれるひとはいる。先代の神子はそうだったって聞いている。

 なんにもずるくなんかない。

「イェリン! 隠れてないでよ!」

 立ち上がったニナが、イェリンのほうへ手を伸ばす。その手をわたしは振り払った。

「イェリン!」

 苛立ったように、ニナが叫ぶ。分かっている。誰かに、色抜けの悔しさを、つらさを、ぶつけたいだけ。イェリンもアーヴィも知らないだろうけれど、色抜けは、本当に、誰かのせいにしたいくらい、しんどい気持ちになる。わたしは知っている。

 でもだからって、人にあたっていいわけがない。

「対して上手くもないくせに! 隠れてばっかり、おどおどしてて、どうせ踊れやしないのに!」

「ニナッ!」

 思わず、わたしは怒鳴っていた。だってそれは、そんなのは、言っちゃいけない。だって言ったほうが、ずっとずっと、情けない気持ちになる。

 すうっと、後ろで息が聞こえた。イェリンだ。イェリンは息を吸って、それからゆっくりと、わたしを押しのけて前に出た。震えている。ちいさな薄い肩が、震えている。

 それでも、イェリンは前に出た。それはきっと。

「――でもわたしが、春を呼ぶの」

 それはきっと――春を呼ぶ咲の巫女としての、イェリンの矜持だ。

 その言葉は、わたしの胸を突き刺していく。きっと、そう、ニナの胸も突き刺したんだ。

 カッと目を見開いたニナが、次の瞬間イェリンに飛びついていた。

 机が、椅子が、大きな音を立てて倒れた。もんどりうった二人が、絡み合う。悲鳴が上がった。ニナが悲鳴みたいな声をあげて、イェリンにつかみかかっている。アーヴィがニナの後ろに回った。羽交い絞めにするその瞬間に、わたしはイェリンを引きずってふたりを離した。

「落ち着け、ニナ」

 はー、はー、と大きく息をして、乱れた髪のアーヴィが静かに言った。ニナは自分のしたことに自分でびっくりしたのか、泣きそうな顔で両の手を見降ろしている。

 わたしだって、目の前で起きたいきなりの出来事に、心臓が踊り狂っているけれど。

「イェリン、大丈夫?」

 座り込んでいたイェリンを支えて立ち上がらせようとした、その時だった。

「痛っ……!」

 ちいさな悲鳴とともに、イェリンが再びしゃがみ込んだ。

「イェリン!?」

「あ……足、が」

 イェリンが、小さな靴に包まれた自分の足首を触る。

 ――ひねった?

 さっと自分の顔から血の気が引いていく感覚がした。イェリンが、悲痛な顔をしている。

 おろおろして顔を上げる。アーヴィの表情も硬い。

 どうしよう。だって。

 祝祭は、明日だ。

 咲の巫女は踊って歌う、その役割を担うのに。

第4話 春を呼ぶもの

「――ショーグレン先生を呼んでくる」

 アーヴィが硬い声で言うと、教室を飛び出していった。そうだ。まずは、相談しなければ。

 それから。それから、ええと。

「イェリン、まずは椅子に座れる?」

「う……うん」

 肩を支えてゆっくりと立ち上がらせる。すぐにイェリンの顔が歪んだ。痛むんだ。椅子に座ると、イェリンが震える手で自分の顔を覆った。

「ごめん、なさい」

 ――イェリンは悪くない。

 だれも、ニナに触れなかった。いまニナにかける言葉なんて、きっと誰も持ち合わせていなかった。周りにいた女の子たちも、そろそろと寄ってきて、誰かが氷を取りに行って、誰かが自らの水筒をイェリンに握らせた。

 視界の隅でちらちらと揺らぐ白い髪のニナを、わたしは真っ直ぐ、見られない。

 すぐにショーグレン先生がやってきた。

 氷を足に当てるイェリンを見て、さすがの先生も顔をしかめた。

「そう、ね。折れてはいないわ。折れてはいないけれど……」

 イェリンの足を診て、ショーグレン先生が言葉を濁す。折れてはいない。でも。

 イェリンが唇を強く引き結んでいた。

「イェリン……」

「――わたし、やります」

 イェリンが顔を上げた。いつものイェリンからは考えられないほど強いまなざしで、ショーグレン先生を見上げている。

「でも」

 ショーグレン先生の目が揺れた。いつも角角しいのに、三角形が逆になったみたいな目でイェリンを見つめている。

「でもね、イェリンこの足じゃ」

「固定すれば動けます! 絶対、絶対やれます!」

「踊れないでしょ」

 ――イェリンの叫びを遮った、冷たい、冷たい言葉。

 水を打ったように、教室中が静まり返った。

 ニナだ。

 ニナが、泣きはらした目で、イェリンを見ていた。

 ――どうして。

 心の中で、わたしが叫ぶ。

 泣きたいのは、イェリンだ。どうしてあなたが、泣くの。

「先生。わたし、代わり出来ます」

 ――え?

