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オープンな技術で社会をアップデートしていくということ

オープンソース、オープンテクノロジーといった言葉が使われて久しい。
IT業界にいる人ならば必ず聞いたことがあるであろう「UNIX」も所謂オープンソースソフトウェア(OSS)の括りに入るらしい。

そんなIT業界に飛び込んだ私は、1年目に担当したシステムがOSSのバグを踏んだことを鮮明に覚えている。
突然機嫌を損ねるシステム、心の中でひっそりと泣きながら合コンやら飲み会をキャンセルする私。当日中の深夜に商用環境へ足を運びコマンドを打ってご機嫌を取り眠い目をこすりながら帰るなんてことが何回もあった。OSSのバージョンアップ及びその適用によって解消されたが、しばらくはそんな子守りをしていた。

そんな洗礼を1年目に受けたせいで、OSSを始めとするオープンなものについては「1から作るより安いのは分かるけど・・・」という微妙な偏見を持ったままだった。

あれからかなり時間は経ち、世の中自体が変化し、今は共創が重視される世の中になりつつある。
それに伴い、OSSを初めとするオープンテクノロジーもシステム開発における節約の手段としてではなく、共創を進めるためのベースとして重要性を増してきているように見える。

そんなオープンテクノロジーを味方に社会をハックしていく、Code for Japanの関さんよりお話を伺った。

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武蔵野美術大学大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダーシップコース「クリエイティブリーダーシップ特論」の講義レポートです。
第9回 Code for Japan 代表理事 / 関 治之さん (2021.09.06)
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身近なオープンテクノロジーの例とその魅力

東京都民としては記憶に新しいこちらのサイトだが、Code for Japanが関与し、オープンな技術で作られている。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

ここで用いられているのはGitHubというオープンな開発環境だ。
誰もがソースコードを見ることができ、バグを発見したり変更の希望がある場合は、誰もがプルリクエスト(ざっくり言うと、「ここをこう変えたいのだが」という依頼)を送ることができる。
https://github.com/tokyo-metropolitan-gov/covid19

このサイトについては、「行政のサイトっぽくない」という話は勿論、コロナ禍でのマスク在庫のデジタルでの可視化等を早急に進め一躍脚光を浴びた、台湾のIT大臣のオードリー・タン氏がプルリクエストを送ったことも話題になった。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00058/031000042/?SS=imgview&FD=-1038079944

このように海を飛び越えて全世界規模で改善を行うことができる、それがオープンテクノロジーの魅力の1つだ。

なお、このサイトについては許諾なしで使える形でのオープン化がされている。つまるところ、ソースコードをまるっとコピーし、データを自分の自治体のものに差し替えるだけで同じ仕組みのサイトを作ることができる。
このように出来上がった仕組みを容易に共有することができる点もオープンテクノロジーの魅力の1つだ。

システム作りのモデルと共創にむけた動き

エリック・レイモンドの「THE CATHEDRAL & THE BAZAR」では、Cathedral(伽藍)とBazarになぞらえて、オープンソースソフトウェアの開発スタイルの評価が行われている。

Cathedral(伽藍)は設計者が全てを綿密に設計し一気に組み上げるスタイル(所謂ウォーターフォール型)、Bazarは色々な小集団が主客入り乱れながら変化に対応し細かく改善を行っていくスタイル(所謂アジャイル型)を指している。

前者は、変化が早く激しくなった今の時代には合わないように見えるものの日本の1741自治体では未だにそのスタイルが取られていることも多いとのことだった。

そこで、Bazarのスタイルを取り込み、サービスを市民とともに作り、自治体間で公開・共有する関係へのシフトを試みているのが関さん、そして、Code for Japanだ。

そしてそんな市民⇔自治体の共創のために、システム開発だけでなく、共創のために必要な知識の研修やコミュニティの運営等も行っている。(例:データの扱い方や見方についての自治体職員向け研修)

また行政に限定せず、シビックテックを後押しするようなソーシャルハックデーといった取り組みも行っている。誰でも課題を持ち込み可能なオープンな場でそこからいくつものプロジェクトが生まれ、少しずつ社会をアップデートしている。

行政とアジャイル型開発

行政にBazarスタイルを適用することは即ちアジャイル型の開発を適用することとほぼ同義だと理解した。
とはいえ、行政でアジャイル型を実践した例はあまり数が見られないように思われる。

いくつかの事例については「行政機関におけるアジャイル型開発の導入に関する調査研究報告書」p.20-29に記載がある。

そこでは、調達仕様書や予算の確保といった仕組み上の課題について言及されている。
また、そもそも開発したいシステムにアジャイル型がフィットしているかどうかが重要といったことについても指摘されている。

今回の授業では行政でアジャイル型開発を進める新たな観点として「ガバナンスモデル」を更新し、アジャイルガバナンスを取り入れることの必要性が示された。

ガバナンス・イノベーションについては経済産業省より以下のドキュメントが公開されている。
https://www.meti.go.jp/press/2020/02/20210219003/20210219003.html

基本原則に則った上で、ゴール設定自体が柔軟に変わるようなモデルが今の時代には求められているとのことだ。
関さん曰く、その基本原則の中でも特に「透明性とアカウンタビリティ」が重要とのことだった。
行政は市民から見た時に、ブラックボックスになっていることが多いので、行政と市民が対話できるような場をつくることが、ガバナンスイノベーションの鍵となってくる。
そのような場の1つとして、参加型熟議民主主義を推し進めるDecidimというサイトの運用も取り進められている。

技術は人を幸せにするのだろうか?

上記の疑問が関さんの活動のコアな問いの1つとなる。
フィルターバブルや、デジタルによる人々の分断、テックジャイアントが格差を生んでいるのではないか、ということが叫ばれ始めた頃に疑問を抱いたそうだ。
現時点での答えとしては「技術は人を幸せにする。ただし、正しい目的に使えれば」だそうだ。

この問いについては私も自分なりに長らく頭の片隅にあるものだ。
小さい話ではあるが、システム開発をしていた頃、システムの画面を眺めながら「これはユーザーにとって良いものなのだろうか、ユーザーはこれがあるとハッピーなのだろうか、なくても問題ないなんてことはないだろうか」と延々と考えてしまったこともあった。

また、特に最近はSNSを見ながら「私がもっと若い頃に今のような状況だったら生きづらかったんだろうな」とも思っている。
ちょっとした発言や仕草が録音や映像に残され、切り取られ、全世界へ自分の知らぬ間に発信される可能性がある。そんな世界は心理的安全性が極めて低く、呼吸をするのすら気を遣わなければいけないように見えてしまう。
一方、広く人と繋がりを持つきっかけにもなる等、良い点もたくさんある。

ここで関さんがおっしゃっている「ただし、正しい目的に使えれば」という言葉が重く響いてくる。
絶対的な正しさというものが存在することはないであろうということは分かっているが、「正しい目的」とは何なのかそしてその目的のために正しく技術を使うにはどうすればよいのかを今一度熟慮する必要があるのではないかと思っている。

そして同じ問いは今デザインにも適用されると考えている。
「デザインは人を幸せにするか?」「デザインを使う『正しい目的』とは何か」について、これからも大学院で学びながら思考を深めていきたい。

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