「c'est la vie」というフレーズが嫌いになった話し。

結局私は、問題のあいつと話した。イさんの語るフェミニズムと何よりもこれ以上その「呑気さ」や「無意識」によって傷つけられる人を増やすわけにはいかないという使命感を抱いて、話しにいった。

あいつはどこまでも空気の読めない男だった。今回、私が話したいと言ったときも、まさか話題がフェミニズムになることなど想像もせずにホイホイとやってきた。私は「あなたには私の誘いを断る権利があるのよ」と忠告したのにもかかわらず。そこまで空気が読めなくてよくここまで生きてこれたなあと思って逆に感心してしまった。

話し合いは最初からスムーズに進んだわけではなかった。あいつは声を荒げて「自分の状況が大変であることを私が理解しないのが悪いのだ」と主張し、「c'est la vie」と続けた。「c'est la vie」とはなんと美しい言葉だろうか。なぜ、世の中の固定化された不条理まで、「そういうものだから仕方がない」と軽々しく口にできるのだろうか。自分の状況が状況なら、人を攻撃しても良いのだろうか?この考えが家庭内暴力や児童虐待に繋がっていることを考えたことがないからこそできるなんとも浅ましい考え方ではないだろうか。

私は辛抱強く語った。あいつは、私が自分の期待に答えなかったことに対して攻撃的になったことを、「私が理解しないのが悪い」と言い張った。しかしながら、問題はそこではない。問題は「私がいつもいつもあなたの期待に応えること」を普通に思っているということなのである。これをわからせるのは骨が折れた。しかし私は諦めなかった。

話している中で、一度は危険を感じた。どの点においてだったかは忘れてしまったけれど、明らかに顔色が変わった場面があった。今この人のトーンに張り合おうとしたら何が起きるかわからない、と感じたあのときの自分はものすごく冷静で、「calme-toi, s'il te plait.」と制することができたのは自分ながらよくやったと思う。でも、もし人を殴るのなら、ああいう顔をするのだろう。そういう顔だった。あの場が明るめのバーで、人々の目があるところでよかった。あいつもそこまでバカじゃない。

そのあと、私は、「もし私がフランス人であったら、そして男であったなら、一体あなたは同じことをしただろうか」と問いかけた。そこでやっと、私たちは同じ権力関係ではないことに気がついたらしかった。なんと空気が読めない男なのだろうか。そして気がつかないうちに人を傷つけるのである。その呑気さのために傷つけられるのはもう私だけで終わりにしてほしい、そう思った。

ここまできて、私は自分の役割を果たした、と思った。そして、私は「ここまで話すことがどんなに勇気のいることなのかをわかろうとする責任がある」と締めくくった。

あいつは無知だが、それは素直であるということでもある。この辺であいつはかなり反省したようだった。今までの自分がしてきたことの重大さを意識するようになったようだった。そこから、私はマイノリティのコミュニティのことを「興味深い」という理由で研究するマジョリティの暴力性について話題をふった。というのも、それがあいつの仕事だから。ほとほと呆れたが、どこまでも無意識なのであった。あいつの研究対象は、感情を持っているという当たり前のことを、当たり前すぎて忘れているのだった。あいつの周りはいつも「理解してくれる人たち」であふれていたのだろうし、そのことが普通ではないということを教えてくれる人はいなかったのだろう。

私がこの人ときちんと対峙しようと思えたのは、この人を野放しにしておくわけにはいけないという義務感と、この人は空気を読む必要性がわかっていないだけで、それを理解したあかつきには、空気を読もうとしてくれるのではないか、という希望があったからだった。仮にも3年は近しい関係でいて、この人には私を殺すまでの度胸はないと思っていたし、本当に「何も考えていないだけなのだろう」ということにも自信があったから。

最後別れるときには、「このことついて話してくれてありがとう」と言ってくれるなどした。もちろん許すかどうかは私の自由だがひとまずは「どういたしまして」と返しておいた。「素直さ」というのは、この世での理不尽との戦い方を知る必要がなかったからこそのもので、私にはどうしたって手に入れられないもので、ものすごくうらやましい、とそのとき率直に思った。

この世の中で素直に生きられる人々が1人でも多くなればいいなと思う。

それにしても、20ほど年の離れた非ネイティブに、アカデミアで議論慣れしたネイティブが論破されたにしてはあっさりとしていて、そのメンツのなさには感謝した。まあ、あいつが私を殺しに来ない保証などはどこにもないわけなのだが。私のフランス語もうまくなったものだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?