 一瞬、ニナが何を言っているのか理解できなかった。

 代わり、出来ます――?

「踊りも歌も、完璧に出来ます。選出に漏れた日からも、練習は欠かしていません。先生! わたし、イェリンの代わ――」

 その瞬間。

 わたしはニナの頬を力いっぱい叩いていた。

 破裂するような音が響き渡った。

「モニカッ」

「ごめんなさい。あとで罰は受けます」

 ショーグレン先生の声を遮って、わたしはニナの肩を掴んだ。

 色抜けした冬色の瞳。わたしとおなじ、欠けた者。

「そんなの……そんなの、許されるわけがないでしょう」

「モニカ」

 アーヴィが、わたしの手を握る。落ち着けって言っているんだ。分かるよ、でもね、アーヴィ。許せないことは、許せないって叫びたい。

「ニナが踊りも歌も上手なのは知ってる。でも、選ばれたのはイェリンだ」

 選ばれなかったんだ、わたしたちは。

「イェリンが春を呼ばなきゃ、あなたのその色抜けだって戻らない。世界中から色は消え失せたまま、また十二年時を過ごすの。かわいい服を繕ったって、美味しいごはんを作ったって、全部真っ白なの。わたしはそんなの耐えられない」

「でも……わたしなら、出来る!」

「ふざけんなっ!」

 ギリギリのところで怒鳴らないでいたのに、ああ、もう駄目だった。わたし、叩きつけるようにニナに言葉をぶつけていた。

「出来るわけがない! そんな……そんな澱んだ心で春が呼べるなんて思うな! 思いあがるな!」

 春を呼ぶ咲の巫女は、踊りも歌も重要だ。歌と踊りをこよなく愛した聖女カーネリア様に捧げる調べだから。だからわたしたちはスクールでかつては咲の巫女だった先生たちから、教えを受ける。そして、選別される。

 でも。

「咲の巫女は、聖女カーネリア様の分身として色を流すんだ! 春を一番望む、春に一番好かれる人が、巫女をやるべきなんだ! そんな、澱んだ心で、くすんだ気持ちで、春なんて呼べやしない!」

 ニナが顔をゆがめている。その顔が揺らいでいく。分かるよ。くやしいよ。いっぱいいっぱい練習したもん。わたしも、あんたも。イェリンにだって負けてないよ。歌も踊りも。でも、違うんだ。イェリンなんだ。選ばれたのはイェリンなんだ。

 いちばん、春にふさわしいのは、イェリンなんだよ。

「モニカ」

 イェリンが、わたしを抱きしめた。痛む足で立ち上がって、わたしを抱きしめてくれた。わたしの真っ白な髪に、くちづけをくれた。

「ありがとう。わたし、絶対に、本物の春を呼ぶの。色を取り戻すわ」

 ――ねぇ。イェリン。わたし知ってるよ。

 あの色抜けした朝、わたしよりわたしを思って泣いてくれたイェリンが、このやがてくる本物の春をどれだけ望んでいたか。

 それはきっと、わたしに色を与えるために。

「――美しい友情も良いのですけれど」

 静かな声で割り込んだのはショーグレン先生だった。いつも通り、ちっとも笑わない顔のまま、わたしたちを見降ろしている。

「そのままでは、イェリンに任せることは無理ですね」

「せんっ……」

 叫びかけたイェリンの唇に、そっと人差し指をそえて。

 ショーグレン先生は初めて見る茶目っ気のある顔で、ひとつわたしにウィンクした。

 ……え?

