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TOKYO GIRL

24年生きてきて、初めて「地方都市」に「住んで」いる。
同じ日本で、周りはみんな日本人で、日本語が通じるのに、
どうにもこうにも息苦しい。
あぁ、平凡を許してくれない水槽に帰りたい。

ずっと、首都圏で育ってきた。
ずっと港区とか中央区とか、渋谷新宿に居たわけではないけれど、
1時間かければ、そういうTOKYO OF TOKYOみたいな場所に出てこられる所には住んでいた。
スタバじゃなくてブルーボトルコーヒーを飲んで、表参道限定のポップアップショップも気軽に行けた。買えないものばかりのくせにGINZA SIXにも行った。ディズニーリゾートへのお出かけはお出かけであって、旅行ではなかった。無駄にInstagramにアップした。
それが当たり前だった。普通だった。

何者にもなれなかったくせに、
何者かになれた気がしてそんな「キラキラしたもの」を追いかけて、買って、消費して、疲弊していた。

その「当たり前」に疲弊し、悶々としていたのは確かで
降って湧いた、仙台への転勤は「悪くないかな」くらいの気持ちだった。
その「悪くないかな」の気持ちの中には
「嵐もPerfumeも、ポルノだって来るレベルの都市だもん。仙台。」
という、謎の仙台への信頼が合ったのだと思う。東京から1.5hだし。

正直、地方都市と東京のギャップを舐めていたんだと思う。
マーケティングの世界ではココ最近、「東京は別の国」という言葉が流行らしい。
東京から来た私にとっては「仙台は別の国」だった。

仙台には
東急ハンズも、LOFTも、LUSHも、SABONも、USAGI ONLINEのブランドも、マイケルコースも、kate spadeも、Les Merveilleuses LADURÉEも、IKEAも、かわいいものもかっこいいものも、東京にあるものは大抵ある。
(たまに無いものもあるけど。へこむ。)

それなのに、
私の周りの「仙台人」は基本的におっさんとおばさんしか居ないことも手伝って、同じモノを見ているはずなのに、会話が噛み合わないことが多いのだ。

唯一同じ配属先だった同期は、24年間某地方(✗地方都市 ◎地方)から出た事がなかったのでもちろん会話が噛み合わない。共通の話題も中々見つからない。
「これから見つけていけばいいよね。」
みたいなドラマ的展開には今の所至っていない。

一個上の先輩方はバリバリの関西人なので、それはそれで中々話が通じないことも多い。嫌いとかそういうことではなくて。
(とても親切で良い人達なので、全然嫌いじゃない。むしろ好き。)

うっかり東京のカフェやらレストランの話をぽろっとしてしまうと、
「とーきょーのこーきゅーなれすとらんの話」をしてしまったような空気になることもある。何回かそんな経験をした。

おっさんやおばさん世代は、特に東北から出たことがない人達も多い。
そんな人達は「東北はいいところ」「仙台は住みやすい」「仙台は都会」
そういった言葉を投げかける。おそらく本心100%。
仙台は都会な方ではあるけど3大都市どころか5大都市にすら入っていない。
住みやすいとはいえ、3分待てば次の電車が来るような場所に住んでいた私としては、やっぱり住みにくい。

さらに、「うちの会社はメンバー濃いよね。」とか「女の子は結婚するまでは好きなだけ恋愛しても良いの。でも、結婚したら絶対に離婚しちゃ駄目。」といった、ある種の呪いのようなものすらかけることもある。

私は薄くてもいいし、離婚だって人生の選択肢であったって良いじゃないか。

東京にだってこういう古い考え方の人は居るだろう。
それでも、もし私が今東京に住んでいたならこんな一言一言に引っかからなかったと思う。

見知らぬ土地の慣れない生活でもがいているときに、呪いをかけられたような気がしているのだと思う。そして井の中の蛙の言葉を聞くのがとてもつらいのだと思う。

そしてこんな愚痴や負の感情をうまく共有できる相手もいなくて、処理できなくて、どうしようもなく爆発して、母親と彼氏のLINE通知欄をとんでもないことにしている。

父の仕事の都合で半ば強制的に渡米して、見知らぬ土地で見知らぬ言語で見知らぬ人々と楽しく生きることができたから、油断していたのだろうか。

異国で異なる言語で生きることができたのに、私は今、同じ国の同じ言語を話す人たちの中で息ができないくらいに苦しんでいる。

ここまで地方と東京で違いが出てしまうものなのか。

早く東京にかえりたい。

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