第5話 祝祭の日

 ◆

 色流しの祝祭の日。今日はとてもいいお天気になった。

 雲ひとつない透き通った青空が、どこまでも広がっている。村中には様々な飾りつけがされていた。村の入り口にある質素な柵も、誰かの手で白いレース布がかけられ、白い花が飾られている。地面も白く、広場の中心の湖も白い。広場に敷き詰められた幾何学煉瓦もうっすらと濃淡はあるけれど真っ白だ。――ここも二年位前までは、色があった気がするけれど。

 でも、いつもなら寒々しいだけのその景色も、今朝は違う。白いままのものがほとんどだけれど、それでもめいっぱいの飾りつけがされている。旗もあるし花もある。子どもが作ったわっかだってある。夜にはともされるランタンも、すでに飾られていた。

 そして、今日の広場には沢山の屋台が出ている。いい匂いをさせている食べ物の屋台もある。

「モニカ、セムラが売ってる」

 小さい声でそう言って、アーヴィの背中にいたイェリンがあそこ、と指をさす。

 セムラはちいさいお菓子だ。ふわふわの丸い生地を半分に割って、たっぷりのクリームが挟んである。お祭りにはいつもある食べ物。イェリンは甘いものが大好きだから、特にあれが好き。

「あとで食べよーね」

 イェリンに言うと、イェリンは嬉しそうに頷いた。

 屋台は食べ物よりは、色売りの店のほうが多い。いろんな植物を乾燥させて粉にして混ぜた染料粉、白い水、花。いまは真っ白なそれらを、みんなが買い求める。

 そして、湖の側には舞台が作られている。アーヴィはそこに、イェリンを下ろした。

「じゃあ、がんばろうね、イェリン」

「うん、アーヴィ」

 アーヴィは笑ってイェリンと手を打ち合わせた。それから、わたしも。アーヴィとイェリンと、ぱちんと音を立てて、手を叩き合う。

 さあ。祝祭の始まりだ。

 彩の候補生たちの鳴らす鈴の音が広場に響く。集まっていた人々が一瞬にして静まった。わたしの横はニナ。ちょっと気まずかったけれど、でも、ニナはちゃんと始まる前に謝ってくれた。わたしにも、イェリンにも。

「わたしだって、彩の候補生よ」

 泣きはらした目でそう言ったニナは、ちょっと、ほんのちょっとだけ、格好良かった。

 わたしたち候補生は男女混合で鈴と笛を鳴らしながら列をなして歩き出す。村中を周り、そして、アグーの森へ。真っ白だった村の中から、まだ色が残る森の奥へ。候補生たちの一番後ろには、アーヴィが続く。ゆっくりと、ゆっくりと。そして少し距離を置いて、村人たちも続いた。

 神樹カーネリア。瑞々しいその樹に、一輪の大きくて美しい花が咲いていた。真っ赤な花。

 神樹カーネリアをわたしたちは囲って、一層激しく鈴と笛を鳴らす。やがて村人たちからも掛け声が響き渡りだした時、アーヴィがすうっと両手を天に向けた。

 ――パンッ!

 大きく手を打ち鳴らす。瞬間、わたしたちも村人たちも、一切の音を止める。並んだわたしたちにアーヴィはゆっくりと視線を流してから、静かに前に出た。

 舞う。

 彩りの神子の踊りは、女の子である咲の巫女とは違う強い踊りだ。手足が力強く大地を打ち、天に伸びる。時折発するアーヴィの声も、いつもの静かでやさしい声とは比べ物にならないくらい低く、たくましい。そして。

「ハッ」

 短い掛け声とともに、アーヴィの手が一閃した。

 命のように赤い花がこぼれる。

 それを落とさず両手で受け止めると、アーヴィは恭しく神樹カーネリアに一礼した。

 ――よかった。まずは、ここまでは問題ない。

 カーネリアの赤い花を抱えたアーヴィが歩き出す。行きとは逆に、今度は彩りの神子が先頭に立ち村の中へ戻っていく。同じように村を周って、それから、イェリンが――咲の巫女が待つ、舞台へ。

 舞台の下へ来ると、アーヴィは飾り椅子に座ったイェリンに赤い花を掲げる。それから、すぐそばの湖へと赤い花を流した。

 ゆらゆらと、赤い花が水面を揺らす。その様子を見つめて、そっと、イェリンが口を開いた。

 リ アジェラ ムィ ラゼほら 春が呼ぶわ

 ノーフィ ラ シィア クィ ラゼほら 世界が光るの

 モーモリ アン デューノーシィ失ったものを もう一度得て

 クィ ラ ラゼ オ ラゼほら 彩って ほら

 遠い遠い昔の言葉だという、春を呼ぶための歌。

 イェリンの細く、でも芯のある透明な歌声が、どこまでも広がっていく。誰もが聞き惚れてしまうような歌声。

 そして。

 わたしはゆっくりと、舞台へと足を向けた。

 この瞬間から、わたしはモニカじゃない。

 咲の巫女、イェリン。――その代わりだ。

第6話 色が咲いたなら

『イェリンの双子になりなさい』

 そう言ったのは、ショーグレン先生だった。

『春を望むその心があるなら、あなたにはそれが出来るはずよ』

 わたしの片割れはアーヴィ。でも、いま、この瞬間だけは。

 わたしは、イェリンの片割れだ。

 選ばれた重圧も、選ばれなかった悔しさも。

 色抜けの苦しさも、春を乞う切望も。

 わたしたちは、知っている。だからきっと、誰よりも、春を望んでいるから。

 しなやかにやわらかく。あざやかにゆるやかに。まぶしくおだやかに。イェリンを紡ぐたくさんの『色』。イェリンを象るたくさんの『匂い』。その全てを、なぞるんだ。

 跳ねる。モニカはいつもここで天を乞うように手を指先までぴんと伸ばす。でもイェリンは違う。指先までやわらかく、すべてを受け入れるように跳ねる。力を抜いて。でも、おざなりにはしない。

 回って。真っ白な衣装のスカートが、綺麗な円を描くように。最後に左足を少しだけうちに寄せて。

 踊って。

 イェリンの歌にのせて。イェリンの声にのって。

 世界中に、色を、届けるために。

 湖が揺れるのが分かった。カーネリアの花が踊る。そして、湖が色を取り戻す。真っ白な湖が中心から、濃く深い碧へと変わっていく。

 歓声が上がる。

 一瞬、イェリンとアーヴィと目が合った。ふしぎなきもち。わたしいま、なんでも見える気がする。

 イェリンの歌声とともに、誰かの投げた白い粉が風に舞う。その粉の中で踊る。指先に白い粉。触れた瞬間、それは黄色い粉へと変わった。

 青い粉が、桃色の粉が、緑の粉が、空を舞う。踊れ。踊れ。踊れ。

 色が、春が、――やってきた!

 世界中が色を取り戻す。白から橙へ。白から赤茶へ。白から紫へ。白から。白から――花が、色とりどりの花が舞う。村中に飾られていた花は色鮮やかに様々な色を身にまとい、人々が投げていた白い粉はひとつ残らず青空に映え、飾りリボンも、刺繍も、煉瓦も、人々の髪や服も、何もかもが、目に痛いほどに鮮やかに輝いていく。

 シャンッ!

 最後の一節をイェリンが歌い終え、わたしが舞台の上で膝を折った時、大きな鈴の音が鳴り響いた。

 わたし、知ってる。こんなに大きな音を立てることが出来るのは、あの子だけ。

 顔を上げる。ハァハァと、息が上がる中で見えたのは、夕焼けより真っ赤な、髪の毛だった。

「……おつかれさま」

 真っ赤な髪のニナが、ちいさく笑った。

「モニカ!」

 アーヴィが声とともに抱き着いてきた。

「モニカ!」

 イェリンも。四つん這いで、ここまで寄ってきたらしい。

 二人に苦しいくらい抱きしめられて、ようやく役目が終わったのだ、と、分かった。

 体中から力が抜けていく。そのわたしの肩口に、黒い光が見えた。

「……あ」

「うん」

 そっと、アーヴィがわたしの髪を撫でてくれた。アーヴィと同じ、艶やかな夜の色。真っ黒な、本当の、わたしの髪。

 イェリンが泣いていた。ああ、本当に。大好きな、大好きな親友。

「モニカ、春が来たね」

「うん。ありがとう。イェリン」

「ううん。ううん。モニカのおかげだよ」

 イェリンは涙をぬぐう。

「泣かないのー、もう。ほら、セムラ食べに行こう?」

「たべる」

 こくんと頷くイェリンにわたしは笑って。それから、ふたりの目をまっすぐ見つめた。

 だってね。これを言わなきゃ、色流しの祝祭じゃないもん。

「――色流し、おめでとう!」

 こうしてわたしたちは、また色を取り戻す。次の冬までにはまた色抜けして、白化した世界がやってくるのだろうけれど、でも。これから何度も冬を迎えて、色抜けしたってきっと大丈夫。この、春の日を覚えていれば。

 この色にあふれた日を、覚えていれば。

 さあ。春を祝おう。色を祝おう。すべての色に、祝福を。


Fin.